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病院に着くとすでに父の姿もあった。
父は退職の手続きを済ませてすぐに病院に戻ってきたらしい。
次男は父と入れ替わりに仕事へと向かったらしく、僕は父に母の容態について聞いた。
母はとりあえず意識を取り戻したがまだ話すことができない。
だが、父に一生懸命に1つのことを伝えたという。
「病院を移りたい」
ということだった。
まだ言葉を発することができない母は紙に書いて自分の意思を伝えていた。
ペンを握る力もなく、解読するのも難しい程の乱雑な文字。
だが、それほど病院を移りたかったのだろう。
母は病気になった時から通院している専門の病院があり、大きな信頼を置いていた。
決して今回の病院に不満があった訳ではない。
命を助けてもらい感謝している。
だがどうしても母はそこに移りたい。
当時僕は、専門の病院だからだろう、くらいしか思っていなかったのだが、のちに何故ここにこだわったのかが分かってくる。
だが今はまだ何も分かってはいない。
今いる病院の先生たちは不満気だった。
だが父が強くそこを押し切った。
かかりつけの病院もすぐに受け入れてくれるということで、紹介状を書いてもらい母は病院を移ることになる。
だが、その前に僕はまず母の病室へと向かった。
酸素ボンベを付けて管だらけになっている。
母が僕に気付くと小さく笑みを浮かべ紙とペンを持とうとする。
だが書くのが辛そうな母を見て僕は、無理しなくていいよ、と言うと母は紙とペンをそのまま置いて僕に手を差し伸べてきた。
僕は母の手を握る。
母の手指は骨が浮き出ていた。
何故気付けなかったのだろう。
もっと母との時間を大切にすれば良かった。
たくさん心配かけて、たくさん苦労をかけてきた。
僕は何をしていたんだろう。
母の手を握るといろんな感情が頭の中によぎってくる。
母はずっと僕の顔を優しい顔で見つめていた。
それから病院を移動すると、父の意向で特別病室に入院することになった。
広い個室でトイレやシャワーなども病室に付いている。
だがその分費用は割高となる。
父は決してお金持ちではない。
これまで多額の借金の返済のために、実家のぶどう園と公務員での仕事を朝から晩まで、土日も休まず働いていたくらいだ。
それでも父は何1つ愚痴も言ってきていない。
そんな父にも退職金が出て、お母さんにために使う、と言っていた。
「家に帰りたい」が口癖だった母に少しでも家に居るような気持にしてあげたい。
父の母に対する愛を初めて感じた。
逆も一緒で母の父に対する愛も初めて感じた。
僕は小さい頃から母と父がそこまで仲良く話しているのを見たことが無い。
むしろ仲が悪いと思っていた。
だがそうではなかった。
父は定年退職後も特別に市役所で働かせてもらうことになっていたのだが、毎日母の元へお見舞いへと行っていた。
土日も欠かさない。
僕が母の元へ行くと決まって父が居る。
2人は仲良さそうに笑って話していた。
この頃から母はいつも僕たちに言っていた。
「お父さんは?」
僕たち息子だけでは何か物足りないかのように。
母は父と一緒に住めなくなって本当は寂しかったのだと思う。
ここぞとばかりに甘える母。
やっぱり夫婦なんだなとつくづく思った。
そしてこの時から家族の絆が強くなっていくのを感じた。
それから1か月程で母は退院を許される。
酸素を取り入れる機械を鼻から管で通し、それを付けることで家でも生活できるだろうということで母は待ちに待った家へと帰ることができた。
ただ、実際には本当は退院できる状態ではなかった。
だが、主治医の先生が母の意思を1番に考え尊重してくれる。
家に帰りたい母にとって、幸せと感じる時間を過ごせることが1番大事。
そして「生きたい」という気持ち。
母は強く持っていた。
治らないと分かっていた。
だが絶対に諦めなかった。
「お母さんは絶対に元気になる」
きつくても少しでも自分の力で何とかしようと母は頑張っていた。
だが、それまで何とか家で生活できていた母の具合が1カ月経ってまた悪くなった。
きっかけは僕と爺ちゃん、婆ちゃんだけが家に居た日だったのだが、トイレに行こうと母が車いすに乗ろうとしたが起き上がれない。
床を這いずり何とかトイレの前まで行くことができたがそれから動けなくなってしまった。
弟に電話で聞き、病院に問い合わせてもらって、その時は機械の酸素を強くすることで何とかその場はどうにかなったが、母の容態は明らかに悪くなっている。
それから数日後、母は再び入院した。
この頃から、僕たち家族は病院で寝泊まりすることが増えていた。
少しでも母に寂しい思いはさせないように。
そして、この頃長男がお見舞いに来てくれた。
長男は地元を離れて関東に住んでいた。
福岡に居るときから付き合っていた彼女と一緒に同棲している。
そしてお見舞いと同時に、重大なことを伝えるために彼女と一緒に母の病室へと訪れた。
結婚だった。
僕たちの兄弟は当時誰も結婚していない。
母はとても喜んだ。
ベッドで横になったまま両手を上にあげ「やったー」と言葉にしたという。
それから母は長男の結婚式に出るとずっと言い続けていた。
絶対に元気になる。
ただ、もうベッドから起き上がることさえ困難な母。
気持ちとは反対に病状は悪くなっていく一方だった。
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