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3.契約妃の仕事?
第一皇子昊天と婚姻を結び、彼の契約妃となった日の翌朝。
血の痕が付いた敷布を確認した女官達は契ったと認め、初めて凜風を「妃殿下」と呼んだ。
早朝出仕していく昊天とは相変わらず夫婦らしい行為も会話もせず、お互い歩み寄ろうともしていない。側室を娶ることなく契約上の妃、凜風の元へ毎晩帰ってくる。
同じ寝台で眠るとはいえ、添い寝だけで満足しているのはどこかで発散しているのか、彼が女性に興味を持っていないのか。
それとも……面倒になって直ぐに考えるのを放棄した。
そして婚姻の儀の五日後、面倒な皇族への挨拶回りは昊天の多忙を理由に短時間で済まし、第一皇子宮へ戻ってきた。
女官に上掛けを渡し、髪に挿していた重い簪を抜いて化粧を落としていると、勢いよく扉が開く。
皇子妃の部屋に断り無く入室する者は一人しかいない。
無礼な訪問者へ、慌てた様子で女官達は頭を垂れる。
「な、何ですか!?」
身構える凜風の姿を一瞥した昊天はフンッと鼻を鳴らした。
「着替えは終わったようだな。ついてこい」
「は?」
衣を脱ぎ一息つくまもなく手首を掴まれて連れて行かれたのは、机と椅子しか置かれていない殺風景な部屋だった。
連れて行かれた部屋の椅子へ座らせられた凜風は、昊天に書類分類の手伝いをすることを命じられたのだった。
それから二月もの間、宮殿から外へ出ることなく昊天の仕事を手伝う日々。
重厚な机の上に積み重なった書類の山を前にして、椅子に座った凛風は頭を抱えていた。
皇子妃として女官達に囲まれ着飾られるよりも、邪魔になると言う理由で最低限の化粧と動きやすさを重視した衣装でいられるのは有難い。とはいえ、これはどういう状況なのかと、炭で汚れた手を拭った濡れ布巾を見て溜息を吐いた。
「おかしい」
最初は、渡された書簡を分類分けするだけという話だったのに、いつの間にか量もやることも増えている気がする。
否、気がするのではない。
本当に増えているのだ。今では、書簡の内容を確認して昊天の代筆をする仕事まで追加されている。
「絶対におかしい」
これは妃ではなく、政務官にさせればいいのではないかという疑問が、凜風の頭の中を占めていく。
他の皇族の妃達や側室と交流を持たなくてもよいのは、助かったと思う反面、繰り返しになるがこの仕事は皇子妃がやることではない。
「何故、私が殿下の仕事を手伝わなければならないのかしら」
執務机と椅子のみの殺風景だった部屋は、いつの間にか休憩用長椅子と食事用テーブルまで運び込まれ、部屋を移動しなくても昼には昼食、午後三時には甘味が運ばれてくるという徹底ぶり。
女官と護衛に囲まれて、監禁されている気分になる。
「妃殿下、薬湯をお持ちしましょうか?」
心配そうに眉尻を下げた年若い女官、小鈴が、頭を抱えて唸る凜風へ声をかけた。
「ありがとう」
「すぐにお持ちします」
部屋を出て行った小鈴と入れ替わるように入室してきた政務官の姿に、思わず「げっ」と声を出してしまった。
この数日で繕うことを止めた凜風の淑女らしからぬ態度を見ても、長身痩躯の政務官、泰然は眉一つ動かさず頭を下げた。
ドサリッ
泰然は無表情のまま抱えていた書簡を机上へ置く。
「追加分でございます。それから、昊殿下からのお言付けも承っております」
ようやく机の天板が見えてきたというのに、積まれた書簡でまたもや見えなくなってしまった。
追加分というのには多すぎる書簡の量に、引きつる頬を抑えることは出来なかった。
眉間に皺を寄せ、凜風は政務官の顔を見上げた。
「暴く、殿下は何と?」
「「不要案件も混じっていた。しっかり選別しろ」とのことです」
「くっ」
労いの言葉など期待はしていなかったとはいえ、机の上で握りしめた手が怒りで震える。
「今朝頼んだことは殿下に伝えてくれましたか? 何故、私が殿下の仕事を手伝わないとならないのですか? という問いの答えは何とおっしゃっていたのか教えて」
「それは…………「彼奴なら出来るだろう」とおっしゃっていました。昊殿下が妃殿下を信頼されているからでしょう」
暫時思案した泰然からの意外な答えに、凜風はきょとん目を丸くする。
昊天にとって自分は便利な駒扱いされているだけで、政務を任されるほど信頼されているとは思ってもみなかった。
「すでにご存じでしょうが、昊殿下には政敵が多いのです。側仕えも厳選された者しか置いていません」
「つまり、執務量に比べて人出が足りていないと?」
「はい」
察しのよい凜風からの言葉と嫌そうに眉を寄せた表情に、無表情だった泰然は僅かに口角を上げた。
「ご不満がおありでしたら、昊殿下に直接お伝えしてください」
台詞の中に「言えるものならば」という副音声が聞こえた気がして、凜風は奥歯を噛みしめた。
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