革命の日

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 長かった戦争も、ようやくこれで終わる。長かった革命が、ようやく成就する。苦しい飢餓と略奪に怯える日々は、もうおしまい。民くさは畑を作り、麦を育て、動物たちと共に過ごす、そんな平和な日々が戻ってくるのでしょう。  ……王女(わたし)の死によって。  お父様とお母様が先にのぼっていった、この長い階段。手枷を嵌められ、首に鎖を繋がれた私も、一歩一歩のぼっていく。民くさは、みんなこの瞬間を心待ちにしているのでしょう。  暴虐と、圧政の限りを尽くした我が王家の血が、ここでようやく絶える。  私は、死ぬのは怖くなかった。むしろ、安心していた。ようやく死ぬことができる。もう、暗殺に怯えて眠れない夜を過ごす必要はない。もう、毒に用心しながら食事を取らなくてもいい。  断頭台で処刑される時、痛みを全く感じないという。  私は、……ああ、やっぱり恐ろしいけれど、どこか穏やかな気持ちでいた。 「ごきげんよう。ムッシュ・クロイツ」  断頭台まであと数歩というところで、私は、そのそばに立つ黒ずくめの執行人にそっと声をかけた。 「ご機嫌いかが?」 「おい、勝手に喋るなッ」  首輪をぐいと引っ張られ、喉が絞まる。だけど、もう咳き込むこともできない。長い間幽閉されていて、私の身体には力が残っていないのだ。 「あとは私ひとりで充分です。下がりなさい」  低い声でそう命じると、私の首に繋がれた鎖を握っていた下男が一礼し、階段を下がっていった。 「クロエ。男のふりが上手ね」  短く切り揃えられた髪。分厚い服で、ぎっちりと、絞め殺すように身体を覆い隠す服。  それはクロエであってクロエではない。  目を伏せながら、二度、瞬きをする癖。それは変わっていなかった。 「上手にやってね、クロエ。貴女は刺繍が得意だったわよね、布を裁つみたいに……なんて」  彼女は答えなかった。  私の手枷の鍵を外し、すっかり痩せてしまった手首を、クロエはいたわるようにさすった。その手は乾ききっていて、生温かい。前のクロエとは、大違いだ。  そして、私の首輪を外す。鎖をほどき、私は、何十日かぶりの、自由な身体を手に入れた。だからといって逃げるつもりはない。そんな力はもう残っていないからだ。  クロエの体からは、あの時と同じ、薔薇の香りがした。小さい頃、ふたりでこっそり忍び込んで遊んだ、薔薇園の香り…… 「ねぇ、キスして」  クロエは目を伏せたまま、答えない。  唇はきゅっとかたく結ばれて、私のそばにかがみ込んだまま動かない。 「キスして。もう一度、最期に」 「……できません」 「お願い……最期にもう一度だけ」 「できません」 「じゃあ、貴女に触れさせて。少しでいい……私の手首を握ってくれたみたいに、貴女の手にも触れさせて」  クロエは答えなかった。  私は、震える手でクロエの手首に指を滑らせた。細い枝のような腕、だけどとても冷たい…… 「貴女はこれから、ずっと、男のふりをして生きていくのね?」 「……、ええ。女の私が、生きていくには、それが一番手っ取り早いですから」 「私はクロエが好き。大好き。処刑人の名前と顔を見た時……すぐにわかったわ、クロエだって。どんな形でも、革命を生き延びてくれて、本当にうれしい。でも、自分を偽ることに疲れないようにね」 「王女さま……もう、時間ですので」 「王女さまなんて、やめて。名前で呼んでよ」 「…………、」  クロエは、私の手をそっと握って、立ち上がらせた。断頭台の上へと歩かせるその姿は、まるで、ダンスパーティへ誘う若い青年のようだった。 「王女が来たぞ!」  そこからは、広場の様子が一望できた。 「呪われた王女め!」 「憎たらしい顔……!」 「早くやれ! やっちまえ!」  ようやく平和を勝ち取った、民くさたち。みんな、私に憎しみを向けている。そう、これでいい。とっくに覚悟はできている。私が憎まれ、私が死んで、それでみんなが幸せになる。  王は民の上に立つもの。これが私の役目なのだ。 「さあ。王女さま」  クロエは手際よく、私を断頭台に拘束した。首を嵌め、手を拘束し、がちゃりと重たい錠を閉じる。そのひとつひとつの動作に、見物人たちは狂喜し、期待が高まっていく。 「クロエ。貴女の顔が見たいわ、身体を上に向けてもいい?」  という、私の言葉をクロエは聞き入れなかった。 「私は……貴女の死ぬ時の顔を見たくありません」 「……そう」  準備は整った。  誰が用意したのか、楽器と太鼓を手に楽団を組織した人々が、勝手にファンファーレを鳴らしている。それに呼応して、みんなの熱狂は高まっていった。  私からは見えないギロチンの刃。それが、落とされる瞬間を待ち望んでいる。  もう思い残すことはない。  あとは待つだけだ。 「リリシア……」  クロエの囁くような細い声は、きっと、私にしか聞こえなかっただろう。 「私は……嫌だ。貴女だけは……死なせたくない……一緒に逃げ出したかった……」  今さら……何をいうの?  返事もできない。どうやら、私の身体は、もう死の準備を終えているようだ。 「ごめんね……ごめんなさい、リリシア……」  クロエ……  私はとっくに、覚悟はできている。なのに、貴女がそんなことでどうするの?  家族を見捨てて一人逃げだし、弟や妹も見殺しにし、女であることも捨て、私の父や母や、家族をみんな処刑してきた貴女が……  なんで、いまさら躊躇なんてするの? 「早くやりなさい」  私は最期に、力一杯の声でクロエに言った。それでも、残された力は足りなくて、クロエにしか聞こえないような声だったと思う。 「私は貴女のこと、好き。大好きよ」 「私も、貴女のことが……だいすきだよ」 「だったら早くやりなさい。クロエ、さようなら。貴女は幸せになって、長生きしてね……」 「リリシア……!」 「早く!」  さて、それからどのくらいの時間が経ったのだろう。私の時間は、そこで永遠に止まったままだ。  また泣かせちゃった、と思った。  昔から、クロエをいじめて泣かせていたのは、私の方だったな。 「       」  なにか、クロエがつぶやいた。  その言葉は、民くさの喜び舞う音楽と歓声で、よく聞こえなかった。
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