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何度目かの手術が決まった夜。母は変わらずベランダで煙草を吸っていた。
「・・・少しは減らせよ」
食器を洗った後、手を拭いながら言う。
「今日だけ、今日だけ」
母は変わらず、煙を吐く。
「・・・何回やるんだよ、このやりとり」
「あんたが高校生ぐらいの頃からやってるよねー。もう10年?早いわねー」
そう言ってケラケラ笑う母。舌打ちする俺。
「長生きする気無いのかよ」
「なんでよ。別にそんな事無いわよー」
「だったら煙草の量減らせよ」
語気がどんどん強くなる。
「入院する度『やめるやめる』って言って全然辞めねぇし。こっちが馬鹿らしくなってくる」
「あははっ。あんただって吸ってんじゃない」
「俺のとは関係無ぇだろ!」
部屋を照らす白熱灯に空気の震動が伝わる感覚。
つい大声が出てしまった。母は驚いたのか、こちらを見ている。
「・・・ごめんね。寛斗」
「・・・」
「こんな私で、ごめんね・・・」
「・・・」
そう呟く母。俺は床に視線を落とす。
「あんたには、子どもの頃から、苦労ばっかり・・・」
「・・・ないくせに」
「え?」
「・・・変わる気なんて、無いくせに」
静かに、でもはっきりとした口調で母に投げかける。
落としていた視線を母に戻すと、困ったような笑顔でこちらを見ていた。
その瞬間、俺は母の生き方を肯定してしまった事に気付いた。
「ばぁば?」
結月が不思議そうに言うので、俺は優しく頭を撫でる。
「そうだな。ばぁばと同じ匂いだな」
そして作業着の男達に頭を下げ公園の中に戻ると、結月が俺のシャツの襟を引っ張った。
「ヒロくんも」
「え?」
「ばぁばといっしょー」
そう言って襟に顔を埋める結月に、ぎくっとする。
「あ!ごめんっ、ゆづ、臭かったよな?」
俺は慌てて結月を地面に降ろす。結月が生まれてからは、結月の前では吸わないようにしていた。特に、一緒に遊んでいる時は。だから匂いにも気を付けていたのに。
「んーん。くしゃくないよ」
首を横に振る結月に、俺は屈んでまた頭を撫でた。
「ヒロくんとばぁば、ふわふわで、きらきらしてるよ」
そう言って、公園の中央へ結月は走って行った。
「・・・また入院するって?」
仕事終わりに母の元を訪ねると、相変わらずベランダに佇んでいた。
「・・・連絡くらいしなさいよー」
「そんでまだ煙草やめてないし」
「・・・これでも昔より減ってんのよー?」
「こんなになっても、まだ変える気無いの?」
部屋が静まりかえる。
夕暮れの中、仕舞い忘れた風鈴が風に揺れて、遠慮がちに音を鳴らす。
「・・・ごめんね。寛斗」
まただ。何百回目の言葉。
「こんな私で、ごめんね・・・」
もういい。聞き飽きた、その言葉。
「でもやっぱり」
風が強く吹いて、目を掠める。手の甲で瞼を擦って再び視線を向ける。
「やっぱり、私は変わんないわ」
そう言って母は、困ったような笑顔でこちらを見ていた。
風によって舞い上がるカーテンと、風鈴の音色と、煙草の煙は、夕暮れの色に溶けて消えた。
「ありさん、ありさん」
結月はまた地面を眺めている。
「ゆづは蟻さん好きだなー」
俺は結月の向かいに屈み、2人で蟻を挟んで見ていた。結月を見ると、にこにこしながら地面を見てた。
すると、結月の方へ結月と同じか少し年上くらいの女の子達がやって来た。
「なにしてるの?」
結月は振り返り、少し考えてから答える。
「・・・ありさんみてる」
女の子達は目配せして、先頭にいた女の子が結月に近付いて来た。
「いっしょに、あそばない?」
なんと遊びのお誘いだった。何故か俺が嬉しいような照れ臭いような気持ちになった。少し離れた所にいた、女の子達の保護者達と目が合い、お互い会釈をする。
結月は少し考えて、首を横に振った。
「ありさんみてる」
俺は驚いた。女の子達もキョトンとしている。
「ゆづ、皆と遊んでおいでよ。ね?」
俺は慌てて諭すが、結月はまた首を横に振る。
「ありさんみてる」
女の子達が公園の中央へ戻って行くのを見送った後、屈んで蟻を眺める結月を見る。
「ゆづ、皆と遊ばなくて良かったの?」
「うん。ありさんみたい」
「皆と一緒に遊ぶほうが楽しいかもよ?」
「ありさんみたいもん」
頑なな結月に苦笑いする俺。
「ゆづは頑固だなー・・・」
項垂れる俺に結月が顔を上げて、真っ直ぐ見る。
「だって、ゆづはゆづだもん。かわんないもん」
身体中に電気が走ったようだった。
子どもの頃から何十回、何百回聞いてきた、呪いのような言葉。
俺はしばらく固まり、やがて弾けた。
「・・・は、ははっ、あははっ!マジかよ・・・、アンタ流石だわ。はははっ!本当にしぶといわ!」
俺は腹から声を出して笑った。結月がキョトンとしているのも気にせず。
「あっはっは・・・!やっぱり、ゆづはばぁばの孫だな・・・!さすが、アンタの孫だわ・・・!」
俺は地面に座り、項垂れながら笑い続けた。笑い過ぎて涙が滲んできた。そんな俺を見て結月は立ち上がり、身体を震わせる俺の頭を撫でた。
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