月下のヒーロー

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 え、と。少年の不思議そうな声が聞こえた。Xはもう一度、そっと少年の首筋を撫ぜたかと思うとゆるりとその手を下ろして、言った。 「いつか、私を倒しに来てくださいね、ヒーロー」 「おじさん?」  少年の疑問符に、Xは答えなかった。そのまま、二人を乗せた籠は地面まで下りてゆく。係員が扉を開き、Xは少年の手を引いて籠を降りる。すると、少年がぱっと弾かれるように顔を上げた。  Xが少年の視線を追えば、男のシルエットと女のシルエットが、こちらに向けて駆けてくるところだった。その慌てふためいた様子は影しか見えなくても明らかだ。少年はそんな二人の影をじっと見つめたまま、言葉を落とす。 「お父さん、お母さん」 「ほら。君は、邪魔なんかじゃない」  うん、と頷いた少年の背を、Xはゆっくりと押した。少年は一歩、二歩と、両親の方へと歩いていく。母親が少年の名前を呼んだようだったが、それは不思議とよく聞こえなかった。否、Xが耳を塞いだのだと、一拍遅れて気づいた。 「……X?」  私の声はもちろんXには届かない。Xは耳を塞いだまま、きっぱりと言った。 「引き上げてください」  それは。Xが探索の限界を感じた時の呪文。私は刹那、迷った。まだこの遊園地の探索は十分とはいえないし、Xが危機に陥っているわけでもない。それでも、Xは「引き上げてほしい」と望んでいる――。 「引き上げて」  結局、私はXの言葉を受け入れて、Xの意識を肉体へと引き上げる作業が始まる。Xの視界を移すディスプレイにノイズが走り、映像が途絶える寸前。両親と一緒になった影の少年がこちらを振り向いた、気がした。
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