笑顔のその先

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僕が勤続8年を迎えた春、隣の実験室には初々しい新卒のオメガくんが入社してきた。とてもキレイな子で、いつもふわふわ笑ってとても感じのいい子だったが、常にアルファの香りをまとっていて、周りのアルファを牽制していた。 元々この研究棟に配属されているアルファはみな既婚者で、今さらオメガを狙うなんてなかったが、彼は常にまとっているそのアルファの香りのせいで、うちの実験室でも有名だった。 時々ロッカールームなどで会う彼はいつも笑っていて楽しそうで、この仕事も積極的にやっているように見えた。だから周りがどんどん辞めていく中、きっと彼は僕のように長く勤めてくれると思っていたが、彼は入社して2ヶ月も過ぎてくると、途端に元気がなくなり、休みがちになった。 この子も、もうすぐ居なくなってしまうのかな・・・。 なぜだかオメガがいつかないこの会社。 きっとこの子も辞めてしまうのだろう、そう思っていたら、意外な展開となった。 なんと彼は妊娠し、シングルで子供を育てるのだという。 元気がなかったのも休みがちだったのも悪阻が原因で、安定期に入り悪阻が治まった彼はまた元気に出社するようになった。 元気になった彼の笑顔はさらに輝いて、とても幸せそうだ。特にお腹に手をあてて微笑むその顔は本当に慈愛に満ちていて、周りにまで伝わるほどだ。 でもその笑顔を見ると、僕の心の中の絶望が色を濃くする。 『僕もあんな風に微笑みたかった』 何も宿さず、何も残せなかったことが、僕の絶望を深くする。 子供を宿した彼の微笑みは周りをも和やかにし、幸せを運んだ。けれどその裏にほんの少しだけある翳に僕は気づいていた。それはきっと、彼にパートナーが居ないからだろう。 以前ロッカールームで会った時、ちらりと見えたうなじに噛み跡があった。なのにシングルで育てるということは、オメガ特有の事情があるのだろう。 オメガは望まない妊娠をしやすい。 発情期になると自分をコントロール出来ない上に、周りのアルファも引き付けてしまうからだ。相手なんて誰でもいい。ただ、アルファと言うだけでその熱を身体に穿ち、精を流し込んで欲しくなる。 発情期のオメガは、本能に突き動かされるだけのただの獣と化すのだ。 僕はそうなりなたくなかった。颯介さん以外のアルファを欲するなんて、考えたくもない。でも、発情期は容赦なく訪れ、番の契約を失った僕は不特定多数のアルファを引きつけてしまう。 だから僕は、いつも強い抑制剤を服用する。それは本来、どうしても発情してはならない時のみにだけ使用を許されるもので、常用してはならない類のものだ。 本当なら専門の医師にかかり、処方箋を出してもらってから購入出来るものなのだけど、僕はネットで海外から個人輸入している。それは正規ルートで購入するよりも値段が高く生活を圧迫していたけど、僕にはどうしても必要だった。 発情期が近くなってきたので今日も服用してきたけど、身体の火照りが治まらない。 いつもならこの薬を飲めば発情を抑え、初期のフェロモンなら抑えられる。だからいつもこの薬で抑えているうちに帰宅し、そのまま家に籠るのだ。と言ってもこの薬のおかげでほとんど発情せず、せいぜい普段男子が行う生理現象程度の衝動で終わる。なのに・・・。 火照ってるということはフェロモンが漏れてるかもしれない。薬が効いてないのか・・・? かといって、強い薬をもう一度飲むのは危険な気がする。
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