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この廓では髪の毛を洗う日が決まっている。一月一回と決められ、毎度洗うことは許されない。鬢付油で結い上げた髪を手拭いで覆い、糠袋で身体を洗う。夕凪は湯舟に浸かり、昨夜の余韻に浸っているようだ。
「大門の外にな、金魚売りがいたんだ」
「……最近の話かい? 京町一丁目から大門までご苦労なこった。四郎兵衛(※1)は不審がらなかったか」
私たちとは違い花扇はへちまで身体を洗っている。私は糠袋のほうが好きだ。へちまはなにせ硬すぎる。花扇のこの大福のような肌がへちまで出来ているなんて信じられなかった。
たいして仲良くもないが、急に喋り出した花扇を無視するほど狭い心は持っていない。それでも棘を含んだ言葉を投げれば、花扇は、──最後まで聞きなんし、と目をつりあげる。
「金魚がな最近一匹死んだんだ。ちょうどいいと思って買おうとしたんだよ。そぉしたら、縁日で売り歩いておる子より背丈が小ぇように感じてよぉ、よく見たら、そやつおなごでな。大門切手(※2)がなけりゃ入れねぇとよ。とんだ冷やかしだったわけよ」
「……金魚も死なせるなんざぁおまえさん、よっぽどの不器用かね?」
「あいにく猫に喰われちまっただけさ」
は、っと破裂音で笑う花扇はへちまを桶の中に置き、私にそっと近寄ってくる。艶やかな肌は水滴を弾いて、乳房を伝い落ちていく。
「情夫に入れ込みすぎやしないかい? あれはそのうち心中か足抜き(※3)するぞ」
「……花扇おまえには関係ないだろう。詮索はやめなんし」
私と夕凪、そして花扇、花扇の後輩女郎しかいないこの湯屋で、何故だか花扇は私に付き纏う。図星を言われたことも含め、腹を立っててしまった。花扇を睨みつけたあと、洗い場から離れ湯舟に浸かる。四方を木で囲む湯舟が数個あり、私は夕凪がいる場所に身を沈める。
この廓の中で情夫に熱を上げることは御法度だ。ここは盃を交わした夫婦遊戯を営む場所、己の恋や愛にうつつを抜かしてしまうのは御勤めの邪魔になる。
……私と夕凪が住まわせてもらっている妓楼、鈴屋はそこを黙認していた。情夫のおかげで一時的に女郎は仕事に精を出すからだ。その境界線は曖昧であり、情夫に入れ込み過ぎると、罪を犯し、生死の境さえ簡単に越えてしまう。なにごとも取り過ぎは体に毒だ。
「すまんなぁ。おまえさん、わっちと似ている気がしてなぁ」
私たちから一番遠い湯舟に浸かった花扇はけたけたと豪快に笑いながら、そう呟いた。怪訝な顔を隠せない夕凪となにひとつ言葉を喋らない花扇の後輩女郎。
花扇はやはり誰からも好かれていないのか。
※1 吉原の中にある所謂、警察的なもの。遊女の逃亡などを止める男たち。大門すぐ隣に常駐している。
※2 吉原以外の女、所謂遊女ではない子は吉原に入るために手形が必要。遊廓内は遊女以外の女は出入りが禁止されている。
※3 廓を抜け出すこと
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