CLINGY

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「外寒いから、あったかくしろよー。」 料理の音の合間に、彼の声が飛んで来る。 「はいはい。」 さっさと化粧をして、着替える。 洋服に腕を通すと、その服を着ていた時の彼との思い出がいちいち蘇る。 今度はキッチンから彼の鼻歌が聞こえて来る。 「浮かれすぎ…。」 思わず私まで、クスリと笑みが漏れる。 「おーし。だいたいこんなものかな。」 それから少し待っているうちに、香ばしい匂いが部屋を満たし始めた。 「もう行ける?」 「おー。俺も上着持って来る。」 「わかった。」 荷物をカバンに入れて、玄関先で待つ。 11月にもなると秋というよりも冬らしい寒い空気で身が引き締まる。 マフラーに顔を埋めて、暖かいポットから暖をとる。 まるで誰もいないかのように静かなリビングを一瞥して、何をしているのか気になった。 ふわりと浮かぶ上がる一つの懸念を考えないように、すぐに搔き消す。 だけど体と心は別の反応を起こした。 靴を脱ぎ捨て、彼のところへ走り寄る。 微かに声が聞こえた。 「…だから、わかってるって。仕事が終わったらすぐ帰るから。うん。うん。了解。」 蹲りながら、会話に夢中になっている彼の後ろ姿を見つめる。 「もう行かないと会議だから。あーはいはい。」 足元から血の気が引いていく。 「おっ。早起きできたのか。偉いなあ。帰ったらパパにも見せてくれよ。ああ。帰りにいつものケーキ買ってくから。ああ。じゃあ、またあとでな。」 途中から声色が代わり、娘に変わったのだと気付いた。 「はあ…。」 電話を切ったあと、ため息を吐きながら、彼がゆっくりと立ち上がる。 携帯をいじりながら振り返る。 立ち尽くしている私には気付いていない。 このまま透明になって、彼は本当の「家」へ帰るのではないかと一瞬馬鹿なことを思う。 私に気付いた彼は、バツの悪そうな顔をするかと思いきや、何事もなかったかのように、まるで私が何も聞いていなかったかのように、朝と同じ慈愛に満ち溢れた笑顔を向ける。 なんて残酷なんだろう。 そのまま崩れ落ちそうになるのを耐える。 「行く?」 有無を言わせないその強さに私は打ちのめされる。 「嫌だ…。」 「え?」 「いや…行きたくない。」 「どうしたんだよ。」 「嫌なの。」 「何で。」 「約束したじゃん。一緒にいるときは、絶対にしないって。」 「悪い。急にかかってきて。留守電にしてなかったから、あとでうるさいんだよ、出ないと。」
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