家族、そして母 ~高校入学から逮捕、母の病気~

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僕は何か嫌な予感がしていた。 外の様子は中にいる僕には分からない。 父は重苦しい顔をしながら頭を下げた後、僕の向かいにある椅子に座った。 そして軽い挨拶のような言葉を交わし、それから父がまた口を開き始める。 「実はお母さんが入院した。血を吐いて病院に連れていったら、お母さんは結核という病気らしい。ただ結核と似た病気だけど人にうつらない結核らしく、今はまだ検査中で隔離病棟で1人で入院してる」 頭が真っ白になって言葉を失った。 何も返答することができない。 父は基本いつも冷静で、結論をしっかりと伝えてくれる。 だが、その時はその結論を聞くのが怖かった。 僕は思い切って聞いてみた。 「お母さん大丈夫と?助かると?命に別状ないと?」 死んでほしくない。 まだ母に何もできていない。 もう1回母と話をしたい。 父は言った。 「今のところ命には別状ないらしいから、敏日旅は心配せんで大丈夫。まずは自分のことを一生懸命頑張って、これから先のことを考えていたらいいから。」 心配掛けたくないが、真実を伝えなくてはいけない。 父も必死だったと思う。 だが僕はもう自分のことを頑張るとかそんなことは考えることができない。 僕が頑張ろうと思っていたのは家族がいて、そして母がいるから。 母が居ないこれからの人生なんて考えられない。 そして、少年院は誰が亡くなっても外へと出ることは許されない。 もし今母が亡くなったら僕は2度と母に謝るどころか話すことも会うことさえもできない。 正直、もうこれから先に何を話したのかは覚えていない。 他のことは考えることができなかった。 面会が終わり寮へと戻る。 出院準備の期間になると、集団寮で生活するが部屋は1人部屋になっている。 すぐに結核について調べようと、寮に置いてある本から医療の本を借りて自分の部屋に戻り調べた。 特に僕は介護科だったので、医療の本も持っている。 片っ端から調べ、辞書でも引いてみたりと何か情報はないかと見て回る。 だが、結核について詳しく書いてある本が無い。 僕は幕末の時代が好きだったので、歴史上の人物が結核で亡くなった人が多かったせいかなんとなくだけは分かっていた。 そのなんとなくと同様で、僕が調べる本には僕が知っているなんとなくの情報しか載っていない。 「昔は不治の病、だが今は特効薬ができたために命に関わるケースは少ない」 それを見ると安心するような気持ちにもなるが、でも実際の母を見ていない。 不安で胸が押しつぶされそうになっていく。 もう食事も喉に通らない。 何をしても集中できない。 寮の先生や中間期にお世話になった先生も僕を心配してくれ部屋まで来てくれる。 話せば少し安心できるものの、また1人になり夜になればもっと不安になる。 そうしている内に1通の手紙が届いた。 母からだった。 今入院していること。 まだ隔離病棟にいること。 そして病気が「非結核性抗酸菌症」という病気だということ。 最後に僕に会いに行けなくてごめん、ということ。 僕はその手紙を見て、急に涙が溢れて止まらなくなった。 父から母のことを聞いてから僕は涙は流していない。 母がまだ生きているということ。 そして優しい母の言葉。 溢れてくる母への気持ちが一瞬にして爆発した。 「僕はお母さんが大好きだ」 初めて言葉として手紙に書いた。 これまで伝えることができなかったこと、少しでも母に伝えたい。 不良になって初めて素直に母に伝えた時だった。 それから少しだけ月日が経ち、僕は出院準備の面談を迎えることになった。 出院まで1カ月近くになってくると、先生と親との3者面談が行われる。 今後の生活について話すのだが、母が入院中のために父が来てくれる。 3者面談は面会とは違い個室ではなく、広いホールでたくさんの席が設けられてみんなまとめて行われる。 時期にもよるだろうが、約10組ほどの家族が面談をするため、時間の都合上そうなってしまうのだろう。 1人ひとり指定された席に着き、みんな家族の到着を待っていた。 続々と人が入ってくる。 僕は父の姿がまだ見えないかと目を追っていた。 だが父の姿が見えない。 不安になっていると1人の女性の姿が目に入った。 母ちゃんだ。 僕は、ハッと驚き、こぶしを握ったのを今でも覚えている。 父を後ろ連れ、今という時を待っていたかのように母が入室してきた。 痩せ細り頬もこけて別人のような顔をしている。 だが表情は優しい顔で笑っている。 いつもと変わらない母。 手にハンカチを握り僕に小さく手を振ってきた。 その姿を見ると僕はすぐに俯いた。 また涙が出てくる。 ただ、みんながいるから悟られないようにして、そして母に悟られないよう、涙を拭き一生懸命にこらえる。 そして母が僕の所へ着くとすぐに言った。 「敏日旅、久しぶり。元気しとった?ごめんね、会いにこれんで」 声を聞くだけでまた涙が出てきた。 話せない。 僕は頷くだけだった。 「お母さん今日特別に外出許可貰ってお父さんに連れてきてもらったと。敏日旅ももうすぐやっと家に帰って来れるね。敏日旅、帰ってきたら何食べたい?」 自分の病気のことは言葉に出さずに僕のことばかり話してくれる。 「婆ちゃんが作ったカレーが食べたい」 思わず口に出た。 僕の家ではご飯の用意をしてくれるのは婆ちゃんだった。 だからこそ婆ちゃんが作ったいつもの料理を家族みんなで食べたくて。 3者面談が始まっても、少年院での成績が優秀だった僕を嬉しそうに聞いていた。 正直、少年院の成績が優秀なんてどうでもいいこと。 だが、母はそんな小さなことでも喜んでくれる。 考えてみれば僕が褒められたことも中学生以来かもしれない。 母は僕のことで病気になった。 非結核性抗酸菌症とは一種の感染症である。 だが、結核や他の感染症とは違い普段の生活の中でも空気中に菌は生存している。 普通の人はまず感染しない。 免疫力などが著しく落ちてしまった人が感染してしまう病気で、高齢の方や病気にかかり、免疫力が落ちてしまった人にかかりやすい病気である。 だがこの菌は感染力は弱いが、1度感染すると菌が消失しづらいらしい。 病にかかると当時の医療の力では完治することが難しいとのことだった。 母の場合は僕が心身ともに負担をかけてしまったが故にこの病気にかかってしまった。 この時は病気については詳しくはまだ僕も分かってはいない。 だが、僕が母に心配をかけすぎて病気になってしまったことだけは何となくだが分かっていた。 それだけ辛い思いをしていたのだろう。 だがそれでも自分よりも息子である僕を1番大切にしてくれ、僕のことを愛してくれた母。 この時の母の優しい笑顔はいつまでも忘れない。 そしてそれから1カ月余りして僕は少年院を出院することができた。 この時母も退院してこれまで通りの生活を送っていた。 治ることのない母の病気。 最後まで強く優しい僕たちの母だった。
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