◇降りしきる雨の中

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 長身の男性は『アインハルト・フォン・ヴェルシュタイン』と名乗った。「アインで構わない」と言われたけれど、正直いきなりそれは馴れ馴れしいんじゃないかとも思う。 「いやあ……しかし、参ったね。まさか記憶喪失なんて」  頭を掻きながらアインさんは困った顔で苦笑いする。記憶喪失というのは勿論僕のことだ。 「すみません……」  あの後何度も思い出そうとしたのだけれど、頭にもやがかかったように何一つ思い出すことが出来なかった。  アインさん曰く、怪我もしているようだったから何かトラブルに巻き込まれた拍子に記憶を失ったんじゃないかと言っていた。  それに抜けているのは自分が何者かという所だけで日常生活に必要な基本的知識はちゃんと残っているようだから、今のところは生活に支障はなさそうだとも。 「あー……ただね?」  アインさんは胸ポケットから銀色のペンダントを取り出すと僕に見せる。  ペンダントヘッドのプレート部分には、何やら文字が彫ってあるようだ。 「ずぶ濡れだったから君の服は洗濯中なんだけれどね。これは君が首から提げていたペンダントだ。『聖弘(きよひろ)』と彫ってあったから、多分それが君の名前なのではないかな」 「聖弘……」  もう一度心の中で復唱する。……けれども残念ながら「これこそが自分の名前だ」という確証的な自信は持てなかった。 「全然実感はないですけど……」  素直な気持ちを吐露すると、アインさんは「記憶喪失なんてそんなものだよ」と軽く笑う。 「確かに確証はないけれど、名無しのままだと呼びづらいだろう? だから一旦『聖弘』君と呼んでも構わないだろうか?」  確かに名無しのままでは僕自身も困ってしまう。それならアインさんの言う通り、とりあえず『聖弘』を名乗るのが良さそうだ。 「わかりました。聖弘でお願いします」  僕はアインさんに向かってお辞儀をした。
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