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第一章 いいか、よく聞け。動物の気持ちに同調するな
九月十日。今日は、なんの日かって? 保科犬猫病院で新たなスタートを迎える日。
サラリーマンやOLのあいだを縫い、大通り沿いを抜け、アスファルトの照り返しをさけるように角を曲がると、奥まった静かな場所に小さく看板が見えた。
犬猫の絵もなくてシンプルで見落としそう。
六階まである建物は薄い緑の壁で、一階の病院は大きなウインドウが開放的な空間が広がっている。
裏に回って駐車場の隣にある通用口から入ると、「待ってたわ。迷わなかった?」って、受付兼動物看護助手の香さんが迎えてくれた。
踊り場の窓から入る日射しが、階段を明るく照らしている。
前を行く黒髪アップの背中を見上げながら上がり、三階の休憩室についた。
「こじんまりしてるけど、居心地はいいはずよ。どうぞ入って。ロッカーは、これを使ってね」
「恐れ入ります」
入口の近くにあるロッカーのネームプレートには川瀬の文字が。
今日から私のお城、末永くよろしくね。
「いちおうピンクのスクラブを用意したけど、淡い色ならなんでもいいわよ」
香さんがロッカーを開けてみてって、視線で合図をしてくるから開けてみた。
「嬉しそうね」
香さんの言葉に、ビニール袋に入った真新しいスクラブを手に取りながら振り返った。
「スクラブ着用ってことで、この日を待ちに待ってました」
「そんなに嬉しかったの?」
私の笑顔につられるように、香さんの顔にも満面の笑みが溢れる。
「小川にいたときに獣医が、スクラブは機能性抜群だから仕事に集中できるって言ってましたし、Tシャツみたいな感じだから着脱も簡単だって」
「ふうん、そうなのね」
唇をすぼめた香さんが、浅く何度も頷く。
「開けてみてもいいですか?」
「もちろんよ、どうぞ」
早速、ビニール袋から取り出して広げてみた。
「このスクラブ、腰の左右ににダブルポケット。肩にはペン挿しがついていて、動物にとても優しいですね」
「本当に動物が好きなのね」
「はい」
なによりも動物が大好き。
「動物は人間の赤ちゃんみたいに、なんでも口にしちゃうから、ボタンはないほうがいいです」
「ポケットも腰や肩にあるから、動物の四肢が引っかからないでしょ」
「そう思いました。このスクラブは動物相手の仕事には打ってつけです」
「数あるスクラブの中から、動物を最優先して選んだのよ」
「香さんがですか?」
「院長よ」
わあ、ここの院長、凄く動物想いなんだ。きっと朗らかで穏やかでしょうね。
とっても優しい笑顔と話し方で迎えてくれるに違いない。
「着替えたら、一階に下りて来てね」
院長のことを考えていた私を、香さんが現実に戻した。
着替えが済み、弾む心と足に急されるように階段を足早に一階へ下りた。
検査室から待機室を通りすぎ、診察室へと歩を進める。
なになに、なにか聞こえてくる。
自然に足が止まって、息を殺すように耳を傾けた。
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