家族、そして母 ~幼少期、中学校入学から不良への道~

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隠し事がバレる時は一瞬だ。 その日は僕の家で友達と集まりみんなでシンナーをしていた。 人数で言えば男女で5~6人はいたと思う。 そして、こうやって狭い空間で大人数でシンナーをすれば何かが起こる。 ただでさえ、シンナーという体に害があり法でも禁じられている行為を平気でやっている頭の悪い僕たち。 そんな人間たちが狭い密室の中で頭のおかしくなる行為をしているのだから、些細なことでも喧嘩になる。 この日は1つ上の先輩と僕の同級生だった。 始まりはこうだ。 僕の同級生が幻覚を見ているような状態になり、何を話しかけても喧嘩腰で先輩の問いかけに対しても応じない。 先輩も当然怒り始める。 「何やお前。なめとると?」 その言葉に同級生も反抗し、突然喧嘩が始まった。 僕たちが止める中、それを振り切って殴り合いの喧嘩になりなかなか収まらない。 結果、僕の布団の上で先輩が同級生に馬乗りになり一方的に殴り続けている。 みんなで止めに入り何とか喧嘩が収まるが、同級生は鼻血を出して僕の布団が鼻血まみれになる。 「おい!お前ら外でやれや!ここ屋梨の部屋ぜ!お前たちが屋梨にやられるぜ!」 そこに居る1番の権力者の先輩がそう言って、みんなで外へ出て僕の家から自転車で数分くらいにある公園に向かうことにした。 自転車にまたがり、公園へと向かう。 そして公園に行く途中で、僕の携帯電話が鳴り始めた。 今と違い、スマホではなくガラケーの時代。 携帯電話を開いて画面を覗くと「母」と出ている。 僕は電話に出らず、とりあえずそのまま公園に向かった。 だがその途中でも着信は鳴りやまない。 僕は何の用かすぐに分かった。 シンナーをしていることがバレたのだろう。 それからもう友達の喧嘩なんてどうでもよくなった。 母になんて言おう。 早く母にかけなおさないと。 それだけで頭の中がいっぱいだった。 公園に着いてみんなで話しているが、会話は全て上の空。 中には僕の部屋で起きた出来事だったので、僕に謝れ、と言ってくれる人もいる。 だが、そんなことはどうでもいい。 早く終われ。 30分くらい公園で話しただろうか。 僕たちはそこで解散することになり、みんなそれぞれ帰っていく。 みんなと離れ一人になるとすぐに携帯電話をポケットから取り出し、母に電話をした。 母はすぐに電話に出た。 「もしもし、敏日旅?あんた今どこいる?」 母の声は怒ってはいない。 だが、優しいわけでもない。 不安げで何か心配している時の母の声だった。 「今○○公園に居るよ。どうした?」 どうした?などとしらばっくれたことを言っているが、要件がなにかは分かっている。 「敏日旅……。正直に言ってね?」 母は言葉に詰まっていたが、意を決したように僕に言った。 「あんた、シンナーしよる?」 僕は母の言葉に嘘は付けなかった。 「うん…、ごめん。シンナーしよる。」 すぐに返答は無かった。 お互い無言の時間が続く。 この無言の時間がとてつもなく長い時間に感じた。 すると、母が口を開いた。 「まだ公園居ると?一人?ちょっとだけお母さんと話せる?」 僕は話せる旨を伝えると、車の免許は持っておらず原付バイクの免許だけ持っている母はスクーターで公園に来た。 母は母なりにいろいろ考えてきたのだろう。 僕を見つけると、小さく手を振りながら笑顔で僕の元へとやってきた。 スクーターから降り、僕の横へと座り、二人っきりの空間で母は口を開き始める。 「シンナーいつからしよると?」 それから僕は全て正直に答えた。 シンナーを始めた時期から今日起こった出来事まで。 きっかけは特に聞かれなかった。 母の性格上、シンナーに手を出したのは僕、誰かのせいにはしたくなかったのだろう。 そして、母も少しずつ今日の異変について話し始めた。 物音、叫び声が聞こえて何か起きたのではないかと思い部屋を見に行くとシンナーの匂いで充満していたこと。 血まみれの布団を見て、僕たちが女の子をレイプしたのではないかと誤解していたこと。 いろんな話をしながら少しずつ時間が経っていくと、次第に2人で笑顔で話せるようになっていった。 「敏日旅、お母さんはあんたの人生だから何も言わない。ただ約束して。シンナーだけは絶対にせんで。お願い。お母さんと約束して。」 母は言いづらいことを一生懸命話す時、自分の感情を一生懸命人に伝える時、相手の顔を見らずに下をうつむきながら話す。 この時もそうだった。 僕は約束した。 もうシンナーはしないと。 それから僕たちは家に帰り、この日は久しぶりに家で一緒に晩御飯を食べた。 当時のことを少しだけ振り返る。 母がどれだけ僕のことを考え、心配していたか、自分の感情を押し殺しながら少しでも僕に分かってもらえるためにいろんな試行錯誤を繰り返していたか、どれだけ夜も眠れずいつも不安な思いをさせていたか。 母はこの時期、少しでも僕の気持ちを分かろうと、僕と同じように髪を金髪に染めてみたり、吸ったこともないタバコを吸ってみたりしていた。 「お母さんも一緒にタバコ吸おっかな。」 そう言って僕の部屋に来たこともある。 その後、母はすぐにタバコを吸うのはやめたのだが、少しでも話すきっかけ、近付くきっかけが欲しかったのかもしれない。 僕が不良になっていき道を外れ始めた時、母はどんな思いをしていただろうか。 母の気持ち、母の性格、母からもらった愛情、いろんなことを踏まえて本当に申し訳なかったこと、どれだけ辛い思いをさせたかを考えると胸が苦しくなることがよくある。 だが、それ以上に母はずっと苦しんできたのだろう。 当時に戻ることができるならば、そう考えるがそんなことは不可能である。 子供だった僕は、この時話したことも最初は重く捉えたが、正直時間が経つにつれてそんなことは忘れていった。 その場しのぎで軽く捉えていたところがあったことは否めない。 だって、結果的に僕はすぐにシンナーをやめることができなかったから。 そして、僕はまだ不良という道を歩んで数か月。 この時は素直な気持ちもまだ少し残っていて、悪いことは悪いことと判断できる能力もあった。 母の言うことも聞かないといけないという気持ちも僅かながら残っていた。 だが、今回のように2人でしっかりと向き合って話すことができたのは、もう数年先までなかった。
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