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朝ごはんも食べていない事に気づき顔なじみのパン屋の店主から出来たてのパンを買い、人でごった返す市場を抜けて細い路地裏の道を慣れた足取りで歩く。
賑やかな声が反響して聞こえてくる高台にある、誰も近寄らぬ空き家の中庭に辿り着き、そこで一息をつく。
この空き家はイリアの父ロットが各地に置いた別荘の一つ。
イリアがこの家の管理を任されており、イリアの研究の拠点も主にこの場所で行っている。
空き家ということもあり、一度空き巣に入られた経験はある。
しかし何かの研究で失敗したであろう、赤黒い生々しい液体が壁にこびりついていたり、妙なもの達がいくつも瓶詰めにされているのが壁にビッシリと並んでいたり。
入ってきた空き巣は悲鳴を上げて出ていって以来、この場所は巷では幽霊屋敷とまで呼ばれていたりもする。
だが研究に没頭でき且つ誰にも邪魔されない自由なこの空間がイリアには楽園に思えて、家の外観をじっくり眺めた後、生い茂る草の中で横になった。
見えるのは木々の隙間からゆっくりと流れる雲だけ。何にも邪魔されない空間がそこにはあった。
ーー朝起きた時から風が気持ちいいと思っていたけれど、ここはやっぱり特別ね。
屋敷の中ではこんなことは絶対にできない贅沢なことに満足しながら腹の虫が動き出したことに気づき、ゆっくりと起き上がって買ったばかりの出来たてふわふわのパンに齧り付く。
そして鞄の中に詰めてきた荷物の中から、一冊の本と一冊の手帳を取り出した。
「さて……お父様、お母様。今日も私は二人を越えるために知識を身につけるからね」
古ぼけた一冊の本は、年季が入っていて表紙は今にも取れそうな程何回も何回も読まれた形跡が残っていた。
この本は、ロットが積み重ねてきた研究をまとめた、世には出回っていない貴重な本なのだ。
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