笑顔のその先

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その後そのまま先生はうちへ来て、突然の出来事に状況が分からない両親に頭を下げて許しをもらうと、自分の実家にも足を運んだ。けれど、先生の両親には許してもらえず、先生はそのまま実家と縁を切ることになった。 『いずれ分かってもらえるさ』 そう言って笑った先生は少し寂しそうだったけど、僕を選んでくれたことがうれしかった。 そうして僕達は出会ってから1度も愛の言葉を交わさずに番になり、夫夫になった。 子供は僕が大学を卒業してから、そう言っていたのに、先生・・・颯介さんは病に倒れ、あっけなく逝ってしまった。 颯介さんと一緒になって過ごしたのは4年弱。そして1人になって8年が過ぎた。 颯介さんと過ごした時間の倍になっちゃったね。出会ってからの時間を入れても、いなくなってからの時間の方が長い。そしてその時間はどんどん長くなっていくんだ。 僕の中の絶望という感情が、時が過ぎる毎に大きくなっていく。 最初の絶望はうなじの噛み跡が消えていったときだった。 颯介さんを見送って、ただただ呆然と過ごしたある日、何気なく触ったうなじの噛み跡が薄くなっていたのに気づいた。 番を失ったために、僕の身体が颯介さんの痕跡を消そうとしているのだと分かった。 そんなの嫌だ! この身体から颯介さんが完全に消える前に・・・僕がまだ颯介さんのものであるうちに、彼の元へ行きたい。 そう思って半ば無意識に包丁を手に取った時、彼の言葉が聞こえた。 『君は生きて。そしていつまでも、笑っていて』 僕は彼の最期の言葉を裏切る事が出来なかった。 思い通りにいかないこの身体が絶望に震えた。そして、溢れ出そうになる涙を必死に抑えて、口元に笑みを浮かべた。 『笑わなきゃ。そして、生きなきゃ・・・』 僕はその時から泣くことをやめた。 彼の言葉通り、笑って生きて行くために。 そうやって笑みを口元に貼り付けたまま、僕は大学を卒業し、製薬会社に就職した。製薬会社と言っても、僕はその会社のオメガ枠で、研究所の実験アシスタントをしている。アシスタントと言っても要は雑用だ。実験室の備品の管理や器具の洗浄など、誰もができる仕事。 この会社のオメガ枠は充実していて、各実験室に1人ずつオメガのアシスタントを置いている。派遣でも良さそうなのに、正社員で採ってくれるありがたい会社だ。 けれど、仕事の内容が単純なせいか、それともアルファばかりの職場で居ずらいのか、オメガ枠の社員はどの実験室も長続きしなかった。その中で僕だけが、辞めずに何年もここで働いている。 だって働かなきゃ生きていけない。 もう僕は誰かに頼ったりしたくなかったから。 オメガが1人で生きていくために、僕はここを辞める訳にはいかなかった。
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