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時は2006年9月某日。
前日は台風ということもあり僕は家に居た。
僕は片頭痛持ちで普段は自分の部屋で寝るのだが、その日は片頭痛がひどく二階にある自分の部屋へと上がる気力もなかった僕は、みんなが居る部屋で眠っていた。
誰に起こされたのかは分からない。
だが、僕が起きた時にすぐに目に入ったのは家族ではなかった。
「〇月〇日の件だ。行くぞ。」
その言葉だけが耳に入った。
薬も飲んで熟睡していたせいか、何が起こったのかすぐに把握できない。
そして周りを見渡す。
すると婆ちゃんが誰かと話しながら何か紙にサインしている。
そして見たことあるおじさんが数人立っている。
この光景は目にしたことがある。
警察だった。
起き上がり服を着替えさせられ、僕は今何が起きているのかやっと理解できた。
僕は前回とは違いまだ覚悟ができていない。
逃げ出そうとも考えた。
「腹が痛いからトイレに行かせてくれ」
そう伝え窓から逃げようとも試みたが、当然警察はついてきて窓の外にも警察が回っていく。
もう無理だ。
応じるしかない。
僕は何も喋る気力もなく、諦めたように玄関へと向かった。
だが母の姿が無い。
母に謝りたい。
母と話したい。
警察に聞くと、母は出かけていて家にはいないと言う。
「母ちゃんが帰って来るまで待てんよね?」
そう聞いてみるが、「ごめんけどそれは無理だ。」と言われる。
僕はうな垂れ玄関を出ようとした。
その時、最後に「行ってきます」と言おうと後ろを向くと、婆ちゃんの姿があった。
心配そうな顔をして、だがそれを隠すように微笑みかけてくれている。
婆ちゃんは言葉少なく、自分の感情をあまり表に出さない物静かな人だった。
いつも優しく僕たちを見守ってくれている、そんな人だ。
何より娘である母を心配して、孫である僕たちを可愛がってくれる。
小さい頃から一緒に住んでいて育ててくれた婆ちゃんは、僕にとって母と変わらないくらい大好きだった。
「ごめん、婆ちゃん。行ってきます。」
申し訳なさそうに僕が言うと、婆ちゃんが答えた。
「行ってらっしゃい。頑張っておいで。」
優しい言葉遣い。
僕が前回逮捕された時に母に言われた言葉と同じ言葉をかけてくれた。
僕は婆ちゃんの顔を直視することができなかった。
それから僕は車に警察の車に乗り込み警察署へと向かった。
前回と同様の罪、共同危険行為。
しかも今回は逮捕されたのは僕が一番最初。
この暴走を主催したのも僕。
よって主犯は僕だ。
これから生活することになる留置場は、前回とは違い事件を扱う警察署になる。
それから取調べが始まった。
翌日家庭裁判所から10日間の拘留を言い渡されると、すぐに母が面会へと来てくれた。
だが、僕は母を裏切っている。
しっかりと母を見ることができない。
「ごめん。」としか言えない。
母が何か言っているが、後ろめたさで何も頭に入ってこない。
よそよそしい面会が続く。
取調べも僕以外が捕まっていないことで、何一言喋らなかった。
何を聞かれても無言を貫き通す。
そのことで代わり替わりで警察が入ってくる。
脅しをかけられ、時には強い口調で言われる時もあった。
だが、もうどうせ僕は少年院は免れない。
最後の意地だった。
少年院に入って1年経てば僕はもう19歳。
こんなことをするのもこれで最後だ。
自分の中で取調べを受けながら、ここで不良という人生にはピリオドを打とう、そう思っていた。
そして何も話さないことで拘留延長が言い渡される。
10日間の延長。
これも承知の上だった。
その中で、面会でも母とちゃんと話せない日が続いていく。
厳しい取調べの中、僕は母が来てくれても何も返答することができなくなっていた。
子供だった僕は、自分の精神的苦痛が全て表に出てしまう。
本当は母とちゃんと話したいし、申し訳ない思いを伝えたい。
だが、母が好きであり母の優しさに甘えてしまう自分がいるが故に素直に応えられない自分がいる。
そしてそれから母に代わり面会に父が来てくれるようになった。
だが、僕が父に対する態度も変わらない。
「お母さんが疲れている」
それだけ言っていた。
父は母と違い、今の状況を現実的に話す。
ただ頷き、僕は父が言うことをただ聞いていた。
そして無言でほとんど誰とも話さないまま取調べは終わり、20日間の留置場の生活を終え再び少年鑑別所に送られることになった。
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