奇譚遊戯

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後朝(きぬぎぬ)(※1)を過ごし旦那は上機嫌で帰っていった。普段ああいった、夜の終わりに股を開いたりはしない。普段しないことをするのが好まれることも十二分に心得ている。だからここでの生活に心を病む女郎が多いのだろう。 「姐さん、入ってもよろしゅうありんすか?」 「どんぞ」 大門(おおもん)(※2)が開き、旦那が帰ると途端にここは活気を失い、気怠さをみせる。昼見世(ひるみせ)(※3)が始まるまでの間、一呼吸することが出来る束の間のひとときの訪れたのだ。 朱塗の格子越しに見世の外を眺めると、揚屋町に住む幇間(ほうかん)(※4)や針仕事などがせっせと仲之町(※5)を歩いていく。みな、この苦界(くがい)の歯車として懸命に生きているのが見えると、私は思わず逃げてしまいたくなる。この廓に御職(※6)の花魁として居すわるのはどうも場違いであろう。 「御勤めご苦労さんでした。湯屋のほうに遣いをまわしたところ、湯の準備が整っているようにありんす」 「さいざんすか」 障子を開け、私の座敷でそう声をかけてくれたのは私が育てた女郎、夕凪だ。決してべっぴんではないが、教えたことを飲み込む早さ、器量、そして旦那を立てる気遣いなど私の後を継ぐには申し分無いおなごだ。 細い目元をしており、機嫌が悪く見えるなど誤解を受けることも多々あるが、それが憂いを秘めていると好いてくれる旦那もいる。 いつもはこのまま床に入りもう一度寝てしまうが股が旦那の体液で濡れ、気持ち悪い。浅い場所を抜き差しされ、何度もヒダを這った舌の感触がまだ残っている。下手に新しいことをするもんじゃねえな。 「支度してきな。おまえさんも行くだろ」 「あい。行きとうありんす」 夕凪をみると仄かに首筋が赤い。結い上げた髪の毛も乱れ具合が激しかった。床着でしゃんなり立つひとりのおなごからは昨夜の名残が見て取れる。 情夫(いろ)(※7)に入れ込みすぎるな、なんて御内儀(おないぎ)(※8)のようなことを言いそうになり飲み込んだ。無粋だ。 それに苦界でいい人(※9)に熱をあげることは、私がしていることより遥かに健気な行いだろう。 「姐さんはそう物思いに耽っているとき目を見張るほど美しいのでありんす」 夕凪をみて、彼女を羨ましく思っただけなのに艶やかな行為を行うここでは、おおいに勘違いされる。狐と狸の化かし合い。黙っているほうが洒落ってもんなのかいねぇ……。 誰も相手のまことのことを知らないし、己の本心さえも理解しようとしない。それがここのやりかたであり、それが粋と呼ばれるもの。なんとも難儀である。 「もうおまえさんは禿(かむろ)(※10)じゃないんだ。わっちを煽ったってなにも出やしないよ」 「そうじゃねぇ。まことの心ざんす。姐さんも支度しといておくんなんし! 呼びにきやすから」 にっこりと笑みを浮かべ、夕凪は私の座敷から姿を消した。 ※1 男女が一夜を共した別れの朝のこと ※2 廓唯一の出入り口 ※3 遊廓では昼と夜に御勤めがあり、昼のことをそう呼ぶ。昼過ぎから夕方までの仕事 ※4 座敷で余興を行う男芸者 ※5 吉原のメインストリート ※6 見世の看板女郎。今で言うところのNo.1 ※7 情夫(じょうふ)と同じ意味であり、愛人のこと ※8 見世の女将 ※9 想い人。情夫と近しい意味合い ※10 これから遊女として成長していく十歳くらいの子供
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