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無視
この階にあるテナントは、先ほど二人が出てきたウエディングサロンのみだが、他にもこれは奇跡なのか、それとも単純に、ネット上の評判ほどこのサロンが売れていないということなのか、と不審げな顔をしてこちらを振り返った友人の背後で、またもエレベーターがこの階を素通りして降りて行くのが、赤いランプの点滅でわかった。
「もう、これはさ」
肩を落とす理英へ、わたしは言った。
「階段で降りろってことなんじゃないの」
「美加、正気? ここ三十階だよ……」
「避難訓練だとでも思えば? もしくは、ここのドレスサロンの親切なんじゃないの? 階段降りエクササイズで、撮影当日までに、もう少し体を絞ってくださいねーって」
「喧嘩売ってる?」
「だって東理英さんになる日に近づくにつれて、あんた本当にちょっと太った」
「うるさいな、不幸せにやつれるより幸せに太った方がいいじゃん」
「幸せに痩せればもっといいねえ、あのドレスのシルエット的に」
「あっ、来た!」
ちーん。
妙に軽やかな、間の抜けた音がして、二人の目の前で、銀色の扉が開いた。
その扉の向こうの狭い空間には、ぎっしりと人、人、人。
「乗らないんですか?」とエレベーターの中で「開く」ボタンを押してくれていた人に聞かれ、慌てて理英は頭をさげる。ドアが閉まる。
「ほら、やっぱり理英がもう少し痩せれば、今のスペースでもふたりいけたかもしれないのに」
「別にやせるのはそっちだっていいんだよ? 西美加さん」
「わたしはこれ以上やせたら死ぬもん。自他ともに認めるモデル体型だから」
「むっかつく……」
あきらめて階段で降りない? ともう一度尋ねるわたしに、理英はむきになった子供のような顔で、後一分だけ待つ、と言ってエレベーターの扉のほうへぷい、と向き直った。
《……ねえ》
《ねえ、》
《ねえちょっと、無視しないでよ》
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