01_小林の悩み(2)

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01_小林の悩み(2)

 目標設定の面談が終わり、今日中に終わらせなければならないタスクを終わらせた後、私は部内の忘年会に向かった。場所は有楽町駅近くの居酒屋である。  幹事は部の中で一番年次が低い私が担当になっていた。会社に入ってからはおろか、大学時代も幹事のような仕切り役はあまりやったことがなかったため、慣れない準備にとても苦労した。どの役職まで来るかを確認して、どういうお店を選んだらいいか、ドリンクの種類は、和食か洋食か、来る人に合わせて予約しなければならないし、お店の予約した後も、出席確認やスケジュール調整、席順など、気を遣う事がたくさんある。普通の仕事の方が楽だよと思えるぐらいだ。  集合時間になったことを確認し、お店の前に集合した参加者二十名ぐらいを連れて、入り口の暖簾をくぐると、中は日本旅館のような内装となっていた。木造風の素材で作られた壁や床が、淡いオレンジ色のライトで照らされている。灯篭のような形のライトで照らされた通路を進むと、奥に予約した座敷があり、八人ほど座れる長机が三列並んでいた。そこに部の参加者が靴を脱ぎながらなだれ込み、各々好きな場所に座る。靴が散乱しないよう、私は脱ぎっぱなしになっている靴を一つ一つ並べていった。  忘年会が始まり、しばらく五年目の田島さんと八年目の岸谷さんと飲んでいたら、田島さんが思い出したかのように、目標設定の話をし始めた。 「小林君、今日課長と面談してなかったっけ? OK出た?」  あまり話したくない、と思ったが、無理に黙っているのも変だと思い、正直に答える。 「いえ、いくつか指摘があったので、再度面談することになりました」  田島さんは呷っていたジョッキを机に置くと、不思議そうな顔をしてこちらを見る。 「え、あれってそんな指摘されるようなところあったっけ?」  聞かれたくないところを聞かれ、いや、と咄嗟に言葉を濁す。最後の欄に何を書いたらいいかわからなかった、というのもそうだが、そこで真剣に考え込んでいるなんて、恥ずかしくて言えない。 「実行計画のところでいくつか指摘がありまして、そこを直せと。田島さんはもう終わりましたか?」  適当な答えで誤魔化して、これ以上自分の話が広がらないよう、田島さんに話を振り返す。 「おれぇ? 俺はもう提出してOKもらったよ。何? 俺の参考にしたい?」  田島さんが得意そうに笑みを浮かべていると、横で見守るように聞いていた岸谷さんが話に入ってきた。 「田島君、あんまり適当なアドバイスとかしないでよ」 「いやぁ、そんなつもりないっすよ。丁寧なアドバイスをしようとしてたところです!」 「おまえ、三回ぐらい修正し直ししてただろ。その分際で何言ってんだ」  岸谷さんが肘で田島さんの横腹を小突くと、田島さんは、ぐはあ! といかにもわざとらしく畳に倒れこんだ。何やってんだ、といった顔をしながら小さくため息をついた後、岸谷さんが私の方を見る。 「まあまだ二年目で何かいたらわからないかもだけど、じっくり考えればいいよ。提出期限二月末だったと思うし」  いつもの柔和な笑顔で微笑みかけてくれた。話したくないことが顔から伝わってしまって、フォローしてくれたのかと思い、ありがとうございますと小さく頭を下げる。  結局、『将来の展望』を埋めることができなかった。記載要領の説明には『今後のキャリアプラン、自分が今後やりたいこと記載すること』と書いてあった。面談の後、社内の資料や社内ポータル、インターネットで何か興味が出るものが無いか探してみたりしたが、何を書くべきか自分でも分からなくなってしまった。どうしても、何を書けばいいかわからない。それが、すごく不安だった。 「お! 若いのが集まってるじゃないの!」  その声に思わず、びくっ、と体が反応してしまった。声の主がいる方向へ首を振るとと、奥の席で飲んでいた熊谷さんがいつの間にかそこに立っていた。ジョッキ片手に顔を赤くして、かなり酔っている様子である。かちっ、と背筋が伸び、体が強張る。田島さんは熊谷さんの方を見て明らかに、げっ! というような顔をしていた。 「ん、どうしたんだ? そんな顔して?」 「あ、いえ何もないっすよ。こっちに来たんですね」 「もうおっさんたちとは十分話したからな」  田島さんの顔を見て、熊谷さんは少し首をかしげたていたが、まあいいわ、と言いながら私の隣にドカッとに座る。 「いやあっちで目標設定の話をしてて、小林君の話になったからちょっと話そうと思って。今日の面談で心配になっちゃったよ」  座るやいなや、今日の目標設定の面談の話をし始めた。私はさらに体はさらに強張った。 「あっ、今その話こっちでもしてたんですよ! 小林君、どうかしたんすか?」  熊谷さんの話に、酔いが回った田島さんが興味津々に食いつく。  人前で面談の話をされたくない。そう思ったが、別に話を逸らすための技量もなく、私は黙っていることしかできなかった。熊谷さんがそのまま大きな声で続ける。 「いやさぁ、ちゃんとやりたい事があるのかなって話。目標設定で、『将来の展望』の欄、空欄でだしてきたからさぁ」  田島さんと岸谷さんが、目線を私に向ける。反射的に、目線が合わないよう横に少し外した。 「あの欄かぁ。そこでそんなに悩んでんの? やりたい事、書けばいいのに」 「そうなんだよ。小林君、もっと欲出してやりたい事、言ってくれていいんだよ~、できるかは別だけど。小林君真面目過ぎるところあるからなぁ」  私は、はい、と口で返事をする。熊谷さんは恐らく、自分を心配してくれているのだろう。しかし心の中では、その親切を受け入れなかった。他の人にも話されて、心配されると、心配をかけるような状態なんだと、不安がさらに大きくなる。 「そういうの、言えるようになったら、仕事も楽しくなるよ~」  生暖かい空気が胸で満たされていくように感じた。面談の時と同じ感覚である。空気は十分あるはずなのに、息がしづらい。その間も熊谷さんは話を続けていたが、話の半分は右から左へ流れていく。胸にたまった不快な空気を外に出したくて、無意識のうちに大きく息を吸う。 「ほかの部署の子とかもっと――」 「締め切りまでにはちゃんと考えますから」  息を吐くタイミングで無意識に声が出た。大きくないが、強い語気の声。私達がいる卓だけ静かになり、熊谷さんも呆気にとられたような顔でこちらを見つめる。その顔を見て、自分がこの静寂を作ったことに、少し遅れて気が付いた。 「……すみません」  今度は思ったより小さく、情けない声が出た。 「熊谷さん、おれ、部長とも少しお話したいです。一緒にあっちに行きませんか?」  岸谷さんが静まり返った空気に割って入り、熊谷さんを奥の席へ連れていこうと促す。熊谷さんは、お、来るか! と言って意気揚々と元の席へ戻っていた。 「岸谷さんマジ勇者だな、自らあそこに足を踏み出すなんて……」  岸谷さんの後ろ姿を、田島さんまるで勇者か何かかのように見つめる。同時に、横目で私の様子もうかがっているのも、なんとなくわかった。 「まー、あの欄あんまり考課とかに関係なさそうだし、あんまり深く考えなくていいんじゃね。俺なんて開発部に行きたいです! とか書いちゃってるし」  田島さんなりに気を遣ってくれたらしい。私は、はい、と小さく頭を下げた。  熊谷さん達が去った後も、まだ胸の息苦しさが残る。なぜかは分からないが、とても不快で、息が詰まる。胸の残る不快感を洗い流そうと、ジョッキに半分ほど残ったビールを一気に呷った。
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