家族、そして母 ~高校入学から逮捕、母の病気~

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それから僕は単車と呼ばれる400㏄のバイクを購入し、それを改造して他の暴走族と一緒に暴走行為を繰り返す。 一緒に暴走族になろうと決めた友達も、なんだかんだ暴走族をやめることはせずに一緒に暴走行為をしていた。 それから僕たちのチームも人数が少しだけ増え、総勢で6人になる。 そして、小さな暴走族ではあるが、僕は「総長」と呼ばれるチームで1番上の存在になった。 だが、前回の件もあり、本質的に僕は彼らとは仲良くできない。 同じチームにいるとはいえ、少しずつ一緒に行動することは少なくなっていった。 その間、他のチームの人たちとも仲良くなっていき、僕はチームの中では単独行動になっていく。 1人でバイクに乗り、1人で暴走行為をすることも多くあった。 パトカーに追われ、迷惑行為を繰り返す。 怖いと思うこともこの時はなかった。 目立つこと。 有名になること。 それだけを考える毎日。 特に僕たちのチームは6人と他のチームに比べ人数が少ない。 そして他のチームはもっと早くから暴走族に所属している人ばかりなので、僕たちのチームはどうしても格下に扱われてしまう。 それが嫌で嫌でたまらなかった。 僕は喧嘩が強くない。 喧嘩じゃ1番になれない。 じゃあ何なら1番になれるのか。 それは不良界隈でよく使われる意味の分からない「気合」というもの。 現に1番になれたか。 1番にはなれなかった。 だが、少しでも負けじと毎日暴走行為を繰り返した。 そして、18歳になる年の5月。 とうとう僕にとって大きな出来事が起こった。 朝方のことだ。 当時僕は肉体労働の日払いの派遣で働いていた。 この日は休み。 前の日の晩、遅くまで遊び回り自分の部屋で寝ていた。 仕事が無ければ誰かに起こされることもない。 だが、この日は違った。 誰かの声がする。 誰かが僕を起こしている。 目を開け周りを見渡すと、知らないおじさんが数名立っていた。 中には見覚えがある人もいる。 警察だった。 「屋梨、迎えに来たぞ。何の件かは分かっとるよな?」 僕には心当たりがあった。 とうとう来たか…。 僕はいつかは捕まるだろう、そう思っていたので覚悟はできていた。 罪状は「共同危険行為」といって、集団で暴走行為で行った場合はこう呼ばれる。 家宅捜索の令状もあるので、部屋の中を隅々まで見回され、その後2階にある自分の部屋から玄関へと向かった。 玄関に着き外へと促される時、ふと頭の中によぎる。 よく考えると母の姿と見ていない。 たまらず警察に聞いた。 「母ちゃんは?」 すると警察はすぐ答えた。 「お母さんなら台所にいるぞ。心配しとったから一言挨拶してこい。俺もついていくから。」 そう言われ、僕は一緒に台所へと向かった。 台所に行くと母の姿がある。 背を向け、キッチンに向かい何か料理をしている。 「母ちゃんごめん、俺捕まった。行ってくるけん。」 それだけ言うと、母は背を向けたまま答えた。 「行ってらっしゃい!頑張っておいで!」 元気のよい声。 僕は思った。 「良かった、母ちゃん元気やん。」と。 「行ってきます」とだけ僕は言って、玄関に行き、逮捕状を見せられ人生初めての手錠を付けられる。 警察の車に乗り込むと、横の警察から言われた。 「屋梨、お母さん泣きよったぞ。あんまり心配かけるなよ。」 母は僕に一生懸命涙を見せまいと背を向けていた。 悟られまいと元気な声で僕を見送った。 だが、僕はそんなことすら気付けなかった。 警察の車に乗り、走ること約30分。 警察署に到着した。 軽く取調室で話をし指紋や顔写真を取った後、僕は留置場へと連れていかれる。 だが、僕が収容される留置場はここではない。 実は、今回の事件はすでに現行犯で1人逮捕されている。 僕は別件で任意で取り調べを受けている際に、この事件のことを一度聞かれていた。 その時はしらばっくれていたが、もうすでに1人逮捕されているのでいつか捕まるだろうと思っていた。 上に書いていたいつか捕まるだろうと思っていた理由がこれである。 基本的に共犯と一緒の留置場に収容されることはないので、僕はここから車で1時間程走った遠い場所に収容されることになった。 収容される警察署へ着き、留置場へと連れていかれる。 初めての経験で初めての場所。 重い鉄格子の扉を開け部屋へと入る。 畳が四畳半に敷かれたコンクリート壁の小さな部屋。 部屋の奥にはトイレがあり、外からも見えるようになっている。 窓などはなく、あるのは扉の横にある食事などを入れる小さな食器口だけ。 時計なども設置されていない。 初めての経験が故に息詰まる。 本も3冊まで部屋に持ち込めるが、本を交換できるのは1日1回だけ。 当時、一般の書籍などを読んだことが無かった僕は、漫画本しか読まない。 読み終わるのも一瞬だ。 時間がとてつもなく長く感じる。 そして周りも静か。 自然と考え込むことも多くなり、不安に陥ってしまう。 母は、家族は、みんなは何してるだろうか。 母は泣いていたというが、今頃心配してるだろう。 大丈夫だろうか。 この時逮捕された後にやっと事の重大さに気付くことになる。 そして、長く感じる時間の中、やっと1日が終わり就寝の時間になった。 初日は全く眠ることができなかった。 翌日、朝から家庭裁判所へ連れていかれ、僕の拘留が決まる。 その日を含めた10日間。 そして、本格的な取調べが始まった。 取調べは思ったよりもきつい。 ドラマなどで見る部屋に警察と2人で事件について様々なことを聞かれる。 暴走族の決まりで、共犯者のことは言えない。 だが、僕の場合はすでに何人か呼び出されていて、その共犯のことだけ話し、後はごまかしながら話す。 だが、所詮子供の考える浅知恵。 話の辻褄が合わなくなっていく。 警察の巧みな尋問にストレスが溜まっていく。 僕は初日で精神的に弱っていた。 だが拘留初日のこの日、僕に面会が来てくれた。 母だった。 厚いアクリル板に遮られ、逮捕されて初めて母と向き合う。 時間は15分程度しかない。 しっかりとした話もできないが、顔を見るだけで安心した。 そして、実は初日は婆ちゃんも一緒に来てくれたらしい。 ただ、「接見禁止」といって共犯者がいて証拠隠滅の恐れがあるとみなされた僕は外部との接触を禁止されている。 その中で父と母の2人だけが面会することを許されていた。 婆ちゃんは面会することができず、1人で部屋の外に待っていたらしい。 僕は2人の気持ちを考えると、ごめんとしか言えなかった。 だが、母はいつも通り優しく笑顔で僕と接してくれる。 僕も心配かけまいと、少しでも明るく振舞う。 そして、15分という短い時間はあっという間に終わる。 僕の居る留置場は家から遠く離れた場所にある。 車の免許を持っていない母は、バスや電車を乗り継ぎ約2時間近くかけて僕の元まで来てくれる。 それからも15分という短い時間のために、ほぼ毎日のように僕に会いに来てくれた。 10日間という時間は外に居ればすぐに経つが、中にいればものすごく長い時間。 毎日のように母のことを考えた。 一緒についてきてくれた婆ちゃんのことを考えた。 家族のことを考えた。 これまでも母や家族のことを考えたことはある。 だが、ここまで真剣に向き合ったのは初めてだった。 遊んでいた友達のことを考える余裕なんて正直無い。 そして、10日間の取調べの時間が終わった。 この後僕は少年鑑別所という施設へと移されることになる。
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