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この時から母は幻覚を見るようになり、僕たちにも理解できないことを言うようになる。
僕たちは母が治らないと分かっていても、どこか「死」というものが訪れるのはまだ先だと思っていた。
現実的に受け止めることができないとかそういう理由ではない。
今まで元気だった母が死ぬことなんて想像できなかったのだ。
だが、もう家に帰れることはないだろう。
その覚悟はしていた。
現に母はもう体を起こすこと、食事をすること、用を足すのも困難になり、看護婦さんや父が全て手を貸してするのがやっとだった。
そんな状態だったが、なんと再び退院することになる。
そして、これが母にとって最後の家での生活になった。
母が退院してくる前日、家に医療用のベッドを入れ、家族で出迎える用意をした。
母の実家は小さく、ベッドを入れるのも二つの部屋を跨がなければ置くことはできない。
そんな中、爺ちゃんと婆ちゃん、父と弟が母のために一生懸命になってベッドを入れた。
退院当日、僕が仕事から帰ってきた時には母はベッドの上で横たわっていた。
「おかえり」と母に言葉を投げかけてもほとんど反応が無い。
時期は9月。
九州ではまだ猛暑日は続いている。
病院のような空調が良い環境に実家はない。
エアコンを効かせてもそんなに居心地の良い部屋でもない。
そして、母が思っていた生活ができるわけではない。
母はみんなと一緒に生活できることで安心できると思っただろう。
だが母の想像と現実は違ったと思う。
食事も一緒にできるわけではない。
会話もほとんどできない。
一緒の空間で生活するだけで、母が目に入るのは天井のみ。
しかも具合が悪い母を気遣い、みんな心配して黙ってしまう。
これが逆に余計不安にさせてしまったのではないかと今となっては思う。
そして、退院から3日後。
この日は日曜日で僕は仕事が休みだったのだが、翌日使う仕事の機材を取りに1度会社の倉庫に行かなければならなかった。
家には僕と爺ちゃん、婆ちゃんしかいない。
母と少しだけ話して家を出よう。
そんなことを考え1度外に出て、自分の車の中を見て翌日使う道具を確認しにいった。
この時、僕は自分で商用車を購入し、自分で仕事の現場に行けるようにしている。
すると、外に出ると大きな旗があった。
実は、母の実家はお宮の隣にある。
9月に2年に1度町の祭りがあり、その旗を懐かしくなって見ていた。
この祭りは、僕が鑑別所にいた時に調査官に写真を持っていった例の祭りだ。
僕は当時のことを思い出していた。
そしてまだ僕が幼い頃、母と2人でたこ焼きを買ってもらったことを思い出した。
僕が小学校に上がる前までは、祭りの日には母の姉たち家族も実家に泊まりで見に来ていた。
そして、いとこもいる中、僕はいつもやっているゲームをすることができずに一人で泣いていた時があった。
「敏ちゃん、一緒に祭り見にいこっか」
その母の言葉でぐずっていた僕は2人でお宮へと向かった。
今では過疎化もあり祭りも小規模になっているのだが、当時はまだ夜まで騒がしく、屋台もたくさん並んでいた。
「何か食べよっか?たこ焼き一緒に食べない?」
僕は頷き、母と一緒にたこ焼きを食べた。
「みんなには内緒ね。敏ちゃんだけ特別だから」
と言われ僕は泣き止み母に、ゲームがしたかった、と一生懸命に伝えた。
終始優しい笑顔で、手を繋いで祭りに行った1日。
当時の忘れていた記憶が蘇り、車から母の元に戻りそのことを懐かしく話した。
昔のことを話していると、母は微笑みながら答えた。
「もう祭りの季節やね」
と、微笑みながらか細い声で話す。
そしてその後、僕は母に一旦家を出ないといけない旨を伝えた。
すると母は僕に言った。
「敏ちゃん、ごめん。イチゴが食べたい」
僕は、「じゃあ買ってこようか?別に何時に会社に行ってもいいし」と母に言うと頷き、会社に行く前に買い物へと出かけた。
すぐに車を走らせイチゴを探す。
だが、どこに行ってもイチゴが無い。
数軒回ってもイチゴが置いているスーパー、八百屋が無く、仕方なく僕は桃とオレンジ、スイカを買って家に帰った。
「ごめん、母ちゃん。イチゴ無かったから代わりに違うの買ってきた。どれか食べたいのある?」
そう聞くと、母は「桃が食べたい」と言って、婆ちゃんと一緒に皮をむいて母に食べさせた。
「急いで帰ってくるから1回出るね。大丈夫?」
僕は母に言う。
すると母が手を差しだしに僕に言った。
「早く帰って来てね」
力強い言葉に感じた。
今だから思う。
母は僕に家に居てほしかったんじゃないかと。
だから頼み事をしたんじゃないかと。
事実は分からないが母の手を握り、そのまま家を出た。
これが母との家で過ごした最後の会話になった。
それから会社に向かう途中、1時間程経ったくらいに爺ちゃんから着信がある。
すぐに分かった。
母に何かあったのだと。
電話に出ると、爺ちゃんから焦った声で言われた。
「どこに居る?お母さんが救急車で運ばれた。お父さんが今行ってくれてるから敏ちゃんも行けるね?」
やっぱりだ。
僕は家を出る時から何か不安だった。
僕は「すぐに向かう」と伝え、会社に連絡をして翌日休暇をもらいそのまま母の元へ向かうことにした。
父に電話をすると、前回と一緒の緊急病院に運ばれたと聞き、僕は急いで向かった。
病院に到着するとすでに父の姿はあった。
僕「母ちゃんは?」
父「今治療中やけど今からいつもの病院に救急車で運んでもらうことになった。敏日旅も来れるか?」
僕「俺も行くよ。仕事は明日休みもらったけん、今から先に病院行くね。父ちゃんはどうすると?」
父「俺は救急車の後ろを付いていくから、また向こうで会おう」
僕「分かった」
そのまま車を走らせ病院へと向かった。
先に病院に到着し、車を駐車場に入れたのちに救急車が入る場所へと向かう。
サイレンの音とともに救急車が到着すると、母が担架に乗って運ばれていく。
「息子です」
そう看護婦に伝え一緒に入っていくと、母は苦しそうな顔をしている。
するとすぐに主治医の先生がやってきた。
「屋梨さん、きつかったね。頑張ったね。もう大丈夫よ」
母に自然で優しい言葉をかけてくれる。
母は目を見開き、主治医さんの手を握った。
よっぽど信頼していたのだろう。
母は主治医さんを見るとそのまま眠ったように目を瞑った。
実はここに来るまでにもいろんなやり取りがあったらしい。
緊急病院に運ばれた際にその場で治療するようになったのだが、父がいつもの病院へと移動させてほしいと伝えた。
緊急病院としては母の現在の状況と、前回の件もあるし不本意だったのだろう。
「それは無理だ」、という旨を父に言ったらしい。
だが、父は母の想いを考え頼み込み、直接主治医に電話をしたそうだ。
すると主治医が、「電話を替わってくれ」と緊急病院の先生と直接話す旨を父に伝えると強い言葉で言い放ったらしい。
「今から救急車を頼んでこっちに移動させてくれ」
その言葉で渋々今の病院に運ばれた。
緊急病院にも本当に申し訳なかったと思う。
だが、母の気持ちを考えると父としてもそうしたかった。
申し訳ない気持ちよりも当事者である母の気持ちを一番にしたい。
その気持ちの方が僕たちには強かった。
僕と父は病院の待合室で母の無事を祈っていた。
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