上弦の月 part1

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上弦の月 part1

5月。プロポーズから1ヶ月が経とうとしていた。 私とM君の結婚話は、たった1日で村の一番のニュースになっていた。まあ、そうなることは容易に予想できていたから、特に驚く事もない。 今は村を離れているKちゃんの耳にもすぐに入ったようで、次の日の昼にはお祝いのラインが入って来た。 例のKちゃんの後輩にも私たちの結婚話はすぐに伝わったようで、流石にもう諦めるとKちゃんに連絡があったようだった。 不思議なものだ。 こうして考えてみると、当の本人達が一番グズグズしていただけで、お互いの親や周囲の人は当たり前だったかの様にもう受け入れている。 お互いの親への挨拶も改めてしたのだが、既にお互いの親同士で話をしていた様で色々話がまとまっていた。幸い、M君の両親は私の仕事に理解を示してくれていて、所謂"漁師の嫁"を全開でやる必要は無いと言ってくれていた。 そして現にこの1ヶ月、M君は当たり前の様に私の部屋で寝ている。 母は新しいダブルの布団を購入してきた(笑) まあ、M君は漁に出るから同じ時間に同じ布団で寝ることはそうそうないのだが・・・。 そして何故かM君の家には、既に村の人からお祝いの品が届いてM君の父親はあれから一週間、漁を息子二人に任せて村の人と呑んでいるらしい。流石に3日を超えた辺りでM君の母親に怒られて、そこからは酒の量を控えたらしいが・・・。 村のおじい、おばあからはもう孫の話が出ているらしい。子供が少ないこの村では、尚更『子は宝』なのだろう。 とりあえず私たちは入籍の日を7月7日と決め、小さく結婚式を挙げる事にした。 昔は村の神社で神式の結婚式を挙げることも出来たそうだが、過疎化が進んでしまって、もうそれは叶わなくなっている。今では結婚する事を略式的に神社に参って、氏神様に報告するだけになったそうだ。今となっては殆ど宗教的な意味合いはない。 ならばお互いの親兄弟だけを呼んで、海外で結婚式を挙げようという事になった。 そうでもしなければ、村中の人を呼ばなくてはならないし、私の仕事仲間や世話になった人を呼ぶのも大変になる。(現状、私側の人は、ほとんどが大阪、東京にいるし・・) だから海外挙式という形をとって、物理的に列席するのは親兄弟だけという事にした。 二人でどこがいいかを考え、親世代の”憧れのハワイ”でする事になった。 まあここも南の島なのだが、やはり親世代は憧れの様で、それを告げた時には喜んでくれた。 私は過去に一度だけ行った事がある。M君は若い時に遠洋漁業で仲良くなった友人と一度行ったのだそうだ。だから二人ともなんとなくのハワイの知識はある。親を連れて来てあげたいという思いもあったから、ハワイにした。ハネムーンも兼ねて、7月の上旬に10泊で行く予定にした。(親族は5泊で帰ってもらうが) 私達の友人達は二次会のようなパーティーを開きたいと申し出てくれている。 私達は大袈裟に結婚式をあげるつもりはないが、同級生や幼馴染は『やっとくっついたんだから、祝わせてくれ』という感じで、もう勝手に計画を進めているそうだ。 ならば、会費制の食事会ということにしようという提案をして、今年のお盆にする事になった。 島にある綺麗なレストランで同窓会兼結婚祝いという事になった。まあ元々幼馴染も少ない上にそれぞれの高校時代の友人も少ない。せいぜい二十人てとこなのだが。 結局、私達の結婚は今年最大の村のニュースになって、なんだかんだと忙しい事になった。 今年の正月には思ってもいなかった一年になりそうだ。 結婚することは、家と家の繋がりとも言う。 村社会に於いては尚更なのだが、幸い私達の結婚に異議を唱える人は誰もいない。それどころか、二人の新居を建てるなら土地を格安で譲ってくれるという人まで現れた。 本当にありがたい話だ。 新居は追々考えるとして、今はとりあえず私の実家で過ごす事になりそうだ。部屋は余っているし、そもそも私達の実家は歩いて10分の距離。 結婚の諸々が済んで、落ち着いて、それからゆっくり考えよう。 今日も部屋で仕事をしていると彼が帰ってきた。 少し早めのお昼ご飯を一緒に食べよう。(私にとってはブランチ) 今はとりあえずこの喜びを噛み締めようと思う。 終わり part2へ続く・・・
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