僕はこうして推しを抱いてしまいました。

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僕は昔から推しがいる。その時によって人は違うけど。 小学生六年の時、某アイドルグループのリョウが気に入り、ずっと見ていたら姉ちゃんが『潤の推しはリョウなのね』と言われ、初めて推しという言葉を知った。その後、ビジュアルバンドのアヤ、俳優の羽田など推しを追っかける人生。はっきり言って充実している。推しの為に仕事をして、給料をもらう。推しの為にご飯をちゃんと食べて、健康体でいる。 僕の身体は推し出てきているのだ。 えっ。今のお気に入りは誰かって?そりゃお笑いコンビ【てんてんつぶつぶ】のボケ担当、川倉仁くんに決まってるじゃん。まだテレビに出ることは少ないけど、彼らの出るライブは必ず行ってる。ツッコミ担当の齋藤達也くんとのやりとりがとにかく面白い。まだ駆け出しだから、滑っちゃうこともあるけどね。 川倉くんのビジュアルも僕の好みだ。まるで鳥の巣のような頭、丸い眼鏡。思わず僕もツッコミを入れたくなるような、可愛い顔。それでもっていつも怯えたようなキャラでボケをかますから、僕の中でヘタレわんこなんて呼んでいる。 「潤、【てんてんつぶつぶ】ライブのチケット買いに行く?」 姉ちゃんが部屋に入ってきてそう言う。そういえば今日から次のライブチケット、販売だったな。 窓から外を見ると雨が降っていた。 「今から買ってくるよ。雨が強いし、姉ちゃんの分まで僕買ってくるから」 「きゃー!持つべきは同志の弟ね!」 ギュッと抱きしめられて、僕は苦笑いする。 コンビニまで歩いて行って、チケットを発券する。ああこの瞬間がたまらなく好きだ!これでまた川倉くんに会えると思ったら嬉しくて嬉しくて。にまにましながら会計をすます。コンビニ店員とももう顔馴染みで『この前この二人、テレビで見ましたよ。中々良いですね』なんて言われて自分の事のように嬉しくなったんだ。 「ありがとうございましたぁー」 店員の声を背に、店を出るとさっきより雨がひどくなっていた。チケット、濡らさないように帰らなきゃ。傘を差し、来た道を引き返す。ああ次のライブはどのネタやるんだろ。新作はあるのかな。僕の好きなあのネタやってくれるのかなあ。そんな事を考えながら歩いていて僕は完全に前を見ていなくて、音も雨で消えていた。 突然車のライトが近づいて、目の前に迫った。あ、と思った瞬間、僕は車と接触してしまった。幸いに車はスピードが出てなくて僕は、地面に叩きつけられというより、転がされたくらいの衝撃ですんだ。 それでもやはり接触したショックと腕を擦りむいたショックで、心臓がバクバクしている。いまにも口から出てきそうだ。傘は飛ばされてあっという間にずぶ濡れになる。僕が立てないでいると、車から運転手が飛び出てきた。 「君、大丈夫?!立てない?救急車呼ぶ?」 運転手の切迫した声。運転手はもっと気が動転してるだれうな。僕は大丈夫です、とゆっくり体を起こして声の方を見る。そして僕は車に接触した以上の衝撃をうけた。 だってそこにいたのは、ずぶ濡れになった川倉仁くんだったから。 その後、救急車は呼ばずに川倉くんの車に乗せてもらい、念の為病院で検査をしてもらった。 姉ちゃんには心配をかけたくなくて、コンビニで友人にあったから遊んで帰る、と連絡をした。 検査の結果、幸いにも腕のかすり傷だけで他には異常がなくて、僕はホッとした。だって僕の前方不注意なのに、川倉くんが交通事故を起こしたからライブも中止、解散、なんてことになったら僕は生きて行けられない。 検査が終わり、受付の待合室に戻ると青い顔をした川倉くんが座っていた。 「大丈夫でしたよ、川倉さん」 僕は一刻も早く安心して欲しくて、走って近寄ると川倉くんは慌てる。 「走らないで下さい。本当に大丈夫ですか?」 「かすり傷だけです、安心してください」 「ああ、よかった!本当にすみませんでした」 川倉くんは立ち上がり、深々と頭を下げる。推しに頭を下げてもらうとか!あり得ない! 「いやいや、僕がボーっとしてたから!」 「でも何かあったらいけないから名刺を渡しますね…ってか、何で俺の名前」 あ、いつもライブでは僕って言うのに。プライベートは俺なんだ。 「僕、実は【てんてんつぶつぶ】の大ファンなんです。さっきもライブチケットを買いに行ってた帰りで」 「えっ、マジで!…あ、すみません」 ライブではおっとりとしたキャラだけど、もしかしたら違う感じなのかな。僕が笑ってると鞄から川倉くんは名刺を出し、僕に渡してきた。 「裏に携帯番号書いてますから、何かあったら連絡くださいね。あと、お詫び…になるか分かりませんが、別の日の席、用意しますから見に来てください!」 僕は川倉くんのその言葉に、大喜びしてガッツポーズをした。雨の中の帰宅中に、こんな奇跡が起こるなんて! それから僕は貰った名刺を眺めながらうっとりしていた。チケットを買った日のライブでは僕の好きなコントをやってたし、席を準備してくれてたライブでは目があった時、お辞儀をしてくれた。そしてライブ終了後に帰ろうとしたらスタッフに呼び止められた。 「もし時間あるようでしたら、川倉がぜひ挨拶したいと」 えええ、と僕は慌てる。時間なくても待ちますって!今日は姉ちゃんが一緒じゃないので、時間ならたっぷりある。三十分くらいして他のお客さんがいなくなったころ、川倉くんと齋藤さんが現れた。 「いやーもう、ほんとにうちの川倉が申し訳ございませんでした」 齋藤くんが僕の顔を見るなり、そう言ってきた。ライブではチャラいキャラなのに、真面目なんだなあ。 齋藤さんに気にしないでくださいと伝えると、ホッとした顔をする。そこからはライブの話で盛り上がりただの一ファンとして、熱すぎる思いを二人に話した。 「ホンマにありがたい!なあ、仁」 齋藤くんは上機嫌になる。そして用事があるから先に帰ると言う。 「またぜひ、来てな」 固い握手をして、ライブ会場をあとにした。 残されたのは川倉くんと僕だけだ。 「お腹すいたなあ…ご飯食べに行きます?」 「ひ、ヒェッ?」 僕はもう、死んでしまうんじゃないだろうか。 その日をきっかけに、川倉くんとメールするような仲になるなんて! ライブの感想などが初めは多かったけど、そのうち普通に友達のようなプライベートな話までするようになってきた。だんだんと【てんてんつぶつぶ】がテレビに出ることが多くなってきて、僕はさらにニマニマして推し活動をすすめる……はずだった。 (今日もテレビに出てる) そんなことを僕は思うようになっていた。それは本当にどうしようもない感情で。 (ヤキモチって、面倒くさいなあ) 二人がテレビに出てキャアキャア言われるたびに、雑誌に特集があるたびに、胸がちくちくする。それはもう推しという範囲を超えている、ということに僕は気づいていたのだ。 ある日珍しく川倉くんから電話がかかってきた。 『最近メール少ないね』 そりゃそうだよ。だって僕は邪なことばかり考えるようになったから。 『美味しい焼き肉屋さん見つけたんだけど、行こうよ』 推しから想い人になった彼の誘いを、僕は断れなかった。 少しだけ変装した川倉くんと待ち合わせして、焼き肉を食べに行く。確かに美味しいけど僕は目の前の川倉くんを見れなくて味わうことができない。そんな僕に気がついたのか店を出た時、川倉くんが聞いてきた。 「潤くん、何かあった?」 コントのときはボーっとしたボケなのに、何でこんな時鋭いんだよ!この数週間じれじれした想いをつい、口にしてしまいそうになる。でもそれをしたら… 「…明日早いから、駅前のホテルとってるんだ。部屋で飲み直そ」 「ひ、ヒェッ?!」 どうしてこうなった。 僕は川倉くんの両腕を持って、組み敷いてる。川倉くんの表情はいつものヘタレわんこな顔じゃなくて、どことなく挑発的な顔だ。 「潤くんがバリタチなんて、聞いてなかったな」 「…僕だって、川倉さんがネコなんて、聞いてな…」 いいかけた僕の唇に、川倉くんがキスをする。触れるだけではないキスを。 「仁でいいよ」 僕はそのまま、川倉くんの…仁の身体をまさぐる。こうして僕は推しを抱いてしまった。 「川倉、結局潤くんを落とせた?」 齋藤の言葉に川倉が笑う。 「落とせたって、人聞き悪いなあ。両想いになったって言ってよ」 「いやまさかあんな出会いで、お前が一目惚れするなんてな」 コーヒーを入れて齋藤はソファーに座る。 「で、どうよ。毎日楽しい?」 「楽しいに決まってるだろ。最高のファンが恋人になったんだからさ」 その言葉を聞いた齋藤は口にしていたコーヒーを吹きそうになる。 「あー、甘い。砂糖、入れすぎたかな」 【了】
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