1909 in London

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 テラコッタの壁を妖しい海の響きで塗り込めて、ドビュッシーのメロディは終わりを告げた。私たちは言葉少なに感想を交わしつつ、無人のキャベンディッシュ・スクエアを歩いて耳に残った余韻を楽しむことにした。  時刻は遅く、天気もぐずついている。次第に体が冷え、互いの動きが鈍りはじめたところで、私は足を止めた。  素晴らしい夜は、素晴らしく思えるうちに幕を引いてやらねばなるまい。 「ホテルはどこに? ブライトンに帰る列車はもうないだろう」 「ん、そうだな。特に決めてなかった」 「……そうか」  ランガム、コンノート、ピカデリーまで行けばリッツもある。彼はハーバート家の長男だ、ロンドンのどのホテルに飛び込んでも拒否されることはまずないだろう。 「サヴィル」  思いつく限りの候補を挙げていると、不意に腕を掴まれた。見れば、ハーバートは引き攣った頬に笑みを貼りつけている。  暴れ出す心臓を抑え、私は何事かと首を傾げてみせた。 「僕は男友達だぜ。君も英国紳士なら、家に招待するのが筋じゃないか?」  答えに窮する。彼の言うことは例によって正しく、私が必死で隠している本心に刃を突き立てた。  文明に飼い慣らされた夜闇は私の味方をしてくれない。表情の変化を読み取ってしまった青い双眸が、静かな落胆に曇った。 「何も同じベッドで寝かせろと言ってるわけじゃない。そんなに困った顔をしなくてもいいだろう」 「困る──困るんだ。今夜は両親がレティの……姉夫婦の家に泊まっているから……」  困るだと。馬鹿な、何を口走っている。途中で言葉を切ったがもはや取り返しはつかない。自身の正直さに嫌気が差した。だから会うべきではなかったのだ。  瓦解していく言い訳に、今度はハーバートが口を閉ざす番だった。右の眉をひそめ、顎に拳を当てて独りごちる。 「……姪との約束は嘘じゃなかったのか」  やはりというか、私が送った手紙の内容を信じてはいなかったらしい。 「いや……私は元々行く気がなかったんだが。姉に妙な疑いを持たれてるんだ、極力近寄らないようにしていて」 「家族だけが出掛けていったわけだ。じゃあ、今夜サヴィルの家には君ひとりだけ?」 「そういうことになる」  なぜそれで私が困るのか、彼は聞こうとしなかった。答えを知っているからだ。私たちは口に上らせるよりずっと多くのことを知っている。見て見ぬふりをすべき真実も、その真実によってもたらされる艱難辛苦も。
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