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家族、そして母 ~幼少期、中学校入学から不良への道~
僕は母方の実家で、父母、母方の祖父母、そして男ばかりの4人兄弟の三男として生を受け育った。
公務員の父はサザエさんで言う「マスオさん」状態で、嫁いだのは母だったのだが、父の仕事の関係もあり母の実家で僕たち家族は生活していた。
口数も少なく怒らない父。
今思えば、いろんな想いがあったのだろうが、子供だった僕にはそんなことなんて分かるはずも無かった。
正直言って、僕たち兄弟の中で父の存在は薄く、父のことを偉大に感じ、愛情を感じ始めたのは正直もっと大人になってからだったと思う。
母はとにかく優しかった。
いや、優しかったというよりも、「愛情」を誰よりも注いでくれた、という方が正しいかもしれない。
悪いことをすれば当然怒る。
だが、一生懸命頑張った後なんかは、結果がどうであれ優しい笑顔で迎えてくれる。
「みんなと一緒じゃなくてもいいじゃん。人と違ってもいいじゃん。そのくらいが面白いよ。」
口癖のように言う母。
僕たち4人の息子たちの個性を大事にし、そして自分の個性も大事にする母。
今の僕の個性は母からの教えからきているものだろうと思う。
現在の僕たち兄弟4人を見ると、誰1人として就職して会社員になった人間はいない。
各々が独自の道を進んでいる。
多分、母の個性をそれぞれ受け継いだのだろうと思う。
幼少期の僕はとにかく人見知りで臆病者。
だが、負けず嫌いでいつも変な勝気だけは心の中に秘めていた。
もともと気が強い方ではない僕。
表に出すことはしないが、友達にどうやったら勝てるのか、格好よく見えるにはどうすればいいか、そう言うことばかり考えていた。
小学校に上がると、僕は兄たちの影響で地元のソフトボールチームに入ることになる。
昔は全国大会準優勝という輝かしい成績を収めるチームだったのだが、僕が入る頃には弱小チームになっていた。
僕が通う小学校は1学年に1クラスしかない田舎の小さな学校。
だからこそ活発な子供たちも多かったが、何せ頭数が少ない。
僕は1年生から入ったのだが、同級生は1人もおらず、3歳年上の当時4年生の次男の兄たちが主力で試合をするようなチームだった。
そして、このソフトボールチームは、毎週水曜日を除いて放課後に練習がある。
もちろん土日も練習があり、日曜日は毎週と言っていい程試合もある。
僕は当時、このソフトボールチームが大嫌いだった。
兄が習っているから弟も。
その流れはどこの兄弟、家族でもあると思う。
友達はみんな遊んでいるのに、僕は毎日ソフトボールの練習。
親に言われるがままに練習に行き、毎日面白くなかった。
大人になった今だからこそ、良い思い出で話すことができ、良い経験ができたと思うが、当時はそんなことなんて考えるはずがない。
周りの友達はカブトムシやクワガタを取りに行ったり、友達の家に遊びに行きテレビゲームをしたりして遊んでいる。
羨ましくてたまらなかった。
そして、僕の中で少しずつ親に対して反発心が生まれてくる。
だが、言葉や行動には表すことができなかった。
子供であるが故にやはり親は怖い。
我慢して毎日生活していた。
だが小学3年生になった頃、僕の中で転機が訪れる。
ソフトボールチームにも同級生が入ってきたのだ。
きっかけは僕が執拗に誘ったということもあるのだが、当時仲の良かった友達が1人、また1人と入ってくる。
最終的には同級生だけで、総勢6名程になった。
6名といっても1クラスしかない学校では、男子も総勢10数名程しかいない。
割合は3分の1を占める。
そして、僕たちは活発だった。
いや、活発というよりは大人に憧れ、強さをはき違えていたのだろう。
時代の影響もあったのかもしれないが、当時、漫画やテレビ、多くのジャンルで「不良」をテーマにしたものがたくさんあった。
僕たちはそれに憧れ、それをカッコよく強いものだと勘違いをしていた。
それとは「不良」のこと。
僕たちは不良に憧れ、不良の真似事をするようになった。
タバコをふかしてみたり、授業をサボってみたり、時には暴力を振るって力関係を作り上げたり。
僕は人としての道を外れていった。
よく「好奇心」とか「子供は悪いことを悪いと知らない」というが、僕はまた違ったと思う。
今やってることが悪いことという認識は充分にあった。
それは友達も含め、みんな一緒だったのだろうと思う。
そして、僕の場合は好奇心よりもただの「強がり」だ。
僕の認識においては、そもそも不良は強くてカッコいい存在。
弱すぎる自分がいたが故に、強くなりたかったのだ。
じゃあ、自分の性格が不良に向いていたのか?
そして、悪いことをすることが好きだったのか?
答えは否だ。
正直、怒られることには怖いと感じていたし、授業に出なくてもタバコをふかしてみても胸の奥底はいつも恐怖でいっぱいだった。
弱い自分を隠すための精一杯の抵抗だったのだ。
皆に負けたくない。
だが、自信が無い。
虚勢を張らないと負けてしまう。
それが当時の僕だったのだろう。
そして、学校の先生も頭を抱えていた。
我々の世代も「ゆとり教育」を多少かじっており、先生の暴力はご法度。
だが、小学校の頃は多少なりとも先生に手を出されることもあった。
時には血を流したこともある。
それでも懲りない僕たち。
そしてとうとう担任の先生が放課後、夜な夜な家に訪問するようになった。
何も知らない家族。
そして何も知らない母。
少しずつ家族の雰囲気も悪くなっていった。
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