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鑑別所に着くと、前回からあまり時間が経っていないせいか、先生たちからもう戻ってきたのかと言われる。
「今回は厳しいぞ。覚悟しといたがいいぞ。」
そう言われ、僕は再び鑑別所での生活が始まった。
前回も話した通り、鑑別所の生活は留置場よりも全然楽だ。
明るい雰囲気でしかも同年代の人たちばかりということで、少しずつ精神的にも落ち着いてくる。
僕も口を開けるようになり、みんなと話せるようになっていった。
面会に来てくれる母とも留置場では話せなかったようなことが話すことができる。
だがその中で、母は1%にも満たない確率を願って、少年院送致を免れてほしい。
それに向けて必死だった。
そして1度だけ母のことで僕は家庭裁判所の調査官と喧嘩をしたことがあった。
元々僕は前回にもこの調査官と少しだけだが言い合いになったことがある。
原因は言葉遣い。
敬語がどうしても癖で方言が混ざってしまう。
そのことで、反省が足りない、とよく注意されていた。
今考えれば、反省が足りていなかったのも事実だし、きちんとした言葉で話そうとしていなかったことも事実。
だが子供の僕はどうしても反発してしまう。
調査官のことをいけ好かなく思っていた。
そしてこの時の原因は母のこと。
「あんたのお母さんがねぇ、僕のとこに写真持ってくるんだよ。祭りの写真とか小さい頃の写真。今度祭りがあるんだろ?その祭りに君が必要とか、小さい頃は頑張っていたとか。ちょっとねぇ…。過保護すぎというか、君のお母さんちょっとおかしいんじゃないと思って」
僕はその言葉に腹が立ち、強い口調で言い返した。
「あんたにそんなこと言われたくないんやけど。母ちゃんのことは関係ないやんか!お前に何で母ちゃんのこと言われないかんのか!?」
現実、母がどういったことを調査官と話していたかは何も知らない。
当時の母を考えると、僕のことで一生懸命すぎて的外れなこと、関係のないことを言っていたのかもしれない。
もしかすると僕のことで喧嘩になったこともあるのかもしれない。
そして僕とは、前回も鑑別所にいる間に注意され言い合いになってること、態度が良くなかったこと、そして今回も反省せず犯罪を繰り返したこと、僕のことを良く思ってなかったのかもしれない。
様々な経緯から調査官の言葉は出たのだろうと思う。
その後、調査官から面談の中止を言い渡された。
それからの生活はもう時間が過ぎるのを待つだけだった。
母は変わらず面会に来てくれる。
だが、少しでも心配掛けたくなかったから、少年院は覚悟している、という旨の言葉を伝え続けた。
だが母は言う。
「そう言わんで。まだ大丈夫かもしれんやん。敏日旅は今度は絶対頑張るよ」
僕の覚悟とは反対に母はまだ諦めきれなかったのだろう。
実際には、母も覚悟はしていたと思う。
だが、僕にとっても1年は長いが、外で待つ側の母にとってはその1年は僕が想像しているよりも長かったのかもしれない。
そして、少年院がどんな場所か分からない母にとって、不安でたまらなかったのだろう。
あっという間に時間は過ぎていき、とうとう審判の日を迎えた。
審判当日。
僕は午後の1番最後の時間だった。
時間が遅ければ遅い程審判の処分が重い。
そう言われていた。
車に乗り込み家庭裁判所へと向かう。
だが、前回のように出れるという見込みはほぼ無い。
2回目ということで少年院送致の可能性が高い。
尚且つ僕は試験観察中であり、前回の処分も保留のまま。
もう少年院送致は確実であろう。
そう思っていた。
そして、家庭裁判所に着き、僕の審判の時間になる。
部屋に入ると前回同様、父と母が入室してくる。
笑顔はない。
だが、母はハンカチを手に持ち、僕の顔を見て強い顔で頷いた。
頑張ろう、1%に賭けよう、そんな顔だった。
中にいる僕と母の想いは全く違うものだったと思う。
僕はもう少年院に行くとしか思っていない。
母は最後まで当日まで不安で、処分が決まるまで眠れなかったかもしれない。
今日という日までたくさん動き回ってくれただろう。
そして審判が始まった。
前回以上に厳しい言葉が続く。
質疑応答も僕は最初は淡々と答えていく。
言葉の節々にも少年院という言葉も混ざってくる。
もう確実だ。
そう思った時だった。
鼻をすする音が聞こえてくる。
横を見ると母が涙を流していた。
その顔を見て、質問に答える僕も涙が出てきてしまった。
少しでも出たい。
僕のためじゃない。
母のために帰りたい。
それから僕は裁判官の質問に対して少しでもと思い、涙ながらに一生懸命に答えていく。
僕も1%の可能性に賭けようと思った瞬間でもあった。
だが、処分はそんな簡単に覆ることはない。
僕に言い渡された処分は「中等少年院送致」だった。
処分が決まると、父と母が退出する。
僕は2人に頭を下げ、処分を受け止め、言われるがままに退出した後、鑑別所へと戻った。
翌日、母が鑑別所へと面会に来てくれた。
少年院に送られるまで約2、3日の猶予がある。
その日は僕も母もいつもよりも清々しい顔で話すことができた。
これからのこと、少年院での生活のこと、今日までちゃんと話せなかったことを前向きに話せた最初の日でもあったと思う。
処分が決まったことで1年間は帰ることができない。
1年間頑張ろう。
そして、帰ってきた時に不良として歩んできた道とはおさらばしよう。
その後、僕が行く少年院が決まり、そのまま送られることになった。
だが、この少年院生活の中で、僕にとって、母にとって、家族にとって大きな出来事が起きてしまう。
僕はこのことを今でも、これから先の人生でも一生償いきれない。
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