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桜子は見ていた
「心配しなくても奢りますよ」
鈴木研究員は、そう言うけど私の足は前に進まない。
「そんな…悪いです」
「遠慮は要りません。お父さんから聞いてるかもしれませんが、ここの店主とは旧友ですから、特別価格で料理を提供してくれます」
そっか…山村さん、鈴木研究員とも仲良いのね。
鈴木研究員の言葉によれば、お父さんと鈴木研究員と山村さん…3人で仲良しだったのかな。
もう…お父さん、事前に教えてくれたって良いのに。
「じゃ、じゃあ、宜しくお願いします!」
私は思い切り頭を下げる。
「そんなに緊張しないでください。せっかくですから、楽しいひと時を過ごしましょう」
頭を上げると、鈴木研究員が私の手を取った。
えっ!わ、私、今、鈴木研究員に触れられてる?!
私の緊張はピークに達して、多分、鈴木研究員にはバレバレなんだろうなぁ…。
平静で居ようと思っていたのに。
と、鈴木研究員は、私の手の平を指で押し始めて言った。
「ここは緊張をほぐすツボです。押していると少しずつですがリラックス出来ますよ」
あ…何だ。そう言う事ね。
鈴木研究員に手を取られて舞い上がっていた自分が恥ずかしい。
「ありがとう…ございます」
頬が紅潮してくるのを感じながら、鈴木研究員を見上げると、彼は優しく微笑んでいる。
その表情に私は見惚れていた。
「じゃあ、そろそろ中に入りましょうか」
「あ…はい」
いけない、いけない。
鈴木研究員に見惚れて、自分が何しに来たのか忘れている。
これから鈴木研究員とお昼ご飯だわ!
鈴木研究員のツボ押しが効いたのかは解らないけど、私は楽しい夢のような時間を過ごせると思い直して、彼に続いて料亭の中に入った。
その光景を高級車から桜子さんに見られたのも気付かずに…。
「あんな一般市民が…。私の鈴木研究員と…」
桜子さんの静かな怒りを含んだ声は、車の窓から青空にかき消されて、私の耳には入らなかった。
「いらっしゃいませー!って鈴木くん?!」
鈴木研究員が引き戸をガラガラと開くと、カウンター内で調理していた山村さん…山村店主が驚いたように、こっちを向いて言う。
入り口付近は普通の料理屋みたいに見えたけど、奥にはお座席が沢山並んでる様ね。
「お久しぶりです。山村先輩。今日は可愛いお客様もお連れしました」
「お客様?…あー!キミ、雅ちゃん?!少し大人っぽくなったね!…今日は保は?」
山村店主は私達の後ろを覗き込もうとしたみたいだけど、背が届かない。
「今日は千夜くんは居ません」
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