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The Fourth Night
ケーキ屋でグイグイいくことはできなかった。
それでも、俺はもういい大人なのだ。ズルさだって知っている。卑怯にはならないくらいの、許容範囲のズルさを。
「ごちそうになりっぱなしだと悪いからさ。俺、一応社会人だし。よかったら夕飯を奢るよ」
彼女との時間を引き延ばして、親交を深めて、もう一回デートに誘って――。
その計画は、あっけなく崩れ去った。
ケーキ屋のあとに立ち寄ったショッピングモールで、彼女がトイレに行っているあいだに、いい感じのレストランを調べた。見つけたのは雰囲気のいいイタリアンバル。
そこに彼女を連れて行った。ドリンクメニューをのぞき込みながら「お酒は好き?」と尋ねたら、「好きです」との返事。
遠慮する彼女に、「遠慮しないで。せっかく運転手がいるんだしね」と、余裕ぶってカッコつけたのが、駄目だったのか。
――好き、と強い、は違うよなぁ。
「まだ、一緒にいたいです」
ようやくたどり着いた、アパートの部屋の前。「だめ、ですか」って舌足らずの声とともに、腕がぎゅっと抱きしめられる。彼女の声音は、誘惑するというよりも、駄々を捏ねる子供の声音だ。
「だっ……だーめ」と俺も子供に言い聞かせるような声音を作って対応する。身体の内側では心臓がドクドクだ。
「えー、どうして」
むうっとくちびるを尖らす子供っぽい仕草に、ひどくアンバランスなアイシャドウのラメ。暗闇のなかで艶っぽくきらめくそれに、ごく、と喉が鳴った。
「平田さんのこと、すきなのに」
拗ねた声でさらりと言われた。心臓がいっそう激しく音を立てたけど、ぐっと息を呑み込んで衝動をやり過ごす。
「……酔ってないときにまた聞きます」
「どうして。私は大人です。酔ってたって全然いいもん」
ぐらぐらぐらと理性が揺れる。大人。二十歳。成人。だったらセーフか。無罪か。――いやでも! 今日はちょっと後ろめたい感じに誘った日で、しかも遠慮する彼女にお酒を飲ませて――いやいやいや、これで酔った彼女を連れ込んだら有罪だ。
「……好きだよ」
耳元で囁いて、ぎゅうっと彼女を抱きしめる。甘く華やかな香りをごく間近に感じて、がらがらと理性が崩れ落ちそうになるけど、眉根を寄せて堪える。
「きみが大人なのは分かってる。酔ってたって全然いい。けど、俺も、二十七のいい大人なので。きみと誠実に付き合って、きみをちゃんと大事にしたいです。なので、今日はきみを自分の部屋に帰します」
必死の思いでそう言ったら、ふふ、と襟元を笑みがくすぐる。
「ぎゅってされて囁かれるの、ドラマみたい」
ふふふふ、と彼女は幸福そうに笑みを深める。俺はそうっと腕を緩めた。
「満足しました。今日は私の部屋に帰ります」
彼女はごそごそとバッグのなかを探って、鍵を取り出した。俺と同じデザインの鍵だ。もっとも、彼女が持つそれはキーホルダーも何もついていないそのままの鍵で、俺の鍵にはキーリングと車の鍵がついているけど。
「おやすみなさい」「おやすみ」を言い合って、それぞれの部屋に入った。自分の部屋のドアが閉まった瞬間、電気もつけないまま、ずるずるとドアにもたれて座り込む。
「……眠れる、かな」
舌足らずの声と、艶っぽいきらめきと、甘く華やかな香り。暗闇のなか、鮮明に残る彼女の名残に頭を抱えた。
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