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02_小林の友達(1)
二〇十八年 一二月二二日(土)
『年収は論理的思考力で決まる』
『これからのマルチキャリア』
『働き方哲学』
『21世紀の生き方』
『好きなことで生きていく』
車内には、ビジネス書や自己啓発系の書籍の広告が、あちこちに掲示されている。ここ最近、この手の広告が増えてきて電車に乗れば嫌でも目に入ってくる。『あなたの運がどんどん良くなる! 神運』のような、ちょっと胡散臭そうなものまである。
向かいの窓に張り付けられた広告写真。恰幅の良い男が語り掛けるような笑顔でこちらを見つめてくる。それを見ると、胸のところで何かが詰まるような感覚になった。
スマートフォンを取り出す。指がパスコードを自動的に入力し、画面のロックを解除すると、家でで見ていた動画と、その関連動画が並んでいた。再生ボタンを押す――。
「――次は、赤羽に止まります」
乗換のため電車を降りる。ホームの屋根の間から見える空は、家を出た時の青と橙のグラデーションから、深い紺に変わっていた。屋根にぶら下がっている蛍光灯に灯りがついて、ホームを無機質な光で照らしている。社内でしか仕事をしないため、日の傾きなど、季節による変化に無頓着になってきてしまった。向かいの路線を通過した電車が、十二月の冷たい空気を一緒に巻き上げる。寒、と私は着古した上着のポケットに手を突っ込んで、冷たい外気から手を守る。そのまま京浜東北線のホームから埼京線のホームに移動し、電車を乗り変える。仕事以外で電車に乗るのは半年ぶりぐらいで、なぜかそわそわしてしまう。
今日は、大学のゼミの同期との同窓会である。同期の誰かが、久しぶりにゼミのメンバーで飲みたいと希望し、ゼミ長が企画したらしい。スマートフォンの画面を見ると、ゼミのグループチャットの通知が来ていた。
『俺もー南東口着いたー。見つけたら声かけて―』
『はーい』
『りょかい』
『うい』
私の乗っている電車はもう池袋駅手前まで来ていた。指がパスコードを再び解除し、現状を手早く送信する。
『もうちょっとで着きます』
新宿駅を降り、長い通路を通って東南口を出る。忘年会シーズンということもあり、休日なのに結構な人で外は賑わっている。そんな中、コートを着た背の高い男が、入り口脇の壁に寄り掛かって、スマートフォンを見つめながら立っていた。
「お久しぶりです」
そっと近づいて声をかけると、そいつは、「うぉぇ!?」と声を上げて飛び跳ねた。そして私の顔を確認した後、格好をチェックするかのように全身を見回す。
「……んだよ、不審者かと思ったわ」
「そんな変な格好してないだろ」
そう言いながら、私は自分の格好を確認する。ロンT、ジーパンに、フードが付いたグレーの上着。そんな変な格好ではない。はず。
「いや、格好というか……挙動かな。挙動が不審なんだ」
「……それはどうしたらいいんだ?」
睨みつけている私を見て、へらへらと笑っている。この男が、ゼミ長の神谷である。
「他の人はまだ来てない?」
「来てるわけないだろ、まだ二十分前だぞ。もう遅れる宣言してきたやつもいるし」
ほれみろ、と言いながら神谷がスマートフォンの画面を押し付けるように見せてくる。神谷の手がブレブレで全く見えず、自分のスマートフォンを取り出し、チャットを確認した。
『すまん結構遅れるから先に行ってて~』
「っんもう、全く困っちゃう! キャンセルとかしたら承知しないんだから!」
なぜかオカマ口調で話しているところに、私と神谷のスマートフォンのバイブレーションが再び、ヴ、と鳴る。
『すまん! 今日ちょっと用事が入っちゃって、行けなくなった!』
そのメッセージを神谷は画面を見たまま「マジか……」とスマートフォンの画面を見ながら固まる。
「まあ、みんな忙しいんだよ。」
しょうがない、と慰めるが、神谷は「いや、しょうがなくない!」と、声を張り上げて反論する。
「先に予定入れられないように一か月前から予定空けといてって言ったのに、なんで予定入れるんだよ! ゼミのやつらで集まるの、卒業式以来だぞ! そんな大事なイベントがあるのに当日差し込みの予定を優先するなぁ!」
「いや、ゆーてそれぞれとは飲みに行ってるじゃんお前。俺とも六月に飲んだし」
「だまらっしゃい! 卒業式以来だぞ……! みんなで集まることに意味があるんだよ……! って、おい、うわー、て顔すんな!」
私は横でしゃがみ込みながら、憤慨している神谷の様子を見守る。相変わらず元気だ。最後には静かになって、息切れしながら「キャンセル料、どうやって回収すんだ……」と小さな声で呟いた。本音がぽろっとでた瞬間を見て、そこし吹き出しそうになった。
あ、と思い出したように神谷は声を上げると、財布を取り出した。何かと思って見ていると、四百円を取り出して、私に突き出す。
「ほいこれ」
「何これ?」
「前に小林と飲み行ったとき借りたやつ。六月に飲んだっての聞いて思い出した。手持ちに細かいお金がなかったから、小林が余分に払ったじゃん。それ」
神谷とは定期的に飲みに行っている。大学でも二人で飲みに行ったりしていたことが多く、その流れで就職後も神谷が誘ってくれていた。確かに六月に新宿で飲んだ時、そんなやりとりをしたような気はするが、はっきり覚えていなかった。大学の時から、貸し借りの事は無駄によく覚えている奴だったが、こんな細かいお金の事まで覚えているとは、と、感心する。
「細かいし、いらないよ」
「いいから」と言いながら、地面にしゃがんでいた私の膝の上に百円玉四枚を落とす。私はポケットから手を出したくなくて、落ちてきた小銭が落ちないよう股を閉めた。
「はぁー、他のやつら遅せえな。間に合うのかよ。あと十分だぞ」
「仕事じゃないし、ちょっと遅れるぐらいいいだろ」
そうなんだけどさ、と神谷は不貞腐れた様子で続ける。
「せっかく準備したのに遅刻されると、ちょっと腹立つじゃん。せめて時間通りにはきてほしいわけよ」
幹事の気持ちも分かってほしいわ、と神谷は大きくため息を吐いた。明るい言い回しの中に切実さを感じた。ゼミ長というのと、こういう明るい明るい性格ということもあり、神谷は割と飲み会やイベントの幹事をやることが多かった。神谷もちゃんと頑張っていた分、その頑張りを無下ににされた時の痛みも、人より感じていたのだろうか。
幹事の気持ち、かどうかは分からないが、その気持ちは共感できる。自分がやった事を無駄だったみたいにされるのは、気持ちのよいものではない。腹が立つ。
神谷も隣にしゃがみ込み、またスマートフォンの画面を見始める。
唐突に、「いつも早めに来てくれるよな、小林は」と、神谷は画面を見たまま言った。
手に持っていたスマートホフォンが、再び、ヴ、と鳴り、画面が光る。チャットに『今電車降りたー。もうすぐ着く―』とメッセージが追加されていた。メッセージを見ていたら、再びスマートフォンが震え、メッセージが追加される。隣の神谷からだった。
『早く来い! 小林もう来てんぞ!!』
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