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「先生、わかってて言ってますよね?」
問いかけると側頭部を撫でていた手が頬に下りてきて、力ない小指と環指の背で撫でる。上体を躙り寄せて近づき、今度は残りの三指でおれの顎をそっと支えて唇を寄せた。
唇が重なっている僅かな間、おれは目を閉じず先生の瞼を見ていた。おれの視線に気づいたのか長い睫毛が震え、先生の目が開く。目線が合って、唇が離れると先生は艶かしく微笑んで「ふふ、どうだろね」と言った。
先生の体を仰向けに返し、その腿の上から跨る。互いの位置の関係で、おれのほうが起きて上から見下ろしているのに、先生の目線もおれを上から見下ろしているように見える。その表情は「この関係にどちらが優位とか上とかない、かかってこい」とすら言っているように思えた。
「長谷、いいよ、なんでもしていいし、なんでもしてやるよ」
「なんでもって…」
なんでも、つまりそれは、おれ次第ということでもある。多分、先生はおれを信頼してくれている。非道なことはしないだろうということと、無茶な要求をしないだろうという意味で。
そして多分期待もある。甘えたいとか慰めてほしいとか零すような甘ったれた年下なんて本来の先生のストライクゾーンではない。おれがどう出るのかを楽しんでいる。
でも、おれは自分から慰めてほしいと言ったのに甘え方がよくわからなくて、とりあえず着ていた寝間着代わりのTシャツを脱いでベッド脇の床に放ったあと、傍らに手をついて暫く先生を見つめていた。
「どうした?決められないならおれが決めちゃうよ?てか、深く考えなくたって、最初うち来た時みたいにしていいんだよ?」
先生が上体を起こして小首を傾げて、ジョガーパンツのスピンドルを引っ張りながら先生は煽ってくる。
「おれが…したこと無くて、先生はしたことある、即落ちしちゃうようなすごいことあったら、してほしいです…」
「え~、なにそれ、謎掛け?ステーキくらいじゃ憂さ晴らしにならなかった?」
結び目を解いて、履き口に先生の手が掛かる。おれは一旦その手をそっと握って剥がした。先生は不思議そうにまた左右に小首を傾げておれの顔を見ている。
先生の顔は小さくて、とろんとした大きな目と薄い唇が可愛い。色白で細くて華奢で、本当に見れば見るほどこれまでおれが意識してきたタイプとは全くかけ離れている。
笹谷さんに「おれのタイプから全然かけ離れてますし!」って言ってしまったけど、それは本来だと先生もそう。でも、先生のことは好きになってしまった。
それ以前にも、タイプじゃない人間に関係を迫られたり強要されたことはあっても、風俗のキャストの人にもタイプの人は居ても、こんなふうに誰かを好きになったことなんてなかった。
高校の時は…佐藤さんは本当にタイプだったし、見学行ったとき優しくしてくれて嬉しくて舞い上がってしまってた。でも、あれも今思うと好きとはまた違う感情だった気がする。
「いえ、お肉は美味しかったですし、そんなことないはずなんですけど…なんだろう、やっぱり、それなりに傷ついたんでしょうね。…高校の時も。だから佐藤さんが現れたのもショックでしたし。それに…昔のこと…普段は忘れててもやっぱりああいうことがあると引き摺り出されちゃうんだなって。だから、結構本気で…もう一回ばーんとぶっ飛ばすような、忘れるくらいのことが…」
おれがうまく纏められないままボソボソ話している間に、先生がパジャマのボタンを外して前身頃を開く。
「わかるよ。おれもそういうとき、何も考えなくて済む状態になりたかった」
そう云う先生の白い薄い胸で光るピアスが変わっている。キャプティブビーズリングだったのが、レースっぽいデザインに遊色のきれいなオパールを配した優美なカフスバーベルになっていた。
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