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家族、そして母 ~高校入学から逮捕、母の病気~
高校に入学して初日。
さっそく僕は問題を起こしてしまった。
高校の規則で髪が襟にかかってはいけない。
どこにでもある頭髪の校則だが、中学校の時には髪を染めても何も言われたことがなく、そんな校則があるなんて全く知らなかった。
当時の不良の流行りで僕は襟足だけ異様に伸ばしている。
僕の頭髪を見ると、すぐに先生たちが数名集まってきた。
そして言われる。
「襟足が長すぎる。切らないと入学式に出さない」と。
校則なんて僕には知ったことではない。
僕は先生たちに反発し、それならば入学式には出なくていい、俺は帰る、そう言い放った。
だが、先生たちとしてもそういう問題ではない。
どのみちこれから先、高校に通うには髪を切らなければならないのだ。
入学式に出られないだけではなく、今後授業も受けることができない。
僕は納得いかずに喧嘩になった。
そして教室をつまみ出され、僕は別の部屋へと連れていかれる。
するとそこに父と母もやってきた。
「敏日旅、髪切ろう?入学式出ようよ」
母は悲しそうな顔をして僕に言う。
僕は最初は断固として断った。
だが、今日を楽しみにしていた母。
そのことを考えると僕は少しだけ悩む。
そして最終的に、先生や父、母の説得の元、僕は髪を切り入学式に出ることにした。
気分が晴れない。
子供の僕は少しでも反発してやろうと、入学式の列から離れ一人離れた場所に座った。
今考えると馬鹿馬鹿しいのだが、少しでも態度を悪くして先生たちを困らせてやろうとする。
そして、入学式が終わった。
教室に戻り、これから先の説明や担任の先生が紹介された。
当然もうすでに僕は目を付けられている。
ここでもわざと困らせるようなこと、他の同級生に威圧するような態度を取っていた。
そして1日が終わる。
今日のためにわざわざ実家から来てくれた父が運転する帰りの車の中で、母はずっと言っていた。
「敏日旅、頑張ろうよ!髪はまた伸びるじゃん!担任の先生も良さそうな先生やったし。行き始めたら楽しくなるって!」
僕をなだめようと、これから学校に行ってもらおうと必死だったのだろう。
あらゆる言葉で僕に話しかけてくる。
だが、僕はもう行きたくない。
いろんなことを我慢してまで行く必要はない。
そう思っていたが、口には出さず、次の日からの学校生活が始まった。
そして翌日、さっそく僕がポケットに入れていたタバコとライターを先生に見つかった。
すぐさま職員室へ連れていかれる。
中学校の先生とは違い、高校の先生は怒鳴り散らし罵声を浴びせてくる。
胸ぐらをつかまれ怒られると、その日は初日であること、タバコを吸っているところを見られた訳じゃないこともあり停学にはならなかった。
もうその時点で僕の心は折れかけ、もう高校に行く気持ちがほとんど無くなっていた。
だが、家に帰ると母がどうしても行けと言う。
ここで少しずつ母との喧嘩が増えていった。
子供の僕には正論なんて通じない。
そして高校に入学して1カ月も経たない内に僕は母と大喧嘩をし、人生初の家出をした。
その間も心配する母は僕に何度も電話をかけてくる。
だが僕は出ない。
母が嫌いだった訳じゃない。
本当は話したい気持ちもあった。
けど、これが反抗期で素直になれない僕の最大限の抵抗だった。
家出をしたといっても子供の僕にはお金が無い。
友達の家や先輩の家に泊まらせてもらい、最初は食事させてもらってもそんなに何回も食べさせてもらえるわけではない。
周りのみんなも当然子供で親が全て面倒見ている。
カッコつけて家出したものの、すぐに空腹に耐えきれなくなった。
そこで僕が頼ったのは父だった。
僕は中学校の終わりころから、少しずつ父の実家に行くようになっていた。
父の実家は父と祖母の2人暮らしだ。
小さい頃は全くと言っていいほど遊びにすら行かなかったくらいだったのだが、母と喧嘩したりするといつも父の実家に行って愚痴を言っていた。
父はいつも笑って僕の愚痴を聞いてくれる。
父は母を悪く言うことはない。
だが同じ男であるが故に、思春期で反抗期の僕が母の言うことを素直に聞けないこと、愛情を素直に受け止めることができないことが分かっていたのだろう。
「お母さんはね、お腹を痛めて産んだ子供たちで可愛くて仕方ない。だからみんなのこと一杯心配しとると。でも敏日旅からすればちょっとはほっとけって思うんやろ?」
そんなことを笑っていつも言っていた。
当時の僕には何を言っても分からないし変わらない、そう思っていたのだろうと思う。
僕は情けないながら、携帯電話で父に電話をし、車で迎えに来てもらって父の実家へと向かった。
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