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家族、そして母 ~母の闘病生活、ありがとう~
僕は少年院を出院後、地元を離れて仕事をすることになった。
父や母の勧めではない。
自分で決めたことだった。
同じ県内ではあるが、地元からは約40キロほど離れた町にある左官と呼ばれる業種の建設業の会社で働き始めた。
自動車の免許も持っていなかった僕は、同じ場所に約3年ほど住んで会社に勤務することになる。
そして、この頃になると家族とは頻繁に連絡を取り合い、以前の非行の道からは断つことができていた。
その後自動車の免許を取った僕は、今まで住んだアパートを引き払い、会社の都合で出張で他県に2年近く住むことになる。
この頃から少しずつ地元に対する気持ちが薄れ始め、知らない場所で人生を歩んでいくことに楽しみも覚え始めていくようになっていた。
だが、僕が更生してまっとうな道を歩んでいく反面、その間にも母は少しずつ病気は進行していく。
この間、主に母を看てくれていたのは弟だった。
弟は母方の実家に残り続けて母や祖父母の面倒も見てくれ、国立大学まで進学したのだが、実家から通える会社を選び、自分を犠牲にしてまでも1番に家族を大切にしてくれた。
そして、この頃の僕は家のことは全て弟に任せっきりで、自分の人生だけを歩んでいる。
母が途中で何度か入院することになったのだが、毎回連絡をくれるのは弟であった。
その後、僕は約2年間他県に住んでいたのだが、仕事が少なくなり僕は住んでいたアパートを引き払い、一旦実家から仕事に通うようになる。
久しぶりに戻ってきた地元ということもあって、普段は昔の友人たちとお酒を飲んで帰ることが多く、家に帰ることも少なかった。
仕事に行き、終わればどこかの店でお酒を飲んで帰る。
そんな生活をほぼ毎日と言っていい程送っていたのだが、ある日たまたま早い時間に家に帰ることになった。
この日お酒を飲まず家にいたのが何かの知らせだったのかもしれない。
久しぶりに家族と食事をして、ふと母を見る。
ただ、顔色が悪く覇気がない。
それまでにも母とは当然家に帰れば会っていたのだが、具合が悪いと思ったこともなかったのでゆっくりと母を見ることもなかった。
肩こりで辛いと言う母の肩を少しだけマッサージしていると、骨が浮き出ているほど痩せた姿にこの時やっと気付いた。
「母ちゃん大丈夫?きつくない?」
話しかけてもか細い声で母は「うん」とやっとの思いで言葉を発するだけ。
何か心配ではあったが、僕はそのまま自分の部屋に戻り眠りに付いた。
そして夜中の2時頃。
ふと目が覚めた。
いつもはこんな時間に目が覚めることはない。
僕は嫌な予感がしてみんなが居る部屋に降りていった。
すると電気が付いている。
襖を開けると爺ちゃんが慌てた様子で僕の目の前にいた。
「お母さんが、お母さんが倒れた。今救急車呼んだから」
険しい顔をして僕に伝えてくる。
そしてその奥を見ると、母が白目をむいて体を震わせながら泡を吹いて倒れていた。
意識も無いのがすぐに見て分かった。
僕は思わず「母ちゃんがやばい」と思い、そのまま母の横へと行った。
母の近くには次男と婆ちゃんがいる。
元気な母しか見たことがなく、苦しそうにしている母を病気になってから1度も見たことが無かった。
目の当たりにしたことで、正直「死」も覚悟した。
婆ちゃんが僕に言う。
「もう救急車着くはずだから。」
そんなことを言われても、1分1秒が長い。
早くしないと母は助からないかもしれない。
僕は思わず外に出て、救急車の到着を待った。
すると遠くから回転灯が見え始める。
僕は道に出て大きく手を振り「ここだ」と言わんばかりのアクションを取った。
それから救急車が家の前に着くと、救急隊の迅速な対応の元、担架に乗せられ母は病院に運ばれていく。
次男「俺が一緒にお母さんと病院に行く。敏日旅はどうする?」
次男のその言葉に僕はすぐ返答する。
僕「じゃあ俺は自分の車で救急車の後を付いていく。ありがとう」
実は母の容態の変化にいち早く気付き、救急車を呼び対応してくれたのが次男だった。
次男が母の近くで寝ていたところ、母が手を握ってきて助けを求めてきたらしい。
それからすぐに母は意識を失っている。
相当苦しかったのだろう。
もしこの時次男がいなければこのまま母は病院に運ばれることなく家で亡くなっていたかもしれない。
そしてそのまま近くの緊急病院へと救急車は車を走らせ、到着した後に母は中へと運ばれていった。
後ろから次男も付いていき、僕も一緒に中へと入った。
暗い病院の待合室。
次男と話していると、それから間もなくして父も到着した。
すると、病院の先生が僕たち家族の元へとやってくる。
「非常に危険な状態です。喉を切って管を通そうと思っています。ですが、その場合、もし助かったとしても声を発することはできなくなります。どうしますか?」
僕は何も返答することができない。
だが、父と次男は違った。
「もう2度と喋れなくなるなら母はそれを望まないと思います。切らずに治療してもらえますか?」
次男がすぐに返答した。
「ですが、切らないと正直命の保証はできません。それでもよろしいでしょうか」
だが、次男の意思は変わらない。
母が今何を思っているだろうか。
母だったらどうすることを望んでいただろうか。
それを踏まえた上で次男は答えたのだろう。
父も同様にそう答える。
そして、喉を切らないという選択を取った後、母の治療が始まった。
治療が始まり、待っている間に僕は不安になり、母に申し訳なく、そして今ここにいる次男や父、家族にも申し訳なくて1人泣き始めてしまった。
悪い方にばかり考えてしまう。
もう母は死ぬかもしれない。
倒れた時の母の姿が何度も頭によぎり、とりあえず今助かってほしい。
そして僕のせいで母が病気になってしまったこと。
愛する母をここまで苦しめ、僕のせいで家族から母を失ってしまう。
それからどのくらいの時間が経ったのかは覚えていない。
待合室に病院の先生が僕たちの元へやってきた。
「何とか峠は越えました。ですが、これから急変するかもしれません。今会うことができますが……、会いますか?」
僕たち3人は頷き、母がいる緊急病室へと向かった。
静かな部屋で、機械の音だけ「ピッ、ピッ」と聞こえてくる。
母の横に行くと母は少しだけ目を開けた。
自然と涙が溢れてくるが、母に心配掛けてはいけない。
一生懸命に涙を我慢して微笑みながら母の手を握った。
それからは3人でそれぞれ役割を分担しようということになり話し合う。
その結果、次男がそのまま病院に残り、僕は母の実家へと帰宅しまだ何も知らない祖父母に母が無事だったことを伝えることになった。
そして、実はこの日は年度末であり、父の定年退職の日でもあった。
本当は父の退職祝いに家族で何かしようとも話していたのだが、母のこともありそれどころではなくなってしまった。
そんな理由もあり、とりあえず父は一時実家へと帰宅した。
母の実家に着くともう日は明るくなり始めていた。
玄関を開けみんなが待つ部屋に向かうと、爺ちゃん、婆ちゃん、そして夜遅く仕事から帰ってきた弟が3人で仏壇の前に正座して座っている。
そして、僕の姿が見えると3人は一斉に僕の顔を見た。
「母ちゃん何とか大丈夫やったよ。今日は次男が病院に泊まって母ちゃんに付いとくって」
その僕の言葉を聞くと、すぐに爺ちゃんが言った。
「良かった、良かった。大丈夫なら本当に良かった。」
僕の手を握り、
「ありがとう、ありがとう」
と同じ言葉を繰り返しながら握る手が強くなっていく。
3人は母が救急車で運ばれてから今までの間、ずっと仏壇の前で仏様にお願いしていたらしい。
爺ちゃんも婆ちゃんも弟も安心した顔をしている。
とりあえず一命はとりとめたが、これからどうなるか分からない。
仕事を急遽休ませてもらい、僕は少し睡眠をとった後、朝から病院へと向かうことにした。
この日から母の闘病生活は始まった。
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