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01_小林の悩み(3)
あの後、奥の席に田島さんと私も呼ばれ、結局、会の終わりまでおじさん方の卓で飲むこととなった。最初は嫌がっていた田島さんだったが、いざとなると、おじさん方とノリノリで話して場を盛り上げていた。こういう場で人を楽しませたりすることができるのが、田島さんのいい点であり、うらやましいところである。自分はその隣でお酌をしながら、うまく相槌を打つので精一杯だった。岸谷さんは課長、部長たちとずっと仕事の話をしていた。こういう場でしっかり意見が言えるところが、やはりかっこいい。
忘年会が終了し、会計を済ませ、居酒屋の外に出ると、参加者が入り口でたむろしていた。明日も平日でまだ仕事があるため、二次会はなしで、ということだったが、おじさん方は各々次どこで飲もうかという話をしている。熊谷さんが、お店から出てきた私に気づくと、その場から大声で「小林はどうする? 二次会行くか?」と聞いてきてくれた。
「すみません。せっかく誘ってもらって申し訳ないのですが、今日はもう失礼させて頂きます」
「そうか……」と、残念そうにする熊谷さんに、お疲れ様です、と一礼をして、そのまま入り口前の一団から離れた。
有楽町駅に到着して改札をくぐり、階段を上り切ってホームに出る。有楽町駅のホームは、少し高い場所から駅周辺を見下ろすことができる。高架の下には、居酒屋や牛丼屋、ドラックストア、カフェ、宝くじの販売所などが並んでおり、それぞれが全く雰囲気の違う光を放っている。ホームに出て右側には、大型の家電量販店がそびえ立っており、電球で光る店の看板や、ポスターのライトアップが、駅のホームをも照らしていた。
駅の電光掲示板を見ると、時間は午後十時十二分。次の電車まであと十分ほど時間がある。家電量販店の壁に向かい合うような形で、ホームの真ん中にあるベンチに座った。緊張の糸が一気に切れ、仕事と忘年会の疲れが一気に体を襲う。背もたれに体を預け、首を後ろに倒すと、マフラーで守られていた首元が少しあらわになり、十二月の冷たい空気が首元に流れ込んできた。火照った頭が冷やされるようで、とても気持ちいい。そのまま目をつむって寝てしまいたくなる。
――小林君もっと欲出してやりたい事、言ってくれていいんだよ
――小林君真面目過ぎるところあるからなぁ
――そういうの、言えるようになったら、仕事も楽しくなるよ
ふと、熊谷さんに言われた言葉を思い出す。目標設定シートを書き始めて三週間、ほとんどの項目は三日ほどで内容は固まったが、最後の『将来の展望』はいまだに埋められていない。
提出まであと二か月ほどある。あと二か月で、自分がしたい事が何か、なぜそれをしたいのかを決めて、説明できるようにならなければならない。
恐らく、適当に書いても何も言われないだろう。ただ、ちゃんと書けるようにしなければ、という焦りがあった。やりたい事がない、という状態が、先が見えないようで、すごく不安だった。
ホームの屋根を眺めながら、勤務中に調べた社内資料やポータルサイトの情報に、何か自分の興味があるものがなかったかと記憶を辿る。
「――まもなく、一番線に、各駅停車、大宮行きが、参ります。」
電車の到着を伝えるアナウンスが流れる。いつの間にか電車が到着する時間となっていた。巡らせていた思考が止まり、一気に現実の世界に引き戻される。ベンチに預けていた体を起こし、立ち上がってホームドアの前に並ぶ。家電量販店の壁から放たれる活気を帯びた光が、疲労した体に刺さってくるように感じた。光を避けるように、マフラーに顔をうずめる。
到着した電車の中は、仕事帰りか、飲み会帰りだろうという人がまばらに座っていた。中には疲れ切っているのか、スマートフォンを片手に持ちながら、大きく船をこいでいる人もいる。
端の席に座り、顔を擦り付けるように席の衝立にもたれかかる。リュックのポケットに突っ込んでいたスイヤホンを取り出し、耳に入れる。スマートフォンを取り出し、ミュージックアプリを開くと、画面には「ミュージシャン:MAI 曲名:メジルシ」と表示されていた。再生ボタンを押すと、ゆっくりとした、励ますようなバラードが耳の中で流れだす。
私の大好きな曲である。
――ちゃんと考えなければ。
衝立にもたれかかった体の上に、今日の疲れがまたのしかかってくる。意識が少しずつ遠くなり、目が重力に逆らえなくなる。顔に触れ衝立の、無機質な冷たさが心地いい。耳の中で流れる曲は聴きながら、その日はそのまま電車の中で眠ってしまった。
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