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執事とは顔に出さないものです
とある休日の昼間、とある部屋であった出来事。
「くそっ……、この、陰険執事……っ!よくも、俺に……こんなっ……!」
ミルク色の髪が汗で肌に張り付き、潤んだ金色の瞳を苦しげに歪めたニコラスが自分の背中に触れる私を睨んできます。
「おとなしくしなさい、この駄犬。いい子にしていればご褒美をあげますよ?」
私がお仕置きの意味も込めて指に力を込めると、ニコラスが「うっ!」と苦痛に耐え切れず呻き声を出しました。
「ちくしょ……っ!」
「そう、そうやっておとなしくしていれば無駄に苦しむ事もありません。ほら…っ!」
「も、ダメ……!」
ぎゅっ!!
「内臓が潰れるぅ……っ!!」
そしてニコラスが悲鳴をあげました。
「ふむ、あまり締め上げると内臓が潰れるんですね。
やはりアイリ様に実践する前に犬で練習して正解でした」
私の手にはコルセットの紐が握られていて、ニコラスのウエストは貴婦人も真っ青な位くびれています。
なぜかニコラスのウエストが元の半分くらいになってますが、まぁ犬なんで大丈夫でしょう。
こちらを恨めしげに睨んでくる元気がまだあるようなのでコルセットの紐をさらに締め上げてみましょうか。
「ぎゃ――――っ?!」
腰からミシミシと音を立てたニコラスは泡を吹いて倒れてしまいました。軟弱ですね。
「それにしても、力いっぱい締め上げると人狼でも倒れてしまうとはコルセットとは恐ろしい凶器ですね」
手に持っていた紐を気絶しているニコラスの顔に叩きつけ、私はアイリ様に執事スマイルを見せました。
「さぁ、アイリ様。練習も終わりましたしコルセットとドレスの準備をいたしますね?」
「……ルーちゃんにお願いしてあるからいい」
倒れているニコラスをチラリと横目で見てから、アイリ様は私の申し出を断るというとても珍しい事をするのでした。
******
「舞踏会?お城で?」
とある午後のティータイム、ルチア様が申し訳なさそうに1通の招待状をアイリ様に手渡してきました。
私はお茶菓子の準備をしながらルチア様のボディーガードさんに視線を送ると、小さく頷かれます。
なにやら嫌な予感がしますね。
「そうなんですの。なんでも今度の休日にお城で新しい王子をお披露目するための舞踏会を開催するらしくて、アイリちゃん宛の招待状を預かって来ましたの……」
「それはまた、急な話だね」
ルチア様が深いため息をつくと、アイリ様が目をぱちくりしています。
アイリ様はたまに小動物のような顔をなさいます。
そうですね、可愛いですよ?
「普通ならあり得ませんわ。いくらなんでも常識はずれですもの。
ただ、今回は訳ありのようでして……」
とにかく頼むからなにがなんでも出席してください。とのことらしいです。
全く人間の王家というのは面倒なことばかり……いっそ滅ぼした方がよくないですか?
でもアイリ様はいつも「滅ぼすのはダメよ」とおっしゃるので滅ぼしません。言い付けは守ります、執事ですから。
「本当に申し訳ないのですけれど、わたくしと一緒に出席していただけないでしょうか?
もちろんドレスの準備など諸々は全てわたくしの方でいたしますのでアイリちゃんは来てくださるだけで大丈夫ですわ」
アイリ様がルチア様の頼み事を断るはずもなく、もちろん出席なさることになりました。
しかしどうやら舞踏会というのは学園であったダンスパーティーとは違いもっと本格的なものになるらしく、私にはよくわかりません。後で詳しく聞いておかなければいけませんね。
女性用のコルセットというものを腰に巻くそうです。なんでもきつく締め上げてウエストを細くする道具らしいですが……扱ったことがないのでどの程度どうすればよいのかわかりません。
いえ、一応教わりましたよ?しかし聞いただけでは力加減が私にはわからないので、まずは練習してみようと思います。いきなりアイリ様に使ってなにかあっては大変ですからね。
たまたま近くにいたニコラスを連れてきました。この犬はしょっちゅうアイリ様の近くを彷徨いているんです。
「なにする気だ、この陰険執事!」
「アイリ様のためにその身を捧げなさい。なにせ婚約者ですからね?アイリ様のためならなんでもできますよね?」
人狼(ワーウルフ)は頑丈ですから、多少アレがナニしても大丈夫でしょう。
いえ、別にこの犬がアイリ様の婚約者の座に居座ってるのがムカつくから色々やってやろうなんて思ってません。
ほら、私はこの犬の教育係でもありますから。男たるもの、女性のために実験体になるなんて喜んでやらなければなりません。えぇ、それだけです。
※そしてあれよあれよと言う間にニコラスはセバスチャンの実験体になったのだった。
******
私はちょっとだけ残念になり目を伏せました。
「……そうですか、せっかく練習したのですが」
足元に転がるニコラスが視界に入り、ちょっとだけイラっとしたのでまだ気絶してるニコラスの首根っこをつかみベランダに引きずっていき、外に向かってぶん!と投げておきました。少し気分がすっきりします。
「う、ぎゃ――――!!」
「尊い犠牲でした……」
途中で気づいたらしいニコラスはコルセットをつけたまま叫び声を残して庭へ飛んでいきました。さすが人狼(ワーウルフ)、回復が早いですね。
「……ここはルーちゃんのお屋敷なんだから、あんまり庭を散らかしちゃダメよ。セバスチャン」
「申し訳ありません、腰のくびれた犬を見てるのは気持ち悪かったので」
あの犬のせいでアイリ様にお叱りを受けてしまいました。またあとでやつあた……教育しておきましょう。
※ニコラスの腰をくびれさせたのは他の誰でもないセバスチャンである。
そんなことをしている間にルチア様と侍女軍団がやって来てアイリ様はコルセットとドレスを着せられていました。私ははそれを眺めながら「なるほど……」とうなずくばかりです。
どうやらただ締め付ければいいわけでも無いようですね。
学園のダンスパーティーの時はコルセットなどはつけずにドレスだけを着ていたので、こうすると体のラインが変わり少し大人っぽくなるようです。
「あとはアクセサリーをつけてっと……まぁ、アイリちゃん素敵ですわ!」
「なんだかお姫様になった気がするね」
「アイリちゃんこそ姫君にふさわしいですわ!」
ちなみにドレスで着飾ったルチア様はいつもアイリ様がおっしゃっているようにまさに女王様ですね。
「ルーちゃんも素敵!きれいだよ!」
「うふふ、舞踏会がちょっとだけ楽しみになってきましたわ」
お化粧もほどこされ、確かにアイリ様はお美しくなりました。でもコルセットで締め上げた硬そうな腰より、いつもの柔らかな感触のするアイリ様の方が魅力的だと思いますけどね。
馬車に乗りお城に向かいます。もちろん私も一緒です。そして、到着して馬車を降りるアイリ様をエスコートしようとするといつの間にかニコラスがいました。
犬は神出鬼没ですね。
「今日はさらに綺麗だね、リリー。もちろんエスコートするのは婚約者の俺だよ」
まるで王子様のような格好(異国の王子ですけど)をしたニコラスが手を差し出してきました。
ニコラスは旦那様が決めたアイリ様の婚約者ですから、公の場でエスコートするならニコラスがするのが正しいですね。
アイリ様がチラリと私を見てきますが、無表情のまま頭を下げてお見送りしました。
あの日、海辺で私はアイリ様の執事兼恋人になると言いましたがあのキス以降は特になにも進展はしておりません。
たまにスキンシップはしますけどね?
3年後ニコラスとの婚約を穏便に解消するまではちゃんと執事として接しようと思っておりますので。
あんな犬でも異国の王子ですし、なにか問題になればアイリ様が大変な目に合ってしまいます。
もしもアイリ様が望むならどこか遠くへ拐っていってしまってもいいかもしれない……なんて、吸血鬼の眷族にする気もないくせに言えるはずもありません。
アイリ様は吸血鬼にも獲物にもしない。そう決めたのですから……。
ちゃんと、人間の世界で人間のルールに従ってこそアイリ様を奪う権利があるのだと人狼(ワーウルフ)を見て思ったからです。
「リリー、どうしたんだい?」
アイリ様が少しうつむいたのに気づいたニコラスがアイリ様の顔を覗き込んでいました。
顔が近いですね。
「……なんでもない。よろしくね、ニコラス」
アイリ様がニコラスの手をとると、その手の甲に軽く唇を落とされていました。
帰ってこられたらよく消毒しなくてはいけませんね。もちろん執事ですからそんなこと表情には出しませんが。
「またニックって呼んでくれたらいいのに」
「慣れなくて……」
アイリ様はニコラスに普段から愛称で呼んで欲しいと言われていますが、決して呼ぼうとはしません。ちょっと悩んだ顔をしてから「なんのフラグだ……?!」とか呟いておられました。
よくわかりませんが嫌な予感がするらしいです。
「リリーは相変わらず恥ずかしがりやだね?」
「それはいいから、早くエスコートしてちょうだい」
アイリ様が頬を膨らませて言うと、ニコラスが嬉しそうに笑います。アイリ様の頬は柔らかくて弾力があるのでよく伸びます。膨らませるとぷくっとなるのですが……やはり小動物にしか見えません。あの膨らんだ頬を指で潰すと「ぷひゅっ」と言うのでとても面白いんですよ。
「将来は嫁さんの尻に引かれてるって感じがしていいなぁ」
ニコニコしてアイリ様をエスコートし、歩きながらアイリ様の耳元に顔を近づけました。
「ごにょごにょ」
「こっ子供?!」
ニコラスがなにかを囁くと、アイリ様が顔を赤くして反応していました。
……子供?一体なにをアイリ様に囁いたのでしょうか?
アイリ様の反応を見て、ニコラスは肩を震わせてまた笑っていました。2人の姿が城へと消え、私は執事用の入り口へと向かいます。
執事やお付きの者は別入り口から入ることになっていますので。
「セバスチャンさん」
ルチア様のお見送りを済ませたボディーガードさんが声をかけてきました。ルチア様はご自分の父親にエスコートされていかれたようです。
「どうされました?ボディーガードさん」
ボディーガードさんは言いにくそうにチラリと私を見ます。
「あの、先程からとても恐い顔をされてますけど、大丈夫ですか?」
「…………それは失礼しました」
どうやら私は先程から無表情なのに怒りのオーラを放っていたようです。
あんな犬がアイリ様にまとわりついたくらいで他の方に感情がばれてしまうとは……私もまだまだだと思いました。
執事とは顔には出さないものですからね。
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