1.契約妃と成る

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 用意された部屋は、装飾が少ない宮殿の他の部屋に比べ落ち着いてはいるが柱や窓枠は鮮やかな色彩で塗られ、鏡台や長椅子等、女性のサイズに合わせた調度品が置かれていた。  部屋の入ってすぐに女官の手で花嫁装束を脱がされ、浴室でていねいに全身を磨かれた後、肌が透けて見えるほど薄い布地の寝間着を着せられた凜風(リンファ)は足元をふらつかせ長椅子へ座った。  長椅子の背凭れに凭れ掛かり、天井を見上げてようやく肩の力を抜く。 (私のためにこの部屋を整えてくれてたの? 契約でも一応、妃扱いはしてくれるのか)  義両親の元で花嫁教育を受けていた頃、幼い頃から第一皇子昊天(ハオティエン)を知っているという義母に、抱いていた疑問を訊ねことがあった。 「数多くの武勲を立てた殿下ならば、多くの美姫を侍らせることも出来るだろうに、何故、妃を娶らないのでしょうか?」  戦狂いと囁かれるほどの武勲を立てており、口を開かなければ多くの女性を虜にするだろう整った容姿をしている第一皇子。  “契約”という形で凜風を娶らなくても彼の妃に成りたいという女性は多いだろう。 「何故」と問う凜風からの問いに、義母は表情を曇らせる。 「それは……前皇后が崩御されてから、後宮の者達は殿下を冷遇し現皇后の実子である第二皇子を皇太子扱いしたのです。幼少期は幾度となく命を狙われたと聞きます。成人された三年前、一度妃を娶り婚姻の儀を行ったのですが初夜で殿下を害そうとして、殿下自らその場で切り伏せました」 「初夜で? その罰せられた妃の方は何故?」 夫婦と成ることを誓った妃に初夜で暗殺されかけるとは、暴君な性格だとしても気の毒な話だ。 押し倒された時に見た、抜き身の刃のように鋭く冷たい瞳を思い出して、凛風の背筋に冷たいものが走り抜けていく。 「昊殿下は敵が多い方ですからね。凜風を娶ると聞き、殿下にも大事な方が出来たのだと安心したのです。どうか、昊殿下を支えてあげてくださいね」 勘違いしている義母には契約上の妃だとは言えず、凜風は曖昧な笑みを返すしか出来なかった。  簡略化されたとはいえ、早朝から緊張していた心と体は疲れ切っていた。とりあえず今日はもう、花嫁のお役目は全て終わらせたはず。  無駄に広い寝台を一人で使うのは気が引けて、このまま長椅子で眠ってしまおうと目蓋を閉じた。  意識が深い水の中へ沈んでいく感覚の後、凜風の周囲は赤い色に染まっていった。  視界いっぱいに赤い炎が広がり、地面に倒れた人を、家を飲み込み焼き尽くしていく。 (また、この夢……)  眠る度、繰り返し見る夢は十年前の悪夢。  木々の影に震えながら隠れていた凛風は、顔見知りの老夫婦が兵士に斬り殺されて地面へ倒れていくのを、幼い頃から優しくしてくれていた隣人女性が捕らえられ何処かへ連れて行かれるのを、ただ見ているしか出来なかった。  悪夢の夜が明け、山道を走って逃げた末に行き倒れた凛風を保護してくれたのは、偶然通りがかった旅芸人の一座だったのだ。  旅芸人の一座で舞手と成れるよう、舞と武芸を習いながら様々な町を転々と移動していった。  親切にしてくれた一座の人達に娘同然に育てられても、幼い凜風の視界を覆いつくした赤い色は忘れることは出来ない。  そして一年前、帝都で開かれる皇帝の生誕祭での市民向け公演に招かれ、座長の口利きで下働きとして宮中へ潜入することに成功した。 (皇帝と皇后へ復讐するためとはいえ、契約妃など私には荷が重い。どうして私を殺さなかったのかしら? 私よりも有能な女性はいっぱいいるのに……)  長椅子に置いた枕に顔を埋めた凜風の意識は徐々に薄れていった。  キィ……  扉が開く音が聞こえ、誰かが長椅子へ近付いて来る気配に気付いた凜風は、眠りの淵へ落ちかけて重たくなっていた目蓋を無理やり開く。 「……何故?」  視界に飛び込んできた相手を見て、思わず呟いてしまった。    長椅子に横になる凛風を覗き込んでいたのは、初夜とは名ばかりで部屋には来ないだろうと思っていた昊天だったのだ。
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