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2.初夜
長椅子に寝転んだまま唖然と見上げる凜風から問われ、婚礼衣装から寝間着に着替え、髪を下ろした昊天は片眉を器用に上げた。
「何故、だと? 今夜は婚儀を済ませた夫婦が契る、初夜だろうが」
「わ、私と殿下の関係は仮初の、むぅ」
大きな手の平が凛風の口を覆い、続く言葉は音にならなかった。
腰を折った昊天は凜風の耳元へ唇を近付け、睦言を囁くように彼女の髪を指へ絡ませながら吐息を吹きかける。
「部屋の外で待機している女官が聞き耳を立てているぞ。長らく妃を娶ることも女が側に近付くことも拒否していた俺が、突然お前を娶ったことを皇后は不審に思っている。初夜が適切に行われたか確認するために、息のかかった女を宮へ送り込んだのだ。契ったか確認されてもよいようにしておかなければならない。だから部屋に来た」
翌朝、女官達に確認されても困らないようにするとはどういうことか。訊かなければ分からないほど知識がないわけでも、幼くはない。
血の気が引き蒼褪めた凜風は、怯えた目で昊天を見詰めた。
(そんな、まさか。万が一、夫婦の契りを、性行為をして子を孕んでしまったら、契約違反だわっ)
口約束とはいえ、閨での性行為はしないという契約だったのではないか。
行燈の灯りに照らされた昊天の顔は悔しいくらい綺麗で、寝間着を気崩し大きく開いた胸元のせいで妖艶さすら感じさせた。
「むーむ、ううっ」
「黙れ。お前を抱かなくとも、跡を残してやれば周囲は勝手に判断する」
チッと舌打ちした昊天の手が凜風の口元から外され、彼女の肩と太股へ触れる。身構える間を与えずに、寝転ぶ彼女を抱き上げた。
「きゃああっ」
突然の浮遊感に驚き、咄嗟に寝間着の合わせを掴んだ凜風は悲鳴を上げた。
「お、下ろして」
「下ろさぬ」
手足を動かして抵抗する凛風へ冷たく言い放ち、大股で部屋を横切った昊天は乱暴に彼女を寝台へ放った。
「きゃあっ」
寝台へ放られた衝撃で、一瞬息を詰まらせた凜風は手をついて体を起こそうとした。だが、体を起こす前に彼女の手首を素早く掴んだ昊天は、空いている手を枕の下へ差し込む。
「な、何を?」
枕の下から取り出したモノを見て、先程とは違う恐怖心から凜風の全身から血の気が引いていった。
昊天が手にしていたのは布に包まれた短刀。
包んでいた布を取り、表れた短刀の持ち手を手にした昊天は無言のまま、刃の切っ先を凜風の一指し指に当てた。
「痛っ」
ぷつり、指先に皮膚が切れる感触と鋭い痛みが走り、傷口から赤い血が流れ出す。
掴んでいた凜風の手に自分の手を重ねた昊天は、傷付けた人差し指を敷布へ擦り付けた。
「痛いっ、止めて。私の指じゃなくて自分の指を切ればいいでしょう」
敷布に擦れて傷口が広がる痛みのあまり、涙目で睨んでくる凜風を鼻で嗤った昊天は愉しそうに口角を上げた。
「それは出来ない。俺を傷付けでもしたら、この場でお前を処分しなければならないからな」
「処分、ですって」
三年前、半日足らずとはいえ婚姻を結んだ妃に命を狙われ、昊天自らの手で切り捨てたという養母の言葉が蘇る。
枕の下に忍ばせていた短刀の役割は、そういうことなのだと理解した。
敷布に指からの出血を擦り付け、破瓜による出血を偽装し終わっても昊天は掴んでいる手を離さない。
未だに血の滲む指を押さえ、寝台の枕元に置かれた陶器の小壺を取り出す。
「傷の手当をする」
「い、いえ、これくらいの傷は直ぐに治せます」
言い終わるや否や、昊天が抑えている人差し指を薄黄緑色の淡い光が包みこむ。
瞬く間に指先の傷は癒えていき、完全に傷口は塞がった。
「……それが慈一族の力か」
感嘆の息を吐いた昊天は、傷があった人差し指を親指の腹で撫でる。
「はい。一族全ての者が使える力ではありませんし、万能では、この力で若返りは望めません。相手が持つ治癒能力を高めて傷を塞ぐだけですから」
本人の治癒能力を高めるだけで、若返りを望んでいた皇后は期待していた効果を得られなかったと怒り、捕らえた者達を処刑したのだ。
時の権力者によって重宝され、迫害されてきた力。
十年前、兵士達に襲われなければ皇子に関わることもなく、今も辺境の地でひっそりと暮らしていたのだろう。
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