三人狩手部 一話 残暑

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三人狩手部 一話 残暑

 今年の夏は、迦具土と天照が我慢比べでもしていたのかと思うほど異常な暑さだった。  何人もの人が倒れ帰らぬ人となり、各報道機関もこぞって異常事態だと面白おかしく囃し立てていた。  本来今の時期ともなれば、夏は疾うの昔に過ぎ去っていなければならないはずだが、暦上は晩秋、立冬も近いというのに、どの家も炬燵や火鉢、ストーブの準備どころか、未だ夏の衣服のままの者も見かける有様に、老人達は「ワシの若い頃はこんな事ありえんかった。大体最近の若者は――」と、のたまっている。  まったく、この熱の半分でも昨年に前借できていればと、世の不条理を神に訴えたくなるばかりである。  昨年、そう後一月もせず俺は、この探偵事務所に転がり込み一年となる。  この一年にもならない僅かな期間に俺は無数の難事件、数々の怪事件、想像も絶する猟奇事件、そして僅かな心休まる事件に巻き込まれ、引っ張り込まれて生きた。  彼女によって連れまわされた事件のほとんどは、凄惨で救いの無い人の業を煮詰め、凝縮、凝固させた中でも飛び切りに歪で醜悪なものばかり選んで飾り付けたかのような物ばかりだった。  彼女の係わった事件の記事を切抜いて、一冊のノートに貼り付け収集してみたが、悪魔の手帳の如き酷く醜悪な本が出来上がった。  俺は彼女に一度尋ねてみた事があった。 「普通の探偵という物は、浮気調査や人探し、逃げた飼い猫を探すだとか、前に寺城さんが言ったように興信所の真似事みたいな事をするのでは?」  それに対して彼女は、いつも通り詰まらなそうにパイプを咥え、何も無い虚空を見ながらこう答えた。 「普通の探偵はね?ボクは名探偵なんだから、名探偵の仕事をするんだよ」  もちろん彼女の元には、――俺がいうのもアレだが、何かを勘違いしたのか――極普通の以来もやってくる。  しかし、そんな以来に対して彼女は、誰が依頼主であろうと、いくら金を積もうと、脅迫じみた依頼であろうと、パイプを咥えたままソファーに埋もれるように寝転び、一瞥もせずに言うのだった。 「見ての通り今日のボクは大変忙しい、そんなつまらない事をしている余裕は無いんだ」  と、膠も無く断ってしまう。  その度に俺は「巫山戯るな!!」「馬鹿にしているのか!!」等と――実際彼女は自分以外、いや自分を含めた全てに対し大した価値など認めていないように見える――激怒する依頼人達を宥めすかし、場合によっては今までの事件で知り合った他の探偵の所へ紹介し、時には物理的に追い出す等後処理に苦心してきた。  その度に我等が部下思いの所長殿は夜空のような真っ黒な瞳だけを動かしこう言うのだ。 「面倒な事をしているね。何時から君は探偵の斡旋業を始めたんだい?」  なんとも胸の篤くなる素晴らしい上司だ。一度瀧から突き落としてやりたい。  痛いこの人は、俺が来るまで怒れる依頼人達をどう処理していたのか……恐ろしいので深くは追求しまい。  とまぁ、まともな依頼人に穏便にお帰りいただくというよくある業務を今日も終えた時、寺城さんがゆっくりとソファーから起き上がり、やおら着替えを始めた。 「一体どうしたんです?」  俺は大体答えを予想しつつ問うた。 「そろそろ今日の依頼人のところへ行こうと思ってね。言っただろ『今日のボクは大変忙しい』って」  意図を小馬鹿にするように、彼女は眠たげな眼のまま口の端でニッと笑った。  それと同時に、事務所の前に円タクが停まり、運転手が降り立った。 「いつも言っていますが、直前になって仕事の予定を言わないで下さいよ」  彼女は俺の言葉を歯牙にもかけず、開けっ放しの扉にかかった二重回しを羽織り、鹿討帽を被る。  いつもの杖を右手に持ち、左手でパイプを持ちながら紫煙を吐き出し、悪びれもせずこう言った。 「面倒でね」  俺の切望は、一切気に止められていなかったらしく、それだけ言うと机の上に残雑に詰まれた手紙の山から一つ、やけに質の良い封筒を俺へと放った。  読んでおけという事だろう。  差出人の名は少し前に新聞で読んだ事のある苗字だ。  俺が封筒から顔を上げると、寺城は既に荷を掴み扉の外まで歩み進んでいた。  俺はその後姿を確認すると、最低限の荷物を引っ掴み部屋に鍵をかけ駆け出した。      揺れる円タクの車内、俺は寺城に渡された封筒の中身に目を通した。  依頼人の名は狩手部仁(がりでぶ じん)。  国内有数の製薬会社の現社長だ。 「彼の父とは少々付き合いがあってね。仁氏とはあまり親しくは無いが、何度か顔を合わせたくらいの仲でね」  彼女の依頼人には、彼のようなハイソサエティな御仁も珍しくはない。  むしろそのような家の方が、彼女のような名探偵を必要とする事件に巻き込まれるなり、発生されるなりする事が多い。  手紙の内容は、依頼人の父、すなわち狩手部製薬前社長、狩手部三太(かりでぶ さんた)氏の死亡の報道がなされた僅か後に、彼の末妹にして異母妹、戸村和(とむら なごみ)に脅迫状が届くようになり、それと時を同じくして不審な人影に付きまとわれたり、防寒に襲われかける等の事件が起きたというのである。  問題なのは脅迫状の内容と、それから予想される犯人だった。  状況と被害者である和氏の立場から考えれば当然そのような事態は予想されるとおり、脅迫状の内容はぽっと出の愛人の娘である彼女への事細かな、嫉妬交じりの侮辱と分配されるであろう遺産の相続権の放棄要求であった。  つまり、内容から考えるに犯人は身内なのだ。  そう睨んだ仁氏は、新興であれど政財界に大きな影響力を持つ狩手部家から、いや新興であるがこそ、この様な不祥事、醜聞は公表できない。  その為、事件の未然防止と調査、それから遺言状の開封される日――今日――まで和氏の護衛を依頼してきたのだ。 「……これ一月近く前の消印が押されてますよ」  末尾には、事が大事になる前に一度会って話がしたいと書かれているが、俺の記憶ではこの消印の日は寺城の突然の思いつきで鎌倉の温泉に出向き、そこで騒動に巻き込まれ、その後も幾つかの事件に首を突っ込み、狩手部家に向かった記憶は一切ない。  しかし、寺城さんはさして気にした様子も無く、焦点の合わない漆黒の瞳のまま、ゆっくりとパイプをふかしている。 「遺言状を開封する今日まで、少女一人を護衛しているなんてそんな酔狂な真似僕にはできないよ」 「そんな、死人が出たらどうするんですか」  俺の言葉に彼女は少しため息をついた。 「わざわざ脅迫状を出してくるような相手だよ?本気で殺すつもりなら、脅迫状なんて出しゃしないよ。わざわざ警戒される必要なんて無いんだからね。それなのに脅迫状を出したって事は、殺すつもりはないか、殺すだけの自身が無いか、あくまで最終手段としているかのどれかさ。つまり、今日までは安全なんだよ」  いくつか疑問点はあるが確かにその通りだ。 「それにね。直接顔は合わせてないけど、一応連絡だけはしていてね。彼女には通っている学校とその寮以外は、可能な限り外出しないように言ってあるんだよ」  どうやら、また完全に依頼人と連絡を絶っているわけでは内容で安心した。 「ああ、因みに今日開封される遺言状はここにある」  彼女の白い指先には、ヒラヒラと一封の封筒をチラつかせた。  その封を切って中を見てしまえば、この問題はすぐに解決するのかもしれないが、それを良しとする彼女では無いだろう。  それに、一見封は切られていないが、もう既にその中身を読んでいる可能性もある。  いや、彼女に見ないという選択肢なんて存在しないはずだ。  それでも、こうしてゆっくりと狩手部家に向かっているという事は、何か意味があるわけで……  彼女のような人非人、人の命など二の次三の次にすらあるかどうか怪しい人物の行動が、凡人に過ぎない俺に理解できるわけも無く。  しかし、本来闇に消えるはずだった数々の何事件、非道な極悪人、狂気的な大量殺戮犯、様々な巨悪を陽の下に曝け出し、滅してきた功績は何物にも変えられない事実。  結果として悪が減るのであればそれは善なのであろうか?  これは哲学にも似た小さな体に空いた底なしの宇宙を覗き込むようにな物なのだ。  俺は狩手部家へ向かう道中、彼女への対処を練りつつ、何度も依頼の手紙を読み返し、待ち受けているであろう困難に頭を悩ませた。
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