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「結婚とか家庭とか、全然興味なかったけど、椿とはずっと一緒にいたいって思った」
「ふ~……ん」
母親の声が揺れた気がした。
「恨むほどあんたのことを考えたこともなかったけど、今は感謝してる」
「……」
「俺を産んでくれてありがとう」
「…………」
なおも、振り返らない。
だから、俺も背を向けた。
「それだけ」
「同じ声の男に会ったら、父親だと思っていいよ」
「はあ?」
振り返ると、母親もこちらを向いていた。
「あと、あんたの名前、父親の名前から取った」
「……あ、そ」
「昔はすっごいいい男だったけど、今はデブでハゲかもね」
「は?」
母親は笑って、背を向けた。
コツコツとヒールを鳴らし、足早に遠ざかって行く。
笑顔だけど、泣いているように見えた。
気のせいだったかもしれない。
病室に戻ると、ベッドの傍らに椿が立っていた。
「幸子は?」
「帰った」
「そう」
「五十過ぎに見えなかったけど」
「そうね。あんなに厳しく育てたのに、全く身になっていなかったとは嘆かわしい」
「いや、見た目……」
「すっごい綺麗な女性でしたね!」
椿がテンション高めに言った。
どことなく室内の雰囲気が変わり、同時にどっと疲れが出た。
病院に着いてから三十分やそこらしか経っていないのに、ものすごく神経をすり減らした気がする。
コンコン、とドアがノックされ、部屋の主が「どうぞ」と返事をした。
入って来たのはそれこそ五十歳前後くらいの看護師で、カートを押していた。
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