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《第2週 月曜日 夜半すぎ》
藤川先生のことは、正直なところ苦手です。
プライベートや事務処理のことはともかく、仕事はパーフェクトだし、それなりに尊敬はしてるけど。
穏やかそうに見えるけど神経質で、人を自分の内面に立ち入らせない。静かにキレてる。激昂するようなことはないけど沸点は低いと思う。
観察していてわかったけれど、愛想よく微笑んでるような時のほうが余程怒ってて、怒ってる時はだいたい悲しいか不安になってるかのいずれかっぽい。
あまりにも感情表現が支離滅裂で、医者になる前は心理学者だったなんて、到底信じられない。自分のことは別なのか。
精神医学者や脳科学者や医薬業界と協同でガチのトラウマ研究や記憶の再構築技術の研究をやってたような人だし、「研究者やカウンセラーじゃできることに限界がある、現場に出て当事者を救いたい、精神科医になろう」となるのはなんとなく想像できる。
それはそうとして、そこから更にわざわざ法医学者になったのかよくわからない。博士課程で精神科領域で医学博士になった後、急に法医学に転向したのは流石になんなのか。
おれは卒業後も好きなことを続けるためには親から医者になることを条件につけられてたから踏ん張っただけで、志のようなものはまるで無かった。単純に父親は武道系のたしなみも有り、厳しい人物だったので逆らえなかっただけだ。
しかしうちは開業医じゃないから、研究者か勤務医になるしかないし、絶対忙しすぎて本来やりたかったことは結局できなくなる。そもそも自分の性格では頭を下げて回って雇用され他人に従って生きるというのは絶対に無理だった。
何処か興味のある分野で研究者として潜り込んでそこそこに給料とか細々した仕事もらって合間に好きなことやれたらな、くらいの気持ちで院進して学校に残ったが、結局修士課程の終わりが見えても行き先が決まらず、博士課程に進み共同研究で博士号をいただき、博士課程の終わりが見えてもまだ行き先が決まらず、途方に暮れていた。
そこに、親同士が知り合いという縁で「実質パシリみたいなもんでいいから」と半ば強引に藤川先生のところに捩じ込まれた。ひとりで仕事したいであろう故に敢えてイレギュラーな働き方をしているあの先生にしたってそんなの「はぁ…」って感じだったと思う。実際、藤川先生のお父さんに連れられて初めて挨拶に来たとき、当時まだ講師で教授の小僧さんでもあった藤川先生は、あの書庫で疲れ切った完全に死んだ魚みたいな目で「はぁ…」と言っていた。
───と、いうようなことを昼休みに長谷くんにちょっと話したのを回想していた。
昼休み、学食で長谷くんは大きなフランスパンが浸かり、チーズとパセリがたっぷりかかったオニオングラタンスープをフーフー冷まししながら啜っていた。
運動部だった人は当時の感覚のままよく考えずハイカロリーな大盛りメニューを頼みガツガツ食べるイメージだったので、スープにサンドイッチにサラダやカットフルーツなんてOLのようなメニューなのが意外だった。
「おれの研修もですけど、よくそれで藤川先生受け入れてくれましたね」
「うん、まあ、感謝はしてるんですけどね」
妹が作ってくれた弁当の卵焼きを蓋に取って、食堂備え付けの醤油をかける。妹の優明(ゆめ)が作る卵焼きはいつも甘い。
「そういえば小曽川さん、先生のことだらしないって言ってたけどそれってやっぱプライベート的な面の話ですか」
あ、この人、結構会話の細かいとこまで覚えてられるんだな、と思った。さすが警察官、怖い。
「あんまり大きな声じゃ言えないけどそう思ってくれていいよ。てゆうか、長谷くんにおれ、警告しとかなきゃいけないかも」
「え?」
多分、長谷くん狙われる。性的な意味で。
いや、言えないよそんなこと。
でも、帰宅してから「やっぱり言えばよかったなあ」と後悔している。
素直で優しそうな感じとか、顔立ちもはっきりしてて、アスリート体型で体力ありそうなとこ、絶対に今まであの人が関わったことないタイプだろうし、欲しがるだろうな。性的な意味で。
「あの先生とは本当、仕事上の遣り取りとか付き合いに徹したほうがいいよ。仕事以外のことでなんか誘われてたらうまいこと回避するか、誰か巻き込んだほうがいいと思う。…仕事でも二人きりになるのは避けたほうがいいと思う。」
長谷くんはいまいちピンとこないようだったが、さわやかな顔で「はい、わかりました」と応えた。
他愛のない話題に切り替えて食事は続いたけど、その間もこのあとのどうしようかと考えていた。
普段は学内の職員でさえ来るのを忌避し、授業後とゼミ以外は学生も来させないのにはそれなりのまずい理由がある。
おれは本当は賑喧しい人ごみは得意じゃないので、普段は自分のデスクで弁当を食べている。藤川先生の部屋に誰かが来た気配があったとて、大して気にしない。同じフロアの空いている他の部屋で食べるだけだ。
しかし、外部から見学に来た人間に、そのまずい理由を知られたくない。なので、集計作業を途中で投げて長谷くんを学食に誘い出した。
おそらく藤川先生は苛立っていた。今頃、あの部屋に誰か誘い込んでセックスしてる。
但、
午後の2枠は行為での消耗は見せず完璧にこなすだろう。
あぁ、授業態度については長谷くんに言わなきゃな。
授業後の仕事も、他の法医の先生や助手呼んだりしてどうにかしてこなす筈。
でも多分、自室での仕事はフロアを人払いして完全に独りでやりたがるだろう。
しょうがない、費用集計は持ち帰って家でやろう。溜まると面倒だ。
弁当箱を片付け始めると長谷くんが席を立った。
「小曽川さん、このあとどうしますか」
「ん〜、おれは準備あるからこのまま教務寄って機材申し込んでこようかな」
少し身を屈めて覗きこむようにして、目線を合わせて優しく微笑んでこちらに語りかける。
「おれでよかったら、何かお手伝いできることあればご一緒しますよ」
「や、いやいや、お気遣いありがとうございます、大丈夫、大丈夫」
焦った。
あの人には絶対にそんなことしたらダメだよ。
長谷くん。おれの話、理解できてるかなあ。
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