その願いは、あまりにぶっ飛んだもので

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 履歴書が綴じられたファイルとチョコレートの箱を持って廊下に出た杏沙は、二つ隣の、これもまたミーティングルームの前に立つ。  紗理奈と留美の楽しそうな話し声が聞こえる。沢野主任が通ったら絶対に叱られるだろうと断言できる声量で。  立ち聞きはマナー違反と知りつつ、杏沙はノックをする前に耳をすます。  どうやら話の内容は、会社帰りにヘッドスパに行こうかどうかという会話で、多分、隠し持っているスマートフォンで検索しているのだろう。  優等生気質を持ち合わせていない杏沙は、一先ず、自分のと話題では無かったことに安堵して扉をノックする。 「あ、はいっ」 「どうぞっ」  余所行きの声を出した二人に、杏沙は自然な笑みを意図的に作って扉を空けた。  長テーブルが二つと4人分の椅子が置かれているミーティングルームには、段ボールに入った会社案内と封筒のお陰で、びっくりするほど狭く感じる。  ただ封筒に入れ終わった会社案内の束は、思いのほか少なかった。  紗里奈と留美に課せられた本日のノルマはまだまだ残っている。多分、手ではなく口を動かし続けた結果なのだろう。  しかしそれをどうこう言うつもりは無い杏沙は、杏沙は長テーブルの端にチョコレートの箱を置く。 「お疲れさま。あのね、これ沢野主任から差し入れだって。良かったら二人で食べね」  早口でそう言って、そのまま部屋を出ようとした。けれど、ここで紗里奈に引き留められてしまった。 「えー長沢さんは要らないの?」  ものすごい早さで箱の中身を確認した紗里奈は、信じられないといった表情を杏沙に向けた。  小柄で舌足らずな喋り方をする紗里奈は、一見甘やかされた末っ子に見えるけれど、実は3人兄弟の長女で面倒見が良い。  きっと普段自宅でも率先して菓子を取り分けるタイプなのだろう。早速数を確認して、ティッシュペーパーを並べているところが妙に様になっている。  しかし杏沙は首を横に振った。 「うん、2人で食べて」 「うーん、でもこれ美味しいよ?1個くらい食べなよ」  曖昧に答える杏沙に、紗里奈は「好きなの取って」と箱を押し付ける。 「……あ、うん」  なら一つだけ。そう言って、一番端のチョコを取ろうとした瞬間、いつの間にか近くに来た留美が口を開いた。 「もしかしてダイエット?」 「まさか」  驚いて目を丸くする杏沙に、留美は「ふぅん」と疑いの目を向ける。それは抜け駆ける裏切り者を見る表情だった。  他人のダイエットに過敏に反応するくらい、留美は少し体系がふくよかだった。対して紗里奈と杏沙はどちらかというと細身に属する。  紗里奈が日ごろからダイエットをしているかどうかは知らないけれど、杏沙はもともと食べても太らない体質だ。  でもそれを今口に出そうものなら、絶対に険悪な空気になるだろう。  だから杏沙は、敢えて自虐的なことを言って誤魔化すことにする。 「実は私、こういう高級チョコレートは苦手なんだ。なんか味が複雑すぎちゃって。だから、二人で食べて」 「あ、そうなんだ」 「へぇ、意外ねー」  あっさりと納得した二人は、どれを食べようか箱を覗き込む。その表情は仕事をしている時より真剣だった。
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