家族、そして母 ~高校入学から逮捕、母の病気~

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それから僕は土日を単独室で過ごした後、月曜日の午前中に再度歯医者へと連れていってもらう。 腫れもだいぶ引き、抜糸をしてもらうことに。 痛みも落ち着き再度鑑別所へと戻ると、母が面会に来ていた。 午前中の早い時間に面会に来てくれたということは、心配していたことの表れだったのだろう。 母は僕の顔を見ると安心した顔をし、これまで通りの当たり前の会話を交わして面会は終了した。 終始「良かった」と言葉にする母。 先生に頭を下げ「本当にありがとうございます」と感謝の言葉をかけ続けている母。 もう心配は掛けてはいけない。 そう心に誓っていた。 それからの鑑別所での生活は、特に何もなく過ごすことができた。 抜糸が済んだ翌日から再度集団部屋へと移り、鑑別所の日課を淡々と過ごす日々。 そして、4週間目にある僕の少年審判の日が訪れた。 この少年審判では、更生施設である少年院に送られる少年院送致、事件性が重く少年審判ではなく再度刑事裁判を受けることになる検察官送致、一旦社会に出て生活をすることができる保護観察処分や試験観察処分、不処分が決定される。 僕の審判は午後最初だった。 鑑別所から車で家庭裁判所へと向かう。 少年院送致になればもう1度鑑別所へと戻され、基本早くて半年、長ければ1年近く社会に出られない。 逮捕されたのも初めてであり、みんなは外に出られるだろう、と言ってくれていたが審判が終わるまでは分からない。 内心ドキドキしていた。 僕の順番が来ると審判の部屋に通され、その後、僕の身元引受人である父と母、そして裁判官の順番で入ってくる。 父と母が部屋に通されると僕の横に座り、僕は2人にお辞儀をし、母と目が合い、神妙な面持ちで頷き合った。 裁判官が入室し、審判が始まる。 裁判官との質疑応答を繰り返し、僕は思ったよりもきつい言葉を投げかけられた。 もしかすると少年院送致の可能性もあるのでは、と頭によぎる。 一生懸命に答える僕の横でずっと母は俯いていた。 そして僕の処分の決定が言い渡される。 試験観察処分、というものだった。 試験観察処分とは、保護観察処分よりも重い。 一定期間社会で生活をし、その間家庭裁判所の調査官と呼ばれる人がこれからの僕の行動などを調査した上でもう一度審判が行われる。 保護観察処分は保護観察所に監督下が移り、それが最終的な処分として社会に出ることになるが、試験観察処分は家庭裁判所の監督下の元に社会に出ることになる。 処分としては決定というよりも一時保留。 少年院送致か保護観察処分かを悩んでいるケースなどにこの試験観察処分になることが多い。 僕はとりあえず、という形で社会に出れることになった。 僕と母はとりあえずでも社会に出れることを喜んだ。 久しぶりに自由になり、父の車で3人で家に帰る。 帰宅すると爺ちゃん、婆ちゃんの姿もあり、みんな僕を温かく迎えてくれた。 「おかえり。」 その言葉を聞けるだけでも僕は幸せだ。 僕はそれから再び仕事を探し、真面目になって歩んでいこうと決めた。 試験観察には遵守事項がある。 非行から断つために関係性、生活習慣、全てを改めること。 学生じゃない僕は仕事に真面目に取り組むこと。 毎日何時に起き、何をして何時に寝たか、何を考えたかを書いて、2週間に1度、調査官との面談で提出して話すこと。 遵守事項も期間も人によって違うのだが、僕はこのようなことを守り、半年間という期間を定められることになる。 仕事も以前働いていた外仕事の人材派遣の会社に勤めさせてもらい、毎日真面目に働き、それまでに遊んでいた友達とも遊ぶ機会も少なくなっていた。 だが、現実問題、そんなに甘いものではなかった。 僕は小さいながらも暴走族の総長。 地元に帰ってくれば僕を知っている人もたくさんいる。 ちやほやされていた過去がある。 僕は過去の栄光を捨てきれずにいた。 名残惜しかった。 まだ全てをやり切れていないと思う自分がいたのだ。 志半ばといってはおかしな話だが、僕はまだ不完全燃焼だった。 もう捕まりたくない。 もう母を悲しませてはいけない。 裏切ってはいけない。 いろんな思いがあった中、全てを裏切り僕は再びバイクにまたがり暴走族の総長として走り出してしまった。 後ろめたい気持ちがある自分。 この時は何をしても怖かった。 パトカーに追われても、電話がかかってきて暴走の誘いが来ても、いかなる時でもいつも不安でびくびくしながらバイクに乗っている。 だが、虚勢を張らなくてはいけない自分もいる。 1度バイクにまたがれば、屋梨が戻ってきたと言われた。 その不良界隈で少しでも強い自分を作り上げるために、自分に嘘を付き、そして母に嘘を付き、家族をみんなを裏切ってしまった。 そして、調査官との面談のために家庭裁判所へ向かう日。 この時、すでに鑑別所を出て約3カ月が経つ。 いつも通り提出物を出し、僕と母で調査官と面談をしていた。 「敏日旅君、こんなこと聞きたくないがもうあなたバイクには乗っていないよね?悪いこともうしてないよね?」 調査官に突如聞かれた。 だが僕はとっさに「乗ってない。」と嘘を付く。 内心やばいと思った。 火のない所に煙は立たぬ、というがその通りだ。 僕がなにか言い訳を言おうとした時、それよりも先に母が口を開いた。 「敏日旅はバイクには乗ってません。仕事も毎日しているし、毎日疲れて帰ってきています。そんなことをする暇も体力もないと思います」 母は事実は何も知らない。 真剣な眼差しで、一生懸命に反論してくれる。 すると調査官もまた僕に質問をする。 「じゃあいいんですけどね。敏日旅くん、本当に乗ってない?そんな報告が私のとこに来てるんだけど」 僕は最後まで「乗ってない」の一点張りだった。 それから家庭裁判所を後にし、母と2人で車で帰宅していた。 原付の免許しか持っていなかった母は、僕が捕まってから車の免許を取りに行っている。 僕が道交法で捕まり免許が5年間取れなくなったことで、僕がこれから仕事をする上で困るかもしれないからと言って45歳にして車の免許を取得してくれていた。 帰りの車の中で僕たちは無言のままだった。 何か話そうと思うが、さっきの調査官とのやり取りで言葉を発することもできない。 「何も言えない」、これが調査官の言葉に対する答えだった。 すると母が口を開いた。 「敏日旅お腹空かない?お母さんお腹空いちゃった。どっかでご飯食べて帰らん?」 僕は正直少しもお腹が空いていなかった。 母も同じだったと思う。 ただ、僕も母も家に帰るまでにさっきのことをきちんと話しておきたかった、整理しておきたかった。 僕がお腹空いたと言うと、2人で小さい頃によく家族で行っていたうどん屋へと向かった。 うどん屋に着き、暖簾をくぐり畳の上の座席に向い合せで座る。 各々注文をし、その後、母から口を開く。 「大体おかしいよね?あんたがバイクに乗るわけないやん!この前鑑別所であんな辛い目にあったとに。ねえ?敏日旅、あんたバイクに乗ってないもんね?」 母はこの時も一生懸命に話す時の癖で俯き加減で僕に問いかける。 自分が安心できるように自分自身にも問いかけ、僕の口から出る言葉に対しても不安を抱いている、そんな風に見えた。 だが僕は「乗っていない。」としか答えない。 母はそれからも気持ちが落ち着かない様子で、ずっとさっきの話が何かの間違いだったという旨のことを話し続ける。 その後、うどんを食べ終わり言葉少なめに家へと着いた。 そして、それから数日後のことだった。
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