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「噛みたい。」
「え?」
「ここ、かみたい。」
横に寝る彼が、突然呟く。
「良いよ。」
「本当に?」
「うん。」
「やった。」
嬉しそうに微笑みながら、ゆっくりと歯を立てる。
鈍い痛みを感じながらも、飛びそうになる心が重力を取り戻す感覚に陥る。
このまま千切れたとしても、私は何も後悔しないと思った。
「ごめん、痛かった?」
噛み跡を見て、高揚した様子で彼が尋ねる。
「痛い…けど、好きな感じ。」
涼しげな顔を緩めて嬉しそうに笑った顔を見て、幸福を感じた。
「これやって、今までそう言ったの、春菜が初めて。」
過去がちらつき、苛立つ。
「もう噛ませない。」
彼に背を向けてブランケットをかぶる。
「ごめんって。」
そう言いながら、私の背中を指でなぞる。
「誰でも良いんだね。」
「自分にすら噛みついちゃうような人間だからさ。もうこういう性質なんだよ…。」
背中に、彼が額をつける。
ゆっくりと暖かさが伝わる。
「わかってる。」
どうしようもない愛おしさを感じて、向き直りながら、彼を抱きしめる。
「今までは、噛んだらそれで満足だったけど、今はそれじゃもう足りない。全部噛み砕いて、全部、ぜんぶ、自分のものにしたくなる。この体の一部になれば良いのにって。苦しくて、噛みながら、止まらなくなるんじゃないかって恐怖すら感じる。」
真面目なトーンで話す彼を強く抱きしめた。
「そうできたら、幸せなのにね。きっと。こんなに辛くて、痛くて、歩くだけでやっとの世界で、どうして一人で存在しなくちゃいけないんだろうね。一つだったら、きっともっと強くなれたのに。」
「あのとき、ああ言ったのは、体も心も、すべてがきみという人間を細胞から欲していた反動なんだと思った。」
「あんな風にみんなに言って、懐柔してるのかと思ってたけど…」
少しだけ笑って答える。
「先生から何を聞いたかわからないけど、あんなことを言ったのは、いや、思わず口走ってしまったのは、君だけだよ。普段はもうちょっとソフトに対応できていたからね。さすがにあんなことを言ったら、他の子は怖がって逃げるよ(笑)」
笑うたびに、彼の吐息が胸にかかり、敏感になる。
「もっと、噛んで欲しい。」
「え?」
「もっと。」
彼が私の腕を取り、ゆっくりとキスをした。
「嫌…。」
振りほどこうとして、押さえつけられる。
そのまま、焦らすようにもう一度噛み付く。
また鈍痛がして、目を閉じる。
「好き。好きだよ。」
自分勝手に生きていることは百も承知の上で、今だけを生きていて
まっとうさなんて一ミリも求めていない。
愛情に枯渇していた私たちは、失われた時間を取り戻そうと必死に飢餓的状況から抜け出そうともがいていた。
ただただ必死に愛を貪り合うことに貪欲なだけだった。
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