奇譚遊戯

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捩じ込まれた舌。ぬちゃり、這うその舌は確かに幼い頃は優しいおとっつぁんのだったはずだ。それがどうした。今や娘の喉に押し込む始末だ。情けねぇったらねぇや。 「あ、ああああ!!!! なにしや…!」 がり、っと音がし、男が叫ぶ。 目の前にいる男の口から大量に流れ出る血。あぁ……どうやら、私は無意識のうちに親父様の舌を噛み切ってしまったようだ。これでこいつが死ねば私は自由になるが、大見世からは鞍替えか。 「姐さん! 姐さん」 「……あい。なんざんしょう?」 「起きてくださいな。御内儀(おっか)さんから起こしてくるようにと!」 重たい瞼を開けるとそこは昨夜と変わらなかった。菊の模様が縫われた赤いミツ布団に気怠い私の身体が横たわっている。ただ、それだけだった。夕凪の声に体を起こすと、見世の中は既に活気溢れていた。 「いま、何時(なんどき)だ」 「朝四ツはとうに過ぎておりんすよ。昨夜は盛んでしたか? わっちは昼見世に出なければならぬので失礼したしんす。 あ! 寝直さないでおくんなんしよ! 姐さんの朝餉、飯番(※1)に冷めないようにしてもらっているんですから」 思考が回らぬほどに私は父の前で股を開くことが嫌らしい。このことは、見世の楼主しか知らず、私も誰かに喋ったことはない。夕凪は私が父に身請けでもされたら幸せだと思っているのだろう。 独楽(こま)が止まることを知らず回るように、夕凪は忙しなく私の世話をしながら、自らの身支度もしていく。 父上が登楼した日は大抵、寝坊をしてしまう。 体をぐっ、と伸ばし、布団から這い出る。日課にしていた明六ツの御天道様はもう違う顔付きをしていた。 この江戸町一丁目から……いや、どこに居たって大門の中から大門の外を覗くことは出来ない。 だだっ広い田んぼの中にある日本堤(にほんづつみ)には水茶屋が数軒並び、そこで飲んだ茶と水菓子は、幼い頃の私と父の数少ない思い出だった。柳の植えられている場所に曲がりくねった坂があり、当時それはどこに向かっているのか知りたいと思っていた。 父とは違う男に連れられ、柳を越え、そのくねった坂を登った瞬間、私は女になった。女になることを強要され、女にならざるを得なかった。 あの時の女衒は、──痛めた足腰は衣紋坂(えもんざか)(※2)に堪える。と笑っていた。そして、──大門を潜ればおまえはもうそこから、逃げられない。と下品な笑みを浮かべていた。 「……母に情夫いて良ぉありんした。わっちのようなおなごがここで一生を過ごすことはありんせんなぁ」 ※1 廓の裏方として働く男衆の中で飯を炊く者のこと ※2 日本堤から伸び、吉原へと向かう唯一の坂道。遊んだ客が着物の衣紋を直した、というのが由来
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