斑糸 二話 成金屋敷

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斑糸 二話 成金屋敷

 円タクは青山の風格ある大きな洋館の前で止まった。  俺が寺城の財布から料金を支払っているのを尻目に、彼女は悠々と車を降り先へと歩いている。  既に寺城たどり着こうとしているお屋敷の玄関の横の花壇には白い花が幾つも咲いている。  あの特徴的な下を向いた小さな白い花は水仙だろうか?  二人分の荷物を背負いながらも追いついた時、彼女は古風で立派な扉に後付されたであろう、小洒落た最新式の呼び鈴を押すところだった。  ビーーーッ!  なんとも風情のない機械的な音が鳴る。 「ちょっと待ってくれてもいいじゃないですか」  人に子供一人分はゆうに超える荷物を背負わせているんだ、もう少し気を使ってくれてもいいだろうと思うのだが、彼女は気にかけるどころか、少し高くなった玄関前から見下し言った。 「女性の後ろを歩くなんて日本男児の名折れだよ西岩君」 「誰の為だと思ってるんですか。大体なんですかこの荷物、貴女の体重より重いでしょ」 「レディの荷物には秘密が詰まっているものさ。それを詮索するのは無粋な事さ。もちろん体重の話題もね」  まずレディらしい振る舞いをしてから言って欲しいものだが、それを指摘すれば平然としてると言い張るのだろうな。  彼女の側まで荷物を運び、肩で大きく息を吐く。  本当にこれ何キロあるんだ? 「ありがとう西岩君」  寺城は、感謝の心が一切感じられない酷く無感情な礼を述べる。  全くこの人は……俺がそう思った時、扉の向こうから人の近づく足音が聞こえ、少ししてゆっくりと扉が開いた。 「お客様でしょうか?」  扉の内側からこちらを覗いたのは、幸薄そうな――しかし、妙に色気のある――三十代のくらいの女性、女中さんだった。  彼女はなんとも自信なさ気に、自信……いや、それが必然であるというふてぶてしい態度の寺城へ問う。 「ああ、招待された寺城とそのお付だ」  寺城はそれに超然とした態度で答えた。 「寺城様ですか。話しは伺っております。どうぞお入り下さい」  それを聞いた女中さんは、わずかに安堵した表情で行儀よく、しかし、畏まり過ぎた態度で頭を下げ、俺達を招き入れた。  外観から厳かな雰囲気を放っていたこの洋館は、その内部も重厚感と落ち付きのあるもので、おそらく先の帝都大震災すら耐え切ったであろう確かな安定感を感じた。  だがしかし、内装がそれを台無しにしていた。  建物そのものは、ヴィクトリアン調を機軸置きながら日本人に合わせ随所に調整をした、渡りを六分、景を四分程の見事な調和に仕上がっているのだが、豪華なシャンデリアの下にペルシャ絨毯、ロココ調の家具の上に宋代の物と思われる白磁が飾られ、ギリシア風の彫刻の横にマクシミリアン式の甲冑、フェルメール風の絵画の横に最近流行のキュピズム……  その配置に流れもなければ、統一感等欠片もない。  ただ、高い物を並べましたどうだ凄いだろ!と所有者の顕示欲、ただただ下品な成金趣味が全てを台無しにしていた。 「良い物が混じってはいる分余計性質が悪い。宝の持ち腐れとはこの事だよ」 「ちょっと寺城さん……」  声も潜めず家主の悪趣味を嘲笑する寺城の言葉に、女中は気の弱そうなハの字の眉のまま困った表情をし、俺達を応接室へと導いた。 「主人を呼んで参りますのでそちらにお掛けになってお待ち下さい」  女中が部屋を出て行き、俺は示された革張りのお高そうなソファーに手をかけ周りを見渡す。  この部屋もロビーに負けず劣らず、ただ高そうな品を統一性もなく並べただけの成金趣味に溢れている。 「一体此処の主はどんな人物なんです?」  寺城は二重回しの懐を漁りながら、詰まらなそうに言った。 「この館どおりの人間だよ」 「いや、そういう事ではなく」  寺城はソファーに埋もれるように座りながら、手でパイプを弄ぶ。 「円タクの中で少し話しただろ?」 「ええ、たしか金貸し上がりの投資家でそれぞれ母の違うご子息が二人、たしか、財界関係者の夜会で知り合ったとか」  寺城はテーブルの上にある水晶製の大きな灰皿を引き寄せ、パイプに葉を詰めながら言った。 「二年くらい前の事さ。本当は兄が参加する予定だったんだけど、体調を崩したらしく代わりにボクが出席する事になったのさ。まぁ、おかげで楽しいものが観れたから良かったけどね」  寺城は獲物を嬲る猛獣のような笑みを少し浮かべると、ゆっくりとパイプをふかした。 「何があったんです?」  どうせ碌な事では無いだろう。  しかし、聞いておかなければならない。  紫煙を漂わせながら、寺城は奈落の底の残り香のような笑みを口元に残しながら言った。 「参加者の六割が苦しみ喘ぎ、その三割が死んだ大量毒殺事件さ」  大きく唾を飲み込んだ。  彼女は口に白く鋭い犬歯が覗かせ、パイプの火を覗き込みながら続けた。 「目の前で次々と悪党共が血を吐き倒れ、もがき苦しみながら息絶えていく様。類は友呼ぶと言うが、あの夜会に出席していたのは、誰も叩けば埃塗れになるような連中ばかりだったのが、唯一の救い。いや、天の裁きだったのかもしれないね」  彼女はそこで区切ると、またゆっくりとパイプをふかして続けた。 「一体どんな悪行を重ねれば、あのような地獄絵図の中で苦しみぬいて死ぬ事になるのだろうね?」 「その地獄絵図を観て愉快に笑う貴女は閻魔大王ですか?」  詰まらなそうな態度の影にどこか楽しそうに語る寺城に俺が皮肉を言うと、彼女は小さく不快な笑みを浮かべて言った。 「いやいやその場で犯人を付き止めたボクは、むしろ救いの主、地蔵菩薩そのものだよ」  平然と鼻先で笑い飛ばす寺城に、俺は寒気を覚えると同時に、彼女は間違いなく名探偵なのだと認識を強めた。  寺城は、そんな俺の心を読んでいるかのように満足そうに話を続けた。 「犯人は主催者の歳の離れた新妻でね。なんでも良い所の生まれだったようだけど、親が主催者とその周囲の者に罠に嵌められ、財産、家族、許婚まで失い、その復讐に犯行を企てたそうだ」  女性の恨みは恐ろしいね。と、彼女は小さく薄ら笑いを浮かべながらパイプを咥える。 「それで彼女はどのような手口で大量殺人を?」  寺城は俺の疑問に紫煙を吐きながら意地悪そうに聞き返した。 「人の殺し方が気になるなんて、君も趣味が悪いねぇ」 「いえ、そういうわけでは……」 「いいんだよ西岩君。誰にだって人に言えない性癖の十や二十あるものさ。それが大きすぎるのも問題だが、無いのも異常さ。とりあえずの所、君の変態性癖がボクに向かわない限り、ボクはそれを容認するよ」 「いえ、ですからそういう事ではなくっ」  寺城はパイプを弄びながら嘲るような目で俺を見る。  完全に俺で遊んでいる。 「氷だよ」 「……氷ですか?」  一瞬迷ったが、それが犯人が多くの人々を殺した仕掛けの鍵のようだ。 「そう。氷の中に毒を閉じ込めた時限式の仕掛けさ」 「それは……」  コンコンッ  その詳細について聞こうとした時、部屋がノックされ、ゆっくりと扉が開いた。 「いやぁ、招待しておきながらすぐに対応できず申し訳ない。なに、野暮用があったものでね」  そう言いながら、三〇代半ば程の美女を連れ入ってきたのは、高級そうな洋装を着こなし、整髪料でロマンスグレーの髪を撫で付けた、五〇代に見える身長六尺ほどの偉丈夫だった。 「お招きに応じてあげたよ」  人を招いておきながら、お茶の一つも無しに待たせ、ふてぶてしい態度で悪びれない家主も礼節を欠くが、ソファーに埋もれるように座ったまま、パイプを咥え横柄な態度の寺城に、表情こそ余裕の笑みを浮かべているが、眉が小さくヒクヒクと痙攣している。  悪党の各が違う。  出鼻を挫かれ、僅かに困惑の表情を浮かべた家主の瞳が俺を捉える。 「こちらはお連れの方ですか?」 「助手の西岩君だ」  小悪党の質問に大悪党が顎で答える。 「西岩と申します。本日は雇い主の寺城をお招き頂き感謝しております。図々しくも私のようなしがない助手までお邪魔させて頂きましたが、ご迷惑ではありませんでしたか?」  そう言い軽く頭を下げると、家主は若干の安心を含んだ笑みを浮かべ握手を求めてきた。 「よろしく西岩君。迷惑などとんでもない。その若さで寺城さんの助手ならきっと将来有望なのだろう。君は今学生かね?いや、挨拶が遅れた。私は蓮城愛馬(はすしろ あいま)だ」  そう言い蓮城氏は余ったもう片方の腕で俺の背中を力強くバンバンと叩く。  この人物が今回の依頼主だろうが、話を聞いた時の印象とは大分違うな。  まぁ、悪党の見かけと中身が異常にかけ離れている例をつい最近知ったので驚きはしないが、もっと陰湿そうな人物だと思っていた。  愛馬氏は俺の背中を一頻り叩くと、元の位置まで戻り、彼の一歩後ろに連れ立っていたお淑やかそうな女性の肩を抱き、丈夫そうな歯を見せながら笑った。 「これが来月私の妻になる二花(ふはな)だ」  紹介された女性二花は、蓮城氏と比べると二回り、親と子ほども歳の離れているように見える。  彼女は一瞬寺城を睨み、すぐに幸せそう笑みを浮かべた。 「愛馬さんの妻になります二花です。どうぞ夫婦共々よろしくお願いいたします」  彼女はニコリと、どこか妖艶な視線の笑みを俺に向け、寺城を無視するように、しかし言葉だけは丁寧に頭を下げた。  そして、そのどこか敵対的な二花の態度を歯牙にもかけず、寺城は詰まらなそうにパイプを弄りながら言った。 「よろしく……ところで昨年前の奥さんを亡くしたと聞いたけど、彼女は何人目の妻だったかな?」  寺城の不躾な台詞に愛馬氏は笑顔を取り繕うもこめかみがひくつき、二花に至っては元が大人しげな外見でありながら、親の敵を呪い殺さんが表情で睨んでいる。 「寺城さん今はそういう事を言うべきでは……」 「何を言っているんだい西岩君。ボクは彼が脅迫を受けているから相談したいと言われて来たんだよ?色々と聞く必要があるんだ。遠慮なんて一文の徳にもならないどころか有害さ」  無遠慮と不躾も有害だろ思うが、この人にとって他人の好嫌の感情はどちらでも大して変わらないのかもしれない。 「しかし、だからと言って――」 「いやいやかまわんよ。寺城さんの言う通り。私から依頼したのだから当然の権利だ。それに寺城さんがどういう人間かはよく聞いているつもりだ」  流石は金持ち、少なくとも表面上は余裕を感じさせる対応だ。  二花さんの方は、いっそう強く寺城を睨んでいるが、それに気付いた愛馬氏は手馴れた様子で肩を抱く。 「私も妻もそれぞれ前の配偶者を不幸によって喪ってね。今度こそはと永遠の愛を誓う予定なのさ」  その言葉に二花さんは落ち着きを取り戻し、うっとりと蓮城氏にもたれかかる。  最初は年齢の差から、愛馬氏の欲望による結婚かと邪推したが、どうにも愛馬氏よりも二花さんの方が惚れこんでいる様に見える。 「それでそれぞれ何人目の結婚相手なんだい?」  そして、あいも変わらず不躾な寺城の質問。 「二花は私にとって三人目の妻、私は二花にとって四人目の夫になる」  流石の愛馬氏もにこやかに答えるも瞳は笑っておらず、二花さんなど愛馬氏の腕を抱きながら般若のような形相で睨んでいる。  現況の寺城はというと、聞いておきながらあまり興味無さそうにパイプを弄りながら生返事を返し、部屋の調度品を眺めている。 「いやぁ、それにしても見事なお屋敷ですね。重厚な造りと積み上げたが上品な落ち着きを生み出しているようです」 「おお、わかるかね!この屋敷は元々妻の実家で――おっと、失礼。君も掛けてくれ」  俺の苦し紛れのおべっかに乗り、愛馬氏は場の空気をいい方向へと舵を取る。  既にソファーに埋もれている寺城は兎に角、一同席に腰を下ろし僅かに空気が良くなる。 「恥ずかしながら、数ヶ月前に前に住んでいた屋敷が不審火で一部が消失してしまってね。それが原因と言ってはなんだが、二花が一緒に暮らそうと言ってくれてね」  それが再婚に踏み切った最後の切っ掛けだと、愛馬氏は僅かに照れくさそうに語る。  こういう一面を見ると、この人が悪名高い成金と言われるのが信じられなくなる。 「なるほどね。屋敷は素晴らしいが、中身の趣味が最悪なのはそういう理由なんだね。西岩君疑問が解けてよかったじゃないか」  どうしてこの人は、人が場を和ませようとした直後に、わざと波風を立たせるような言動を取るのかな!?  そして何より、俺にまで火の粉を飛ばさないでいただきたい!  何らかの意味があるなら良いが、この人の底意地の悪さはここ数日で十分に理解したので、ただ単に人がイラつく姿を見たいだけではないかという疑問が拭えない。  幸い、今の言葉に愛馬氏はさほど腹を立てているようには見えない――もしかしたら、自分の趣味の悪さを理解しているのかもしれない――が、二花さん方はなかなにご立腹のようで掴んだ愛馬氏のスーツにかなり皺がよっている。 「はっはっは。私の趣味はさておき、貴女相手にはそうそうに本題に入ったほうが良さそうだ。二花お前は下がって――」 「いや、夫人にはいてもらいたいね」  二人の女性のぶつかり合う。  どちらも篭る意志は大きく違うようだが、どちらも自分に向けられるのは避けたいほどに禍々しい。  コンコンッ  僅かに空気が固まりかけた時、部屋をノックする音がした。 「入れ」  愛馬氏の言葉の後にゆっくりと扉が開く。 「失礼します」  部屋に入ってきたのは、二十代前半くらいだろうかやけに肉感的な色気がある尻の大きな女中が、これまた成金趣味なティーカートを押して入ってくると、それぞれの前に紅茶と茶菓子のチョコレートを配り退出する。  その間、二花さんの敵意に満ちた視線は、寺城からはずれ彼女に向けられていた。 「私は紅茶の味はわからんが、なんでも一番良い茶葉らしくてな」  愛馬氏に促されカップを手に取ると、その動きだけで紅茶の香が宙を舞いほのかに鼻腔を擽る。  それでいてカップを近づけても咽るようなくどい香りではなく、ほどよく楽しませるにたる絶妙な按配だ。  これは本当に良い茶葉を使っているだけでなく、あの女中の腕もたしかなのだろう。  寺城を見ると猫舌なのだろうか、わずかにカップに触れるとすぐに口を離し小さく表情を歪めると、諦めてチョコレートを口に放り込み満足そうに口元を僅かに緩める。  この人の年齢が幾つなのか未だにはっきりしないが、その外見に見合った表情をしたところを初めて見た気がする。 「それじゃあ、依頼の話を続けてもらえるかな?」  寺城は二つ目のチョコレートを口に放り込むと、まだ熱いカップを手に持ちその熱を冷ましながら言う。  愛馬氏も寺城の様子に動揺しつつも軽く咳をし口を開いた。 「ゴホン。まずはこれを見てほしい」  愛馬氏は懐から何通かの封筒を取り出しテーブルの上に置いた。  寺城は俺にそれを開けろと目線と顎でしゃくって合図を送る。 「開いてみても?」  一応、愛馬氏に許可を取り一番上のものを開き広げた。  それは新聞の文字を切り貼りして作られた簡素な一文だった。 『フハナトワカレロ、オ前ノ身ガハメツスルゾ』  なんともわかりやすい脅迫文だが、それだけに犯人の特定は困難かもしれない。  もし、文面が長ければ長いだけ多くの情報が読み解けたかもしれない。  もし、手書きの文字であればその癖から犯人の情報を引き出せたかもしれない。  いや、俺には無理でも寺城の事だ、筆跡鑑定くらい出来ても驚く事は無い。 「なるほどね」  寺城は手に持っていたカップを置くと、白い手袋をし脅迫文を摘み上げ、正面から横から斜めから後から眺め、クンカクンカと匂いまで嗅ぐという奇行を全ての手紙と封筒に行った。  そして、一段落すると手袋を脱ぎ、チョコを二、三個まとめて口に放り込み、既に温くなった紅茶を上手そうに飲んだ。 「西岩君。君はこの手紙から何かわかったかな?」  寺城は詰まらなそうな、それでいて人を試し、おちょくる様な視線で俺を見る。  まさかアレだけで彼女は情報を掴んだのだろうか?  俺は真似て匂いを嗅いでいた手紙を下に置き、頭を掻きながら口を開いた。 「正直俺にはさっぱりです。こんな短い文では何が目的かさえも見当がつきませんし、文字も新聞の切抜きですし、各社の新聞を総当りで調べれば何処の新聞を利用したかくらいはわかるかもしれませんが……」  しかし、それは時間がかかり過ぎる。こんな相談の場では相応しくない、何もわからないのと同じ答えだ。 「目の付け所は合っているけど、観方がまだまだだよ西岩君」  以外にも彼女はそう言うと、飲み干したカップへティーポットから勝手に紅茶を注ぎながらこう続けた。 「文が短いという事は、犯人にとってはそれだけで事足りるという事だよ。つまり、脅迫者は愛馬氏と夫人が別れる事によって何がしかの利益を得る、若しくは守る事が出来る人間という事さ」 「……」  寺城の言葉に愛馬氏のこめかみがピクリと動き、何かを考えるように顎を親指と人差し指でなぞる。  それを見た寺城は、僅かに嫌な目つきになり、既に温い紅茶を小さく一口だけ飲んだ。 「それからこの切抜きだが、恐らく『帝都経済新聞』『朝陽新聞』『自由日報』の三社の物が使われている。更に紙の状態から見て古い物、新しい物を混ぜて使っているが、旭日だけ新しいものしかない。つまり、脅迫主は帝経と自由を定期的に購読している可能性が高い」  俺と愛馬氏、夫人の顔が驚愕に強張る。  もちろん古紙回収などで手に入れた可能性もあるけどね。と寺城は言い、喉を塗らすようにまた少しだけ紅茶を飲むと話を続けた。 「また、切り抜いた文字だけど、全て丁寧に正方形に切り抜かれ隅まで綺麗に糊付けされていながら、ワザとらしく傾いで貼り付けられている。ボクの勝手な推測だが、これを作った人物は育ちが良く根は真面目だが、甘さの抜けきらない若い人物だね。やるなら隅々まで、中途半端で終わるべきではないよ」  寺城は、そう言いながら俺の前に置かれたチョコを皿ごと奪い去り己の口に運ぶ。 「流石ですね寺城さん」  嫌味をため息混じりに言うと、寺城は鼻で笑いながら言った。 「初歩的な推理だよ西岩君」  と嘯く寺城の目は、僅かに笑いながらも次の獲物を見つけたかのように、鋭く愛馬の顔を射抜いた。 「それで、愛馬氏は犯人に心当たりがあるようだけど――」  その言葉に一瞬愛馬氏の瞳孔が開き、寺城を威嚇するように睨んでいた夫人も愛馬氏の腕をより強く抱き、彼の顔を見た。 「――ご子息のどちらだとお思いで?」 「っっ!?……どうしてそう思う?」  愛馬氏は小さく息を吸い、驚愕に歪んだ顔を無表情の鉄面皮で覆い、鋭い瞳で寺城を見た。  逆に寺城は実にいやらしい顔でゆっくりと足を組み替えた。 「まず、脅迫状に使われた新聞三社を上げた時、君の顔が僅かに強張った。この家で取っている新聞は?」 「……帝経と自由の二誌だ」  愛馬氏の答えに寺城は当然というふうに頷く。 「恐らく旭日は撹乱用に外で買ってきたのだろうね」  寺城はバリバリとまとめてチョコを噛み砕き、温い紅茶を喉へ流し込む。 「愛馬氏、貴方の様な悪人にとってこんな脅迫状は日常茶飯事だ。にもかかわらず、こんな金銭の要求もない悪戯じみた脅迫状を無視するでもなく、官警に相談するでもなく、ボクのような探偵に依頼した。つまり、貴方はこの脅迫状の差出人が誰か大体の心当たりがあり、内密に解決したい相手だと思っている。違うかい?」  寺城は頬に付いたチョコを小さく真っ赤な下でチロリと舐め取る。 「長男は私に似て傲慢だ――」  愛馬氏は紅茶を一口のだけ飲むとため息をつくように言葉を吐き出した。 「――社を率いる者としての資質はあるが、私人としては褒められたものじゃあない。最近では私の物まで自分の物の様な言動をする始末。次男は前妻に似て優しく、家族思いで優秀だが、社を率いるには優しすぎて向いていない。私人としては、私などより良い父となるはずだ」 「つまり、犯人は長男だと思っているんだね?」 「ああ、まさかこうも早く私の意図に気付くとは思わなかったよ」  そこまで話すと、愛馬氏はすっかり冷めた紅茶を一気に呷った。  寺城はニヤリと嫌な笑みを小さく浮かべながら、最後のチョコを口の中で転がす。 「それで愛馬さんとしては、長男さんが脅迫状の差出人である証拠を掴み、表沙汰にせず釘を刺したいという事ですね?」  愛馬氏は俺の問いにゆっくりと頷き俺の目を見た。  その瞳に映る光はしっかりとしたものだった。 「ああ、親馬鹿だと笑われるかもしれないが、優秀な跡取り息子だ。大事にはしたいが、一人の親として弱みは見せられない」  そう言うと愛馬さんは小切手を取り出しサラサラと金額を書いて寺城の方へ差し出した。  それは、探偵業の相場を知らない俺でも十分すぎる額だと思える程度には高額であったが、彼女は一瞥すると無造作に俺の方へ押しやりポットからお茶を注ぎ優雅に啜った。  それを確認した愛馬氏が手を叩くと、外で待機していたのか扉を開きロマンスグレーの髪をした老執事が現れ、完璧な作法で頭を下げた。 「執事の下村だ。私はまだ所用があるので少々失礼するが、何かあったら彼に言うといい。下村、寺城さん達をお部屋にご案内しろ」  そう言い愛馬氏は夫人と共に席を立ち上がる。 「では夕食で」  そう言って部屋を出ようとする愛馬氏に寺城はウインクをしてこう言った。 「夕食の後に二人で話したい大事な用があるから開けておいてくれよ?」  それは背筋に寒気が走るほど妙に色っぽく、その手の趣味がない俺ですら生唾を飲みこんでしまった。  正面からそれを見た愛馬氏の動揺はどれほどの物か。  嫉妬に狂った夫人が強引に腕を引っ張り愛馬氏を正気に戻すと、半分引き摺るように部屋の外へと出て行ってしまった。  寺城がわずかに嫌な笑みを口元に浮かべそれを見送ると、執事の下村さんが小さく咳をした。 「執事の下村丈二(しもむら じょうじ)と申します。主の依頼をお受け頂き感謝いたします。滞在の間何かございましたら何なりと私(わたくし)にお申し付け下さいませ」  そう言って再度見事な作法で頭を下げた。  成金趣味の主とは大分違った、清浄感溢れる落ち着いた紳士のようだ。 「蓮城に過ぎたるもの二つ有り。下村丈二に青山の館」  なんて事言うのかなこの人は。 「いえ、私などまだまだ至らぬ粗忽物でございます。そんな至らぬ者を厚遇してくださる主は、私にとって神様のようなお方です。ですのでそのように言われてしまいますのは大変恐れ多い物でございます」  それに引き換え、この老執事はなんと奥ゆかしく出来た人なのだろうか。  うちの厚顔不遜の化身の如き主に毎日朝昼晩と爪の垢を煎じて飲ましてやりたいくらいだ。 「しかし、大荷物でございますな。私の力では文字通り少々荷が重過ぎますので今台車をお持ちいたします。申し訳ございませんが、もう少々お待ちくださいませ」  下村はそう謝罪をして一旦部屋を去ると、それと入れ違いになるように三〇代ほどの美丈夫が部屋の戸を開けて現れた。 「ん、客人ってのはあんた等か?」  なんとも上流階級人間にしては粗暴というか、礼のなっていない、一〇代の若者であれば若気の至りというのも通じるが、その歳でそれは少々如何なものかと思われる態度の男は、当然のように館の主、愛馬氏に似た作りの顔で格好をつけるように壁にもたれかかるようにし腕を組んでいる。 「君の父君、蓮城愛馬の客人、探偵の寺城だ」  まぁ、依頼人のご子息と分かっていながら、足を組んでソファーに埋もれたまま興味なさ気にパイプをふかし、横柄に返事をする我が主と比べれば可愛いものだ。 「助手の西岩森也です」  寺城と一緒にされてはたまらないので、一応礼節通りにしっかりと頭を下げたが、ご子息はそもそも俺の事など眼中にないらしく、寺城に近づくとその小さな左手を取ってキザっぽく笑みを浮かべた。 「蓮城軽(はすしろ けい)だ。親父から話しは聞いているよ。滅多に表に出ないが、裏から数々の凶悪事件を解決している、美と智を併せ持つ天使(サリエル)のような女性だと聞いていたが、まさかこれほどの美人とは思っていなかった。貴女に会えて実に光栄だ――」  軽と名乗った男は、父に似たガタイの良い体に似合わない、歯の浮く様な台詞を恥かしげもなく吐き出すと、自信満々の顔で寺城の手の甲へ口を近づけた……  ボタボタボタボタ…… 「つっぅっっ!!?ぶっ、何をするっ!?」  軽氏は寺城の手を離すと怒鳴りながら顔を拭い、頭をずらして上を向いた。  しかし、寺城は冷静に軽氏の避けた頭の上へ傾けたティーポットを移動させ、逆さまに茶葉まで残さずぶちまけた。 「な、なんだこの糞餓鬼は!?礼儀というものを知らんのかっ!!?」  軽氏は己の服で顔を拭いながら更に怒鳴る。  それでも寺城は顔色一つ変えず、ゆっくりと紫煙を吐きながら席から立ち上がった。 「君、ボクが名前を名乗った事をもう忘れてしまったのかい?大体、自分で親からボクが誰か聞いているとまで言っていtだろ?鳥だって三歩歩くまでは覚えているというのに、もしかしなくとも君は雀よりも脳が小さいのかい?」 「そういう意味じゃないっ!!どんな了見でこんな真似をしたんだと言っているんだ!!」  既に冷め切った茶だ、火傷のせいではなく憤怒の感情から、軽氏は顔を真っ赤にして唾を撒き散らし、正に一触即発の形相で寺城を睨みつける。  しかし、寺城はそんなものなんでもないようにパイプを咥え詰まらなそうな表情で言い放った。 「ボクは綺麗好きでね。汚物が手に触れたら洗い流すのが常というものさ。お茶に消毒作用があるのを知っているかな?」  部屋の扉が開かれると同時に激怒した軽氏が寺城へと殴りかかった。  扉を開け放ちその状況に唖然とする下村氏に一瞬気を取られ反応の遅れた俺は、弁慶と牛若丸よりも体位格差のある大男と少女のこの後に待つ悲劇を予想した。  圧し掛かるように伸びた軽氏の腕が、寺城の触れる瞬間、彼女が軽く身を捻りその手を払った。  すると軽氏は勢いそのままに身を宙に浮かせ、その粗暴ながら整った顔面から地面へと激突した。  俺と下村氏はその光景に唖然とし、顔を押さえ地面に倒れた軽氏は、その身に何が起こった理解できず、言葉にならないうめき声を上げている。 「父親に良く似てはいるけど、役者としては数段劣るね。名のある小悪党蓮城愛馬も親馬鹿だね」  寺城は、侮蔑するように冷ややかな笑みで吐き捨てた。 「っっざっけんなよこの売女ぁっ!お前も金目当ての阿婆擦れの癖によぉおっ!親父に媚でも売る気かっそれともあの甘ちゃん――」  軽氏は怒りに身を任せ、恥も外聞もなく口汚く照らしを罵るも、寺城の得体の知れぬ体術に尻込みをし腰が引けている。 「軽様、旦那様のお客様にそのような事を仰っては家名に傷がつきます」  軽は止めに入った下村氏に宥められ、軽は荒くなった呼吸をゆっくりと抑えながらも、憎悪と物理的な痛みに顔を赤く染め、美丈夫台無しの表情で俺と寺城を睨み、床に血液交じりの痰を吐き捨て、精一杯の虚勢を張るように大きな足音を立てて部屋を後にした。  下村氏はそれを困った表情で見送ると、逡巡するように二本の指でこめかみを軽く押さえ、小さく頭を振ってから俺達に対し深々と頭を下げた。 「私がこの場を離れたばかりにあのような状況になってしまい、誠に申し訳ございません」  あんな短時間で家主の親族にほぼ一方的にあそこまで喧嘩を売る寺城さんが異常なのだ。  下村氏がそのように頭を下げる必要など何処にもないのだが、これが出来た執事の対応というものなのだろう。 「いえ、俺が寺城さんを制止できなかったばかり申し訳ございません。軽さんのお怪我の方は大丈夫でしょうか?」  そう言って頭を下げるが、寺城はそんな俺の行動を無視するように、意地の悪い表情を浮かべた。 「そんな意地悪を言うべきでは無いよ西岩君。己の体重の半分もない女性に投げ飛ばされ、一方的に怪我をしただなんて恥以外の何者でもないんだからね」  この人は枯れ草を見つけると火を着けずに入られない性格なのだろうか。  下村氏の表情は変わっていないが、その心中穏やかではなかろう。 「そろそろお部屋にご案内させていただきます。お荷物はこちらの台車に載せさせていただきますが、問題は無いでしょうか?」  下村氏は懸命にも、これ以上寺城に話させるべきではないと判断したのだろう、何も聞かなかったかのように振る舞った。 「かまわないよ。西岩君、老人に骨を折らせるべきじゃあないよ。乗せるのを手伝ってあげたまえ」  どの口でものを言うのか。 「いえいえ、お客様にそのような事……」 「このくらい軽いものですよ」  俺達は下村氏に案内され部屋を後にした。
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