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「調子はどう?終わりそうかな?」
心配そうな口調でそう問いかけてきたのは、入社二桁の沢野主任だった。
彼女は目鼻立ちは整っていて、若い頃はそこそこ美人と呼ばれていたかもしれないが、今では中年太りで……なんて口が裂けても言えない。けれど、それ以外の表現が見つから無いほどどっしりとした体型だ。裏ではお局様と言われている、総務課のドンだ。
「はい。今日中にはなんとか」
目を付けられたら姑いびりより恐ろしいと課長が冗談交じりに言っていたのを思い出して、杏沙は起立して答える。
ついでに課長のあのセリフは絶対セクハラだなとも思ったけれど、今はどうでも良い。
そして沢野主任も、杏沙が頭の中で何を考えているかなんて詮索する気は無いらしく、ファイリング済みの履歴書類に視線を向けた。
「ん、確かに終わりそうね。ちょっと量が多いから手伝おうと思って来たけれど、大丈夫そうね」
「はい!」
すかさず杏沙は元気よく返事をする。
狭いミーティングルームでお局とファイリング作業なんて、絶対に御免だという気持ちから。
幸いお局様は、杏沙のそれを真面目な新入社員として受け止めてくれたようだ。
「じゃあ、引き続き頑張ってね。ああ、そうそう。これ差し入れ。若い子は、こういうの好きでしよ?良かったら3人で食べて。じゃあ、何かわからないことがあったら内線で呼んでちょうだい」
「……はい。ありがとうございます」
差し入れと言って手渡されたのは、スウィーツ好きでなくても名前は知っている高級チョコレートだった。
箱の大きさから言って、杏沙の一週間分のランチ代に値する。
これが頂き物なのか、沢野主任が自腹を切ったものなのかわからないが、高級チョコレートを口にできることは素直に嬉しい。
けれども、3人と言う言葉に引っ掛かりを覚えて、杏沙はお礼を言うのに少々間が開いてしまった。
しかし沢野主任は「遠慮は要らないから」と笑ってひらひらと手を振ると、すぐにミーティングルームを後にした。
一人残された杏沙はチョコレートの箱を手にしたままポツリと呟いた。
「おすそ分けするなら、平等に個別に配って欲しかったなぁ」
配る方の身にもなって欲しい。頑張った自分へのご褒美としてでも買うのに躊躇するチョコレートを貰っても、今の杏沙のテンションは地に落ちている。
嫌がることを強要するのは、世間一般にハラスメントと呼ばれている。
なら、これはモラハラ?パワハラ?チョコハラ?
「……違うな」
杏沙は、くだらな過ぎる自分の心の中呟きに、つい声に出して否定を入れてしまった。
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