斑糸 一話 学生服の探偵助手

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斑糸 一話 学生服の探偵助手

 半ドンの鐘の音とともにとっとと学校後にし、道中の何処となく垢抜けない洋食屋でカレーラヰスを腹に詰め込んだ俺は、事務所のソファーにかけまどろみながらここ数日で大きく変わった生活を思い出す。  そう。あの事件からまだ数日しか経っていないのだが、俺はあの奇妙な御仁に気に入られたのか、この得体の知れない探偵事務所で住み込みで働く事を許されたのだ。  あの美しくも日本刀の如き鋭さと陽炎のような怪しさを兼ね備え、闇と光の間を這い回り、知らぬ間に背後で闇夜の如き燃える瞳を瞬かせるような奇人、寺城冬華。  俺はここ数日、あの恐ろしい美人と寝食を共にしているのだ。  しかし、彼女についてわかった事といえば、恐ろしくと洞察力、記憶力に優れ、恐らく少女の如き見た目とはかけ離れた年月を生きているという事ぐらい。  彼女の日常は、とても法則性があるようには思えず、一日中ソファーに寝転がり、パイプをふかしているかと思えば、手紙や新聞を読み漁り、あちらこちらに連絡を取る。  昼過ぎまで寝ていたかと思えば、鶏よりも早く事務所を出て行く事もある。  自身はそんな不規則な生活を送っておきながら、俺に対しては「学校を出ておいて損は無い、事件の無い時は学業に専念してしっかり卒業したまえ」等と至極真っ当な事を給うのだ。  断る道理もない為、学校に行ってみたところ、父は俺を家から追い出しておきながら、退学にもせず学費を払い続けているようで何事もなく復帰できた。  担当教員が鳩が豆鉄砲食らった顔になったのは見物だった。  しかし、最初は性格に難はあれど、曲がりなりにも他事共に認める名探偵の助手になったのだから、その忙しさはどれほどの物か。  学業と仕事の両立等、いくら俺でもそうそう軽くこなせる物ではなかろうと思っていたのだが、数度あった不倫の調査、逃げ出した飼い猫の捜索というなんとも地味な依頼を彼女はにべもなく手酷く断り、かと言って、あのような殺人事件がそうそうあるわけもなく、両立どころか予習と復習をやっても時間が余るという始末。  彼女の好意で最初の一ヶ月分の給金、それもなかなかの額を先に貰っており、遊ぶ金には全く困らないのだが、住み込みで雑用程度も働いておらず、丁稚奉公以下、よく言っても石潰し以下の身としては、なんとも肩身の狭い状況である。  となると、さして真面目でもなければ、義理深くもない俺でもそぞろの虫が湧き上がるというもので、何もしないよりマシと足の踏み場にすら困る居住状況を少しでも良くしようと多過ぎる物物と格闘を始めた。  しかし、片づけがされてないとは言え、塵の類はほぼ落ちておらず、ほとんどが本や書類、高級そうな洋服といった対処に困るものばかり。  下手に場所を動かすのも小さな親切、大きなお世話。  逆に迷惑になってしまう方が問題だ。  せめてある程度まとめておこうと手近な書類の山に手を伸ばした。  俺はその中に先日聞いた名前の書かれた紙束を見つけた。 『浮村望調査報告』  俺は訝しげながらもゆっくりと紙を捲った。  どうやらあの男、あの時自身で語った以上に悪事を働いていたらしく、窃盗のみならず強請りタカリに強盗の果てに人まで殺していたとまで書かれていたのだから開いた口がふさがらなかった。  自分では被害者のように言っていたのにこれとは…… 「殺人なんて事は、意外と簡単に出来ないものらしくてね。大抵の殺人犯は、それに行き着くまでに幾つかの段階、小さな犯罪から徐々に大きな犯罪、凶悪犯罪を経て殺人犯へと至るのさ」  いつの間にか音もなく忍び寄った寺城さんが、脇の下から俺の手元の資料を見ながら言った。 「すみません」 「いや、かまわないよ。君もあの事件に係わったんだ。その程度の事情を知る権利はあるさ」  咄嗟に謝る俺に対し、寺城はなんでもないように言うと、俺の持っている資料を横から捲った。 「加害者、浮村の人生も面白いけど、被害者、駑馬とその妻の人生も中々見所があるよ」  彼女の指し示した頁を読み、俺はなんとも言えない気分になった。  被害者である駑馬は、阿片の密売のみならず、幾つものご禁制の品々を密輸、密売していたのみならず、反社会組織を使った敵対者の蹴落としや脅迫、そして殺人を行っていた形跡が見られ、その財産は多くの不幸と血によって作られたものだった。  また、浮村が懸想をし続けた故駑馬夫人もその隠し記していた秘密の日記から、複数の男を手玉に取り誰が一番利になるか天秤にかけていたらしく、お眼鏡にかからなかった男を内心嘲笑っていたらしい。当然、浮村に対しても『多少お勉強が出来るだけの醜い駄犬』と書き記していた。  彼に贈った櫛も他の男からの送られた品の中で、あまり価値の無さそうな物を思い出と言って渡したようだ。  他にも品性を疑いたくなる悪行、悪心が書き記されており、法律上の罪の重さは最も軽いが、性根の腐り方は先の二名を越えるほどに醜い、不治の病に犯され夭逝したらしいが、信心深くない俺ですら天罰と思ってしまう程度には酷い悪女であったようだ。  加害者、被害者、その関係者の誰をとっても悪人しかいない。  この事件、損失よりも利益の方が大きかったのでは思えてしまうのは白状だろうか。 「社会全体を通してみれば二名の労働力が失われ、悪人が二人、いや、今後芋づる式に捕まる共犯者も含めれば多くの犯罪者が相応しい罰を受け、彼等の毒牙にかかるはずだった人々が救われる。結果だけみれば利の方が大きな事件だよ」  寺城は心を読んだかのように軽薄な顔で俺を見ると、腕の下を潜りソファーへ寝転んだ。 「そうですね。出来ればこの事務所の悪も逮捕していただければ、もう少し住み良い所になるとおもうのですが?」  俺がそう言い部屋の整理を再開すると、寺城は火をつけたばかりのパイプを手に僅かに眉を上げて言った。 「僅か数日で言うようになったじゃないか。しかし、掃除をしている暇は無いよ?そろそろ迎えが来るだろうから、準備をしておくべきだね」  それはどういう言う意味なのか。  そう問いかけようとした時、階下から呼び鈴を押す音が聞こえ、次いで鳩村さんの美麗な声が耳に届く。 「脅迫を受けていると悪名高い成金から依頼があってね。その対策をしてほしいと御呼ばれさ。他にもいろいろ話す事があるようでね、なんと泊まりで夕食までご馳走してくれるそうだよ?」  彼女は小馬鹿にするように肩眉を上げ「楽しそうだろ?」といった風に話す。  なんともありきたりな依頼内容だ。  俺としては、彼女がそんな依頼を受けた理由の方が気になるが、成金だと言ったが、まさか依頼料の額で決めたわけでもあるまい。  まぁ、追々わかってくるだろうし、今それを気にしても意味がない。  コンコンっと、部屋の戸がノックされ、寺城の詰まらなそうな返事を待ち、麗しの鳩村夫人の声がする。 「呼んでいた帝都タクシーが来ましたが、今夜の夕食はどうしますか?」 「必要ないよ。明日の朝食もね」  寺城の返事に扉の向こうから瀟洒な鳩村夫人が不機嫌になった気配がした。  既に夕食の食材を買い込んできていたのかもしれない。 「それでは西岩君、君も準備をしてたまえ、一日分の着替えはいるからね」  そう言うと寺城は彼女の背丈ほどもある荷を示すと、自身は杖を片手に優雅に下へと向かった。  これは俺に運べという事なのだろう。 「ちょっと待って下さい。俺はまだ学生服ですよ」 「いいじゃないか、学生服はあらゆる場面で通用する万能な服装且つ自身の身分が一目でわかる優れものだよ?」  そう言って階下に消えた寺城を俺は急いで着替えを手近な鞄に詰め込み追いかけた。
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