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「おや。夕霧じゃないかい」
揚屋町にある湯屋に入れば、浴衣を着た花扇がこちらを振り向いた。隣にいる女郎は、私に心なしか敵意を孕んだ顔を向ける。それは夕凪も同じだろう。大見世の女郎として育ってきたのだ。ここでは友好などありはしない。
「花扇。どうだい? 最近は景気がいいかい?」
「嫌味なことを言うもんだ。吉原自体、資金繰りがよくねぇってもんよ」
商売敵に妓楼(※1)の情報など漏らすまい。
花扇は頭の回転も良く、それでいて隙が無い。口を滑らせるかと薄い期待をしたが花扇はやはり下手なことはしなかった。整った顔つきも相まってか、無愛想でお高く止まっていると言っていた客の声を聞いたことがある。それがいいという好き者の旦那がいるのだ。それがここ吉原。
するり、浴衣を脱いだ花扇。雪のように白い肌が突如として表れる。ふくよかな肉体は餅のようで、乳房は若々しく上向き。淡い色の乳頭は春になったら見世の裏庭に咲く、椿のように華やかだ。
「あまり見ないでおくんなんし。灯りがある場所は恥ずかしゅうて、わっち……」
はじめてみた花扇の肉体。あまりに凝視してしまっていたようで、花扇はそんな男が悦びそうなことを口に出す。嫌味を含んだそれに、私は軽く嘲笑い、同じく浴衣を脱ぐ。
「姐さん。……わっちは、やはりあの女狐は好きにはなりんせん」
「夕凪。聞こえているよ。安心しな、わっちは誰からも好かれておらん」
そう言った花扇はにやり、笑い、隣にいる女郎を置いて脱衣場を出て行った。花扇が入っていったほうから水の流れる音が聞こえてくる。
仲之町で出会った男衆は、花扇が連れているおなごを禿と呼んだ。詳しく言うのなら、隣にいるこの子は、もう客を取れる女郎だ。新造出し(※2)もとっくに終えた一端の廓の女。禿ではない。
花扇が鬼と呼ばれるひとつの理由がここにある。花扇が教育を任された禿はことごとく死んでいる。はじめて多額の費用を花扇が負担して新造出しを行った遊女は一年後、御歯黒溝に浮いた。
それを見たあいつは、ひとこと、みっともない、そう慈悲の表情を浮かべることなく吐き捨てたらしい。
人間じゃない、人間の心がない、そんな言葉が飛び交い、花扇はより吉原で名を上げた。
「わっちの姐さんが夕霧姐さんでよぉござんした」
安堵に身を揺らす夕凪は、愛された名残がある身体に糠袋を抱える。
私は夕凪のその言葉に乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
※1 見世と同じ意味あいの言葉
※2 禿が新造になるときのお披露目の行事。禿(遊女見習い)の次の段階を新造(ここから遊女)といい、新造になると客を取ることができる
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