家族、そして母 ~高校入学から逮捕、母の病気~

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少年鑑別所とはどんな所なのか。 そんな不安を抱きながら車に揺られ向かっていく。 そして、少年鑑別所に到着した。 外から見ると保育園のような施設。 中に通されると、そのまま手荷物検査、身体検査に入る。 その後、お偉いさんの部屋に連れていかれ軽い挨拶を交わし、これからの生活の簡単な説明を受ける。 期間は概ね4週間。 少年審判と呼ばれ、大人でいう裁判までの期間をここで生活することになる。 説明が終わると単独室と呼ばれる1人で過ごす部屋へと向かった。 部屋の広さは畳3畳ほどの小さな部屋。 奥にむき出しのトイレがある。 布団と机、小さなテレビも設置されており、出られないように鉄格子が付いているが窓もある。 留置場に比べて生活感があり、雰囲気も明るい。 何かほっとした。 最初にビデオで鑑別所の生活について見せられた時、久しぶりにテレビで映像を見れたことで感動した程であった。 鑑別所は、決まった時間にある貼り絵、読書の時間、先生(鑑別所では教官のことを先生という)との面談、軽い運動のほかに、昼の12時から13時までの1時間、夜の19時から20時までの1時間に決まった番組表だがテレビを見ることができる。 思ったよりも自由に過ごすことができ、暇な時間も少ない。 よって特に苦に感じることはなかった。 ちなみにだが、ここで僕は初めて本を読むことになる。 鑑別所は漫画本がなく、字ばかりで並んだ書籍しか置いていない。 本を読んだことがないという旨を先生に伝えると、「五体不満足」を勧められ、 「読みやすいから読んでみな。意外と本も面白いぞ。」 と言われて、初めて1冊全部読み切った。 それからも数冊だが勧められた読みやすい本を読み、日記の時間や書き物の時間もあったことから文章について少しだけだが興味を持ち始めたのがこの頃だったと思う。 そして単独室で2~3日程生活した後、集団部屋へと移動することになった。 集団部屋は結構広い。 8畳程の部屋で数人で生活し、多い時は最大6人で生活することになる。 僕がいた時は3人ほどで生活していた。 騒がしくすることは許されないが、貼り絵など決まった時間じゃない限り特に私語を注意されることもない。 僕は意外と仲良く楽しく生活することができた。 そんな中、僕は逮捕されてここ鑑別所で涙を流した。 逮捕されてからというよりも、ここ数年で初めてかもしれない。 僕は逮捕される以前から虫歯を患っていた。 放っておいた僕が悪いのだが、だんだんとひどくなり激痛が走る。 だが、鑑別所では外部からの薬の差し入れは持病などではない限り基本禁止されており、鑑別所の内の医務で処方された薬しか投薬できない。 よって、歯が痛いと言ってもらえるのはうがい薬のイソジンのみだ。 イソジンで痛い部位をうがいするが、当然そんなことで痛みが引くはずもない。 決まり事である故に僕も仕方がないと思って我慢していたが、とうとう歯茎が膿んで腫れあがった。 虫歯が前歯であったこともあり、顔はカリメロのようになっていた。 集団部屋の人たちも心配する。 もちろん鑑別所の先生たちも心配してくれる。 そして僕は食事もできなくなり、あまりの激痛で起きていることも困難になってしまい、単独室へと移してもらった。 1日中横になり、痛みとの闘い。 何度もイソジンをもらいうがいする。 だが痛みは引かない。 とはいっても、基本的に鑑別所は外部での治療は許されない。 よって外に出るまで我慢しなければならない。 だが、僕はまだ鑑別所に来て1週間足らず。 後3週間はある。 単独室で横になりうずくまっていると、先生が部屋へとやってきた。 「屋梨、大丈夫か?来週の月曜に特別に外出許可をもらって歯医者さんに行けるようになったから。ごめんけどそれまで辛抱してくれな。」 基本的に鑑別所の先生は優しい。 ここは更生施設ではないため、とりわけ厳しい訳ではない。 あくまでも審判まで収容する施設だからだ。 僕は返事をし、また横になった。 その日は金曜日。 後今日と土日を我慢すれば歯医者に行ける。 だが、もう僕は痛みの限界。 眠ることさえできない。 すると、またすぐにさっきの先生が部屋へと来た。 「ちょっとあまりに腫れがひどいから歯医者さんに頼んだら今から来ていいって。準備ができ次第すぐ迎えに来るからね。それまで待っててな。」 僕は安心した。 だが、感謝とかそんなことを思う余裕はまだその時にはない。 とりあえず今この痛みから解放されたい。 それだけだった。 それから10分程経ってからだろうか。 部屋に迎えが来て、そのまま僕は手錠をかけられ車に乗り込み歯医者へと連れていってもらった。 外の景色を楽しむ余裕なんかない。 痛みに耐えうつむいていると、思いのほかすぐに歯医者へと到着した。 歯医者の先生が僕を見るとすぐに言った。 「こりゃひどいな。痛かったろう?よくここまで我慢したな。よし、切ろう。」 いつもの僕なら「切る」なんて言葉を聞くだけで怖くなるのだが、その時は怖いとも思わない。 診察台に横になり治療が始まる。 まずは注射器を取り出し、局部麻酔を打つ。 麻酔を打つと激痛がスッと引く。 そしてメスを入れられ膿を出す。 麻酔を打っているとはいえ、膿を出す時は溜まっている部分を押されるため痛い。 だが、それまでの痛みに比べると大したことない。 そしてメスを入れた場所を縫い合わせ治療が終わった。 お礼を言い、痛み止めと化膿止めの薬をもらった後、車に乗り込みまた鑑別所へと戻る。 それまでの激痛が嘘のように引いていた。 その時やっと感謝する余裕も出てくる。 だがその反面、それまで寝ていないのと精神的に弱っていたこと、僕はこの数日間だけで気持ちがいっぱいいっぱいになっていた。 いくら強がっていても、当時はまだ子供だったんだろうと思う。 そして、鑑別所に到着すると、先生が僕の元へやってくると面会が来ていると伝えられる。 母だった。 時間も夕方に差し掛かっていたことで、面会時間の締め切りもぎりぎりだ。 部屋に戻る前にこのまま面会に行こうと伝えられ、そのまま面会室へと向かった。 金曜日だったために、母が面会に来るだろうとは思っていた。 土日は面会ができないからだ。 母が前回来たときは週の初め。 まだ僕の腫れあがった顔を見ていない。 治療して膿を出したとはいえ、腫れが引くのには数日かかる。 なんて思うだろうか。 絶対心配するだろう。 母のことを考えていると、会う前から涙が込みあがってくる。 僕が居た鑑別所は面会の時間に差し入れでジュースが飲める。 そして、留置場のようにアクリル板もなく、向い合わせに座り、顔もはっきりと見える。 僕が先に面会室で待っていると、外から声が聞こえ始めて扉が開く。 ジュースをハンカチに包み手で抱きかかえ、いつもの優しい笑顔で母が入ってきた。 先生曰く待合室でだいぶ待っていたらしく、母としてはやっと順番が回ってきて僕と会えることに喜んでいたのだろうと思う。 だが、僕の顔を見るとすぐに母の顔色が変わる。 はっとした顔で驚き、心配した時の母の顔で僕を見たのが分かった。 その母の顔を見た瞬間、僕はこみ上げていた涙が溢れて止まらなくなった。 泣きすぎて声を発することもできない。 そして、やっとの思いで言葉を発する。 「ごめんなさい、ごめんなさい」 同じ言葉を繰り返した。 それを言うだけで精いっぱいだった。 母も涙を流しながら胸の前に拳を握りしめながら言う。 「うん、敏日旅。頑張れ、頑張れ!」 精神的にも疲れていた僕。 母の顔を見て安心した気持ち。 母に心配かけてしまった気持ち。 今までちゃんと謝れなかった気持ち。 いろいろ混ざって最後まで涙が止まらなかった。 面会に立ち会ってくれた先生が今日のことを説明してくれ、涙を流す母が少し安心して先生にお礼を言ったところでタイマーの音が聞こえる。 面会の時間は終了した。 母が面会室から出ていく時に僕に「頑張れ!」と拳を握り、僕もそれに応えて手を振る。 その後、僕は部屋に戻り一人になった。 一人になると、母のことばかり考える。 最後まで僕が泣きながら面会が終わったことで、今も母は心配してるだろう。 土日挟んで2日会えないことで、この2日間ずっと心配し続けるだろう。 次の面会ではちゃんと安心できるように元気な顔を見せよう。 そんなことを思い頭の中は一杯だったが、横になると一瞬で眠気に襲われ、数日振りにゆっくり眠った。
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