三人狩手部 二話 貰い子

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三人狩手部 二話 貰い子

 狩手部家の邸宅に着いたのは、十四時を過ぎた頃だった。  白漆喰の高い壁と小さな堀が、わざと古めかしく作られた比較的新しい武家屋敷の如き館を囲んでいる。  耳を澄ませば、内から犬の鳴き声が聞こえてくる。 「これは秋田犬の声だね。賢くそれでいて獰猛、なにより飼い主に忠実な日本で最優の犬種だ。恐らく番犬として飼っているんだろう」  自分勝手で気まぐれ、どちらかというと猫に近いこの人が犬について語るのは少し違和感がある。  そんな事を考えながら古めかしく厳しい武家屋敷門に取り付けられた、近代的で洗練された電気式の呼び鈴を押した。  するとこれまた近代的な「ジリジリジリーーッ」という、音が遠くから聞こえた。  しばらく待つと、砂利を踏む音が聞こえ、こちらへ近づくと「カチン」という、重い金属音の後にゆっくりと戸が開かれた。 「久方ぶりです寺城さん。お待ちしていました」  洋装に身を包んだ痩身の紳士然とした中年と初老の中間ほどの気難しそうな男が、小さく寺城に頭を下げた。 「やぁ、直接会うのは二年ぶりくらいかな?」  寺城が顎を摩りながら言葉ほども興味なさ気に形式だけの挨拶を交わすと、男の目がチラリと俺の方を見る。 「初めまして、寺城さんの助手をさせていただいています。西岩森也と申します。以後お見知りおきを」  俺が頭を下げると、男は少し考えるように目を細めた。 「初めまして、私は狩手部家当主狩手部仁だ」  そう言うと彼は俺達を中へ招き入れた。  武家屋敷門の向こう側は、武家屋敷というよりも大名屋敷の如き見事な物だった。  我が実家のような、昨今流行の和洋折衷なレンガ造りに瓦屋根の数階建ての館などではなく、外観通り純和風の巨大な平屋屋に、上田宗箇の意匠を真似た庭園が広がっていた。  大きな直打ちの飛び石を通り、玄関を潜ると大きな土間に二つ、小さな女性物の洋靴と大きな男性物の革靴が置かれていた。 「失礼ですが、使用人の方は?」  俺の質問に仁氏はチラリと疑うように俺の顔を見て答えた。 「寺城さんに言われまして、用心の為に可能な限り、朝から遺産の相続人以外は外へやっております」  寺城の方を見ると、彼女は気にした様子も無く、器用に足だけで靴を脱ぎ捨てている。  俺が自分と寺城の靴を揃え終えると、仁は俺達を日当たりの良い縁側のある部屋へと案内をした。 「どうぞお座り下さい」  促され俺と寺城さんは庭を背に座布団へと腰を下ろした。  それを見計らったかのように、襖の外から少女の声がした。 「失礼します」  そう言って現れたのは美しい少女だった。  歳は俺と同じか一つ二つ下くらいだろうか。  全体的に良く言えば落ち着いた、悪く言えば地味な海老茶袴に一点、黒曜石の如く黒く長く美しい総髪を赤い組紐で飾った、見るからに女学生らしい少女だ。  神すら嫉妬するが如き人間離れした妖鬼の美を持つ寺城さんと比べれば、数段見劣りしてしまうが、銀幕のスタァが霞むほどには美しきこの少女は、礼儀正しく正座で頭を下げると、持ってきた盆からそれぞれの前へ煎茶と干菓子を並べ、それがすむと仁より少しだけ離れた位置へ座布団を敷き「失礼します」と一言断りをいれ座った。  いくら美しかろうと、一見何に対しても興味を持っておらず、他人を嘲笑しあざけ、不幸と悲劇を主食とするが如き、傍若無人、慇懃無礼、天魔の所業が如し寺城さんにこの少女の爪の垢を煎じて一升くらい飲ましてみたいものだ。 「護衛を頼んだ妹の和だ」  仁氏がそう言うと、彼女は三つ指をつき、再度丁寧に頭を下げた。 「戸村和です本日はどうぞよろしくお願いいたします」  全く、彼女の詰めの垢を寺城に煎じず、そのまま練って団子にして食べさせてやりたくなる。  当の寺城は、気にした様子も無く、和三盆の干菓子を白い指先で摘み、艶やかな桃色の口元へと運び、舌先に乗せゆっくりと口の中へと連れ去り、ゆっくりとその味を楽しむと、お茶を啜り口を開いた。 「ボクは十五時頃に、ボクがこの家に着いた後に来るよう言ったはずだけど、どうして先に来ていたんだい?」  仁氏が口を開くその前に、和が言葉を発した。 「寺城様の助言通り女学校に篭っていましたが、脅迫状や不審な影、嫌がらせは止まず、僭越ながら私自ら判断し、行動させていただきました」  お淑やかに見えて中々、胆力と行動力に恵まれた新時代の女性らしい。 「和!出しゃばりすぎだ!」  声こそ張り気味だが、そう言った仁氏に言葉以上の怒りは無く、顔には見せないがお転婆な妹を中々可愛がっているように見える。 「申し訳ございません」  謝る和も反省というよりかは、建前、示しの為といった感がある。 「で、その行動と言うのは?」  湯飲みを持つ寺城の指に、ほんの僅か力が篭った。 「はい、先日相続権放棄すると宣言いたしました」  その言葉に寺城の眉がピクリと動いた。 「……ふーん。で、女学校に届いた脅迫状を見せてもらえるかな?」  和は事前に準備していたようで、部屋の目立たない所に置いてあった手紙の束を寺城に差し出した。 「なるほどねぇ」  俺の分の干菓子を口に運びながら、寺城はペラペラと速読のように手紙を捲っていく。  手紙のどれもが、物差しで線を引きかかれた字で誹謗中傷が書かれており、気の弱い人間であれば寝込んでしまいそうなほどである。  また、それらはあて先も和の名こそ書かれているが、切手が貼られていなければ住所も書かれていない。 「これはこれは、犯人の協力者が学園内にいるね」  寺城はこともなげにそう言うと、お代わりを要求するように干菓子の入っていた皿を和の方へと押しやった。  そして、彼女の発言に疑問を口に出そうとしていたのを遮り聞いた。 「ところで相続権放棄って何だい?ボクは聞いていないよ?」  嘲笑するような表情の寺城に、仁氏が眼鏡を押し上げ答えた。 「昨日の昼に兄弟全員、私と次男の稲蔵、長女の末子が揃っていた時、帰ってきた和がそう宣言したのです」  私への相談も無しに――と仁氏は小さくため息をついた。  和が自分の分の干菓子を寺城に差し出すと、彼女は当然のようにそれへ手を伸ばし口に運んだ。 「全く、君は死人を出したいんだね」  寺城は奥歯で干菓子を噛み砕きながら言った。 「……それはどういう意味ですか」  和は気丈に寺城を睨みつけたが、その瞳の奥は僅かに不安で揺らめいている。 「わからないのかい?それともわかっていて惚けているのか……君は犯人の標的から逃れられたと思ってるかもしれないが、犯人が本当に遺産目的かそれすら怪しい上に、そうであった場合君以外が狙われる可能性まで出てきた」  見下した、気に食わないものを嬲るように寺城は犬歯を見せて言った。 「君が僅かに生きる可能性を上げる代わりに、他の誰かが死ぬ可能性を上げたんだ。君は、生きる為に兄弟の命を差し出したんだよ」  和の顔が驚愕に歪んだ。 「寺城さんっ!」  俺は思わず声を上げた。  そんな俺を寺城は冷静な眼で見上げた。 「ボクは何か間違った事を言ったかな?」  寺城は和がどんな気持ちでその言葉を受け止めるかわかって言っている。  しかし、彼女は彼女の正義を盾に絶対にその言葉を撤回せず、咎めれば咎めるほど、残酷な正論という矛で相手が倒れるまで傷つけに来る。 「いえ、貴女に他人を気遣えというのが無理な話でした」 「必要があれば気遣うよ」  そう言うと彼女は最後の干菓子を口に放り込み、温くなったお茶を飲み干した。 「お茶を入れ直してきます」  そう言って立ち上がった彼女の声は僅かに振るえ、目の端には光る雫が見えた。  俺は盆を持ち部屋を出ようとした彼女へ声をかけようとしたが、同時にガラガラと乱暴に玄関の扉を開く音が聞こえ、その機会を逃がす事になった。 「今帰ってきたのは……ああ、末子の方か」  座りなおしながら何故、弟の方でないとわかったか聞こうとしたが、どすどすという鈍く重い足音でなんとなく察した。  その米俵を乱暴に降ろしたような足音は徐々にこちらへ近づき、バシバシと力士の張り手の如きノックのような振動が襖を揺らしたと思うと、間髪入れず乱暴に開かれた。 「チッ……こんな早くに仕事熱心だこと、遺書の開封は夕食後ではなくて?それとも図々しくも夕食にご相伴預かろうなんて、餓えた豚のように浅ましいわね」  開口一番、憎悪に近い目で寺城を睨みつけ嫌味を吐き捨てたのは、身長こそ平均的な女性より少し高い程度だが、横周りが並みの関取と余裕でタメを張れるほど太ましく、しかし、その顔つきは貪欲なイボイノシシと神経質な蛇を掛け合わした様な酷く不均衡な中年女性だった。  恐らく、この女性が仁氏の妹にして、狩手部家の長女末子なのだろう。  しかし、初対面の人間がいる前で、堂々と人を侮辱する事も驚いたが、自分の容姿を差し置いてよく人を豚と比喩できるものだと感心してしまう。 「これはこれは豚が人語を話すとはね。人の方が恥かしくて赤面してしまう事態だよこれは」 「ぷっ……失礼っ」  寺城の返しに末子は顔を真っ赤にし、鼻の穴を大きく過呼吸気味に金切り声を上げ、寺城を罵倒した。 「人を豚呼ばわりなんてアナタ!人として最低限の節度や礼儀を知らないこの土人っ!!見た目で人を差別する差別主義者っ!内面を見なさいよ内面をこの性格ブス!!だいたい――」  自分の事を棚に上げ、前後で矛盾を孕む罵倒を繰り返す末子に対し、寺城は一切の興味がないらしく、馬耳東風とパイプに新しい葉を詰めゆっくりとそれをふかした後、何か思い出したかのように仁氏の方を向いた。 「次男の稲蔵の姿が見えないがどうしたんだい?」  仁氏も末子の発狂は辟易半分、成れ半分といった様子でない物のように気にせず寺城へ答えた。 「眠くなったと言って、昼食後すぐに自分の部屋に向かったが、未だ起きてきた様子は無いな」  稲蔵。たしか、渡された資料には和以外の記載は少なく、仁氏や末子のように狩手部製薬の重役を勤めている以上の事は書かれていなかった。 「すいませんが、稲蔵さんはどんな方なんでしょうか?」  俺の質問に仁氏は少し考えるようにした後、ゆっくりと口を開いた。 「ふむ、稲蔵はーー」 「最低のクズよ!!図体ばかりデカイくせに小者でケチで小賢しくて、品性下劣で女を喰い物程度にしか思っていない悪しき旧時代の代表、男を煮詰めたような奴よ!日本の雄全てに言える事だけど、男は欧州のれでぃーふぁーすとってのを学ぶべきなの!男は女に傅いて初めて価値が出るのよ。いい貴方も――」  寺城を罵倒するのに疲れたのか、末子は一番上座へと座ると今度は今この場にはいない、兄である稲蔵の批判から、日本男児の批判、そして欧州崇拝、自身のゆーとぴあ(何処にも存在しない場所)を語りだした。  途中、仁氏が話を戻そうと俺や寺城に話しだすが、末子は強引にも無理矢理話しに割り込み自分の幻想を語り続ける。 「――日本の男共はもっと女性の意見を聞いかなきゃいけないの!いい?女性は男よりも平和的で理性的で知性溢れ、あらゆる面で勝って――」  もちろん誰も聞いていない。  仁氏は呆れを通り越し、公害か何かのように渋い顔でお茶を啜る。  寺城はそもそも鴇の鳴き声程度にも感じていないようで、甘酸っぱいパイプに酔いしれるように焦点の定まらない瞳で、虚空に何処か彼方を幻視しているようだ。  さて、俺はどうやってこの地獄絵図を凌ぎきるべきか?  もう一度資料を確認しなおそうかと思った時、襖の開く音がし、同時に五月蝿い騒音がピタリと止んだ。 「――チッ、売女の娘が、図々しくもまだこの家にいたの?もう相続権を放棄したんだからとっとと出て行きなさいよ。それとも、稲蔵兄さんの愛人にでもなる気?アイツだったらあんたみたいなブスでも喜んで腰を振るんじゃない?」  和が新たなお茶と茶菓子を持って戻ってきたのだ。  どうやら末子は和の事を男以上に非常に嫌っているようで、肉親に吐くにしてはあまりにも汚すぎる暴言をぶつけるが、彼女は成れているのか一切反応せず、皆と同じように彼女の目の前にもお茶と茶菓子を配る。  末子はその態度すらお気に召さなかった。 「そのすまし顔が男に媚びてるって言ってるのよ!!あんたみたいなのがいるから男が分不相応に付け上がって、アタシ達誇り高い女性が不当な扱いを受けるのよ!!この雌――」  なんとも品性もなければ知性も感じられない、色々と酷い暴言を和は柳の如く受け流し、全員の前にお茶と茶菓子を配り終えると、自分の座っていた位置に戻った。 「――ちょっとあなた達聞いてr――っ!」  ガタンッ!  誰も聞いていない末子の大演説を止めたのは、何処からか重く響いた何かが倒れる音だった。  それは多少距離があるのか、それは決して大きな音ではなかったが、末子のカン高い金切り声の止んだ屋敷にバタバタともがき足掻くような音がすぐ後に鳴り出すと、気付いていなかった仁氏や和が驚き耳を立てた。 「ど、何処に行くのよ!あ、アタシの話は終わっていないわよ!!」  突如立ち上がった和に末子が慌てて声を荒げるが、和は止まらず襖に手をかけた。 「音が気になるので向います!」  言うが早いか、彼女はそのまま襖を開け放ち廊下の向こうへ消えていった。 「寺城さん!」  俺が寺城の方を向くと、彼女は少しため息をつきパイプを仕舞った。 「仕方ないね。ボク達も行こうか」  そう言って立ち上がった寺城の動きは迅速だった。  襖を開け廊下に出て和の向かった方へと進み、離れの厠へと進む通路、僅かに開いた扉から茶筒のみが置かれたままになっている机の見える台所、納戸を通り過ぎ、迷い無く進んだ寺城の前には、先に出たはずの和の背中が見えていた。  そして、目の前にはバタバタと足掻く音、苦しみ呻く声が僅か襖一枚を隔てて漏れ出てくる部屋。  和はそれを迷い無く開け放った。 「ヴっ!ばやぐっ!!ヴぁすげろっ!!!」  そこには倒れた箪笥に繋がれた荒縄が天井の梁を伝い、筋骨隆々な壮年の大男の首に巻きついていた。  男は己の指が一本、首と荒縄との間に挟まる事により、辛うじて完全に首が閉まるのをさけ。  更に宙に浮いた足を暴れさせて床に倒れた椅子を蹴る事により、首への圧迫を僅かに減らし、何とか息を保っている状態だった。 「稲蔵兄さんを降ろすのを手伝って下さいっ!」  そう訴えかける和を無視し、寺城は足元を確認しつつ倒れた箪笥に近づき、軽く腕を振ると緊張した荒縄が弾けた。  ドスンッ! 「がはっつっっ!!がはっがはっ!うはーはーはー……くそっ!!」  首吊り状態から開放され、地面に落ちた大男は、苦痛に顔を歪めつつ何度も大きく息を吸うと悪態をついて畳を殴りつけ寺城を見るが、彼女の手にある小さくも鋭い匕首を見て唾を飲み込んだ。 「全員下手に動かないでくれよ。現場を荒らされたら困るからね」 「おいそれより――」  寺城はゆっくりと周囲を観察しつつ言った。  倒れた大箪笥と飛び散った花、下敷になり散乱した花瓶と水浸しになった畳、椅子の足痕がついた文机と転がった椅子、荒れた布団と被害を免れたギヤマン張りの棚、ギヤマン張りの棚の中には外国製の高価な懐中時計が飾られている。 「おいばばあ――」  寺城は割れた花瓶の欠片を手にとり、倒れた箪笥を眺め、荒縄を調べた。  周囲を無視し調査に没頭する寺城に大男は痺れを切らして苛立たしげに声を上げた。 「おい妖怪ババア!オレを無視してんじゃねぇよ!相変わらず礼儀や慎みって物を腹の中に忘れてきちまったのか!!」  大男が首を摩りながら立ち上がり、寺城の方へ一歩を踏み出した。 「邪魔をすると前みたいに投げ飛ばすよ?」  寺城がそう言うと大男の足が止まり、精一杯の抵抗か、大きく舌打ちをした。 「チッ!!……おいババア。当然オレをこんな目に合わせた奴を逮捕して、豚箱に放り込んでくれるんだよなぁ?」 「現行犯逮捕以外の逮捕は、官僚達の専売特許でね。ボクのような一介の諮問探偵にそんな大層な事は出来ないよ」  寺城は白々しくそんな事を言いながら、文机の傷と転がった椅子の脚を比較している。 「ケッ!貴様がそんな事を気にする玉か?」 「建前は大切さ。それを尊重しなければ社会は機能不全を起こしてしまう」  寺城はそう答えながら、文机に椅子を載せ、手を伸ばし梁の上までの距離を図る。 「岩西君。そこに屈みたまえ」 「どうするんですカッ!?」  俺が言われるがままに屈むと彼女は細くも柔らかい太ももで俺の顔を挟み込み、背中にムニムニとした臀部の暖かさが伝わった。 「そのまま立ち上がって、その椅子の上に立ちたまえ」  この人はやはり恥じらいを親の腹に忘れてきたのだ。  俺が悪魔の誘惑を無視し、意外と安定した文机の上にある椅子の上に立つと、寺城は梁の上を覗き込み少し考えると俺の頭を叩いた。 「もう降ろして結構だよ」  そして、俺が寺城を降ろすと今度は畳を這うように観察しだした。  そんな寺城を見ていた大男が、「ケッ」と悪態をつくも、彼女の言いつけ通り足元に気を配りながら部屋を出て行こうとすると、彼女は彼を振り向きもせずにこう言った。 「他の二人に部屋から動かないよう言っておいてくれ給え」 「何で俺がそんな事をっ」  当然のように怒りふり返る大男に、寺城はしゃがんだまま首だけで下から見上げ、当然の事のように続けた。 「ついでに警察も呼んでくれ給え、君をこんな目に合わせた犯人を捕まえたいんだろぅ?」 「……チッ!」  舌打ちをしまた部屋を出ようとした大男を寺城は再度呼び止めた。 「それから……」 「ああ?今度はなんだよ」  苛立ちながらもしっかり向き直り用件を聞く辺り、この大男態度に似合わず律儀だなと思った。 「警察が着いたら、二人と警察を連れてまた此処まで来てくれ」  大男は眉を顰めたが、少しして寺城の言っている意味に気付き目を大きく開いた。 「……おい、もう犯人がわかったのかよ!?」  寺城はいつも通りの詰まらなそうな、座った目で意地悪そうに答えた。 「さて、どうだろうねぇ」 「チッ!!」  大男は三度舌打ちをすると、今度こそ戸を潜り部屋を後にした。  寺城はゆっくりと立ち上がると、少し和を見てから文机に腰かけ、パイプに火を入れ、味わうようにゆっくりとふかした。 「あの……」 「西岩君」  声をかけてきた和を遮るように、寺城は俺に呼びかけた。 「君、これをどう考える?」  俺は顎に手をあて、ゆっくりと寺城が調べて回った所を一つづつ再確認しながら自分の考えをまとめる。  倒れた箪笥、水浸しの畳、飛び散った花、繋がれた縄、暴れた大男、倒れた椅子…… 「他殺と見せかけた自殺?」  俺の回答に目を閉じた寺城の片眉が上がる。 「あのどうしてそう思うんですか?」  声をかけてきたのは、寺城ではなく和だった。  彼女はどこか納得できないようで、その瞳には疑問の色が浮かぶ。 「理由は大きく二つです。一つは誰がこの犯行を行えたか。彼、稲蔵さんでよろしいでしょうか?今、稲造氏を殺して利益を得る事人物は二人。仁氏と末子氏ですが、稲蔵氏が首をくくらされた時、お二人は俺達と一緒にいました。もし何らかの手段でそれを時限式にしたとしたら、その装置となる物が必ず残っているはずです。しかし、それらしき物は見当たらず、実際に何かあったとして、彼がなんの抵抗もせず、殺されるのを待っているとも思えません」 「稲蔵さんは昼食の後すぐに眠くなって自室に戻られました。もしこの時、食事に睡眠薬が盛られていてそれによって抵抗できなかったとしたら?」  俺の推理の疑問点に和は臆する事無く切り込んできた。  確かに俺もそれは考えた。  しかし、睡眠薬が盛られていたと考えるには、明らかに不自然な点があるのだ。 「睡眠薬が盛られていたにしては、彼の意識ははっきりしすぎではありませんか?殺すつもりなら事が終わるまで起きない量の睡眠薬を盛るはずです。それをしない理由は無いでしょう」  和は眉を顰め黙った。  納得はしていないようだが、反論が見つからないのだろう。  実は、言っている俺も何処か引っかかる物があるのだがそれが何かわからない。  俺は自分を納得させる為にも言葉を紡ぐ。 「二つ目は仕掛けです。これが何らかの仕掛けであったとして、人一人殺そうとここまでの事をやっておきながら、未遂に終わるなどあまりにもお粗末過ぎです。そして、咄嗟に行った殺人未遂だとすれば手が込みすぎです。つまり、どちらにせよ中途半端すぎるんですよ」  俺の推理を詰まらなそうに聞いていた寺城の眉が僅かに動いた。 「いくら稲蔵氏が非常に逞しい体をしているとはいえ、否、逞しい体だからこそ、高い位置から首を吊ればその体重も相成り、瞬く間にあの世へ旅誘ったはずです。しかし、実際は鍛えられた首と荒縄の間に偶然挟まった一本の指により気道が確保され命を繋いだ。更に偶然倒れた椅子が僅かに足の届く範囲にあった為、完全に宙ぶらりんになる事無く、俺達が駆けつけるまでの間命を繋ぐ事が出来た。あまりにも偶然が重なりすぎじゃあありませんかね?」 「倒れた椅子は、自殺に見せかける為に踏み台に使ったと思わせようと近くに置いたのでは?」  和は再度反論をしてきた。 「自殺に見せかけるなら、遺書なり何なりそれらしく見せる品を用意するはずです」  状況証拠ばかりではあるが、筋道は通っている。  しかし、やはり俺の脳内では決定的な間違いを起こしていると警鐘が鳴っている。  和も納得しきれないだけでなく、俺に迷いを感じたのか、真っ直ぐな瞳で俺を見据えてくる。  俺はその清廉なまでの瞳から逃れるように寺城を見た。 「なるほどね」  寺城はいつも通りの眠そうに座った目で小馬鹿にするように小さく笑った。  ああ、またか。 「やっぱり間違いですか」  寺城はパイプを吸うと、じっくり時間をかけ紫煙を吐き出した。 「初めて会った時にも言っただろう?十分に情報を集めてから推理したまえと」  そう言うと寺城は、手の中で弄んでいた花瓶の欠片を俺に放った。  刺さらないよう、手の平で優しく受けたそれは、一見ただの陶器片である。  しかし、未だ寺城の体温残っているのか、ほんのりと暖かなそれを裏返し俺は気付いた。 「これは……!?」  花瓶の口の部分の破片だと思われるそれは、外面と内面の間に空間が作られてた、二重構造になっている。  そして、このほんのりと暖かいのは外側ではなく内側。  魔法瓶構造の花瓶なんて物見たことも聞いたこともなければ、それにお湯を入れ花を生けるなんて想像もつかない。 「時限装置を消した仕掛けさ」 「そうか!氷の柱か!!」  俺の言葉に和も気付いたように開いた口元を手で隠した。 「そう。犯人は氷の柱で倒れかけた箪笥を支えさせ、犯行時刻を間違えさせる装置としたんだよ」 「つまり、近くに置いておいた熱湯入りの花瓶が、箪笥の倒れる衝撃で割れ、溶け残った氷を溶かすと同時に濡れていてもおかしくない状況を作り出したという事ですか」  パイプを咥え、目を伏せたまま頷く寺城に和が疑問を唱えた。 「そんな特注品の花瓶を作るほど用意周到でありながら、あちらこちらに荒が目立つのは何故でしょう」  当然の疑問だが、寺城は大して意に介した様子はなく、小馬鹿にしたように片目を開き、パイプの吸い口で和を指し示した。 「そりゃぁ、これは元々君を殺すために準備した仕掛けだからだよ。君みたいな小娘を想定していたのにあんなウドの大木に使えば無理も出るさ」   寺城の指摘に和は驚き、僅かの間表情が固まった。 「……何故そんな事がいえるのですか」  和は気持ちを落ち着けるように一度目を閉じ、ゆっくりと見開くと、毅然とした態度で問いかけた。  きっと、彼女は心の中でこの答えを予想していたのかもしれない。 「中途半端な薬の効き目、首を括られながら足場となる物に触れてしまう程の長さの荒縄、君達が会話で上げていた疑問の答えは、君を標的にしたものであれば全て説明が済む」  少女としても小さく小柄な和と大人としてもかなり大柄で筋骨粒々な稲蔵では、体重も倍近く違う。  そうなれば、必要な薬の量も変わってくる。  並べられる証拠に和は焦る。 「しかしっ――」 「自殺に見せかける遺書が無いのだって、君の筆跡に似せて作った遺書はあったが、稲蔵の物を作る時間は無かったと考えれば妥当さ。これ以上に条件に合致する対論はあるかい?」  寺城の冷たい瞳が、初めてまともに合った和の瞳を射抜いた。 「君は稲蔵をどうしたいんだい?いや、犯人が誰なら納得するんだい?」 「そ、そんなつもりでは……」 「この家の誰かが犯人なのは間違いないんだ。それとも君が犯人だと名乗り出るかい?」  寺城は犯人を追い詰める時の様に、いや、犯人を追い詰める時以上に不必要な陰湿さ、私怨の篭った言葉で和を追い詰めていく。  そして、必死に泣くのを堪えるように押し黙った彼女へ、最後の言葉を突き付けた。 「貰われっ子最後の献身かい?止めときなよ。認められない事実だろうと証拠の指し示す先は変えられないよ?」  寺城の加虐的な言葉に、和は顔を伏せたまま小さく振るえ、袴を握り締める指が真っ白になっていた。  寺城はそれを蔑むような目で一瞥すると、灰を床に捨て立ち上がった。 「さて、そのうち警察も駆けつけてくるだろう。その前に他の部屋を回ってしまおうか」  寺城はそれだけ言うと、後はふり返りもせず部屋を出て行った。  俺がどうした物かと和を見ると、彼女は目を伏せたまま気丈に言ってみせた。 「どうぞ、私は大丈夫なので行って下さい。ちゃんとすぐに追いかけますから」  俺には、小さく頭を下げその場を後にする事しか出来なかった。
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