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執事は誰にも言えません
とある肌寒い冬の日、アイリ様のご様子がとてもへ……いえ、いつもよりさらに変わっていらっしゃいました。
一人でぶつぶつと何かを言いながらぐるぐる円を描くように歩き回っておられます。
「……この世界にバレンタインってなかったよね?でもチョコレートはあるんだし、そういえば似たような行事があったはずなんだけど……」
ばれんたいん?
一体何をおっしゃっているのでしょうか?
私は少し離れたところからアイリ様の奇行を眺めていました。
******
ここはアイリ様のご実家であるルーベンス家です。
3日ほどの連休ですが旦那様がぜひ戻ってきてくれと懇願されるので急いで帰ってきたのですが、私の顔を見るなり奥の部屋へと連れていかれ真剣な顔でこう聞かれました。
「アイリと既成事実は作れたか?」
「……アイリ様には旦那様が決められた婚約者がおられますが」
「やだやだ、アイリの婿はセバスチャンがいい!」
なんでしょうか、口髭を生やした中年男性の駄々っ子ポーズは無性にイラッといたします。
「そうゆうことはニコラス王子との婚約を解消してからおっしゃってください。こちらに不義があったとなれば汚名を着せられるのはアイリ様なんですよ?」
「だって、ニコラス王子はアイリと結婚する気満々なんだぞ?!この間アイリの可愛らしさを語る耐久24時間勝負したら負けてしまったんだ!
あの王子はアイリマニアだ!変態だ!」
いつの間にそんな勝負してたんですか?旦那様も変態加減は負けていないと思います。
「あんな王子にアイリを取られていいのか?!否!いいはずがない!
アイリが異国にお嫁に行っちゃったらどうするんだ?!全然会えなくなっちゃうだろう?!
セバスチャンを婿にしてこの家にそのまま居てくれたら、毎日会えるじゃないか!」
私のネクタイを掴み、ガクガクと揺らしながら涙ながらに語られます。本音が駄々漏れです、旦那様。
「セバスチャンはどうなんだ?!まだアイリの婿になる気はないのか?!
確かにアイリは幼児体型だし言動も子供っぽいしちょっと思い込みが激しいし胸も小さいけど!
でも可愛いんだ!世界一可愛い娘なんだぞ!なにが不満なんだぁっ?!」
そんな血走った目を見開いて顔を近づけないで下さい。鼻息が荒いしなにやら怖いです、旦那様。しかもその発言はどちらかというとアイリ様の悪口ですよ。
私が黙っていると旦那様はぐいぐいと「嫌いなのか?!アイリがそんなに嫌なのか?!」と迫ってきます。
相変わらずしつこくてうっとうしいですね。あまりにしつこいのでつい反論してしまいました。
「アイリ様はそれほど幼児体型ではございませんし、ほどよい成長をされております。少々子供っぽいところも可愛らしいと……」
「よっしゃ、その発言もらったぁ――――っ!」
おっと、失言でした。旦那様がウキウキされております。
私がアイリ様の恋人に立候補したことはまだ秘密にしているのに、もし知られたらきっとお祭り騒ぎになることは確実でしょう。これ以上うっとうしいのは勘弁していただきたいのですが。
でも……。
「本当によろしいのですか?旦那様」
「ん?」
「……私はアイリ様をさらっていってしまうかもしれませんよ?それこそ、異国よりもはるか遠くへ」
旦那様は私のネクタイを掴んだ手に力を込め、目を細められます。
「それが、アイリの幸せならば――――」
「おとーさま!」
バン!と扉が開く音がして振り向くと、そこには青ざめた顔のウィリー様がやたら太い鎖のついた棒を握って現れました。
そして鎖の先にはトゲのついた鉄球がついていて、少し重そうに引きずられております。そう、モーニングスターです。
「う、ウィリー?そんなもの持ち出してなにを……」
旦那様は自分の頬を私の頬にくっつけるように私に抱きついて怯えだしてしまいました。
「おとーさまが、セバスちゃんにちゅーしようとするなんて……」
そんなこと、されてませんが。
ウィリー様は青ざめた顔で震えながらモーニングスターをきゅっと握りしめました。
「ご、誤解だ!父は」
「おねぇさまからセバスちゃんをうばうやからはゆるしませぇん!!」
ウィリー様は一体どこでそんな言葉を覚えてきたのでしょうか?そして旦那様はいい加減離れてください。
******
少々誤解なされたウィリー様がモーニングスターを振り回して旦那様にお仕置きなさる姿に成長を感じながらそっと抜け出します。親子のふれあいを邪魔してはいけませんしね?
旦那様の相手に時間がかかってしまいました。アイリ様は自室でしょうか?
するとぐるぐると歩き回りながらぶつぶつと呟いているアイリ様を発見して眺めていた訳なのですが……。
「……!」
私と目が合った途端、アイリ様はあからさまにワタワタと慌てだします。
「な、なんでもないから!」
そう叫ぶと今度はキッチンに向かって勢いよく走っていかれました。あきらかに挙動不審でしたが、なんでもないとは……。
「アイリ様が、私に隠し事……」
なんでしょう。なぜかこう、体が重くなった気がしました。やはり、旦那様などかまっていずにアイリ様から離れなければ良かったです。この小一時間ほどの間になにがあったのでしょうか?
さらにそれから数時間、アイリ様はキッチンに籠られたまま出てきません。扉には立ち入り禁止の紙が貼られ、私が声をかけても「セバスチャンは入っちゃダメ!」と顔すら見せてくれません。
アイリ様は一体どうされてしまったのか、まったくわかりませんでした。
奥様だけがにこやかにされていましたが、なにかご存知か聞いても「あとでわかるわ」としか教えて頂けず結局なにもわからないまま、ハラハラとした時間を過ごしてしまいました。
そして夜も更けた頃、やっとアイリ様が姿を現します。私はもちろんキッチンの扉の横に待機しておりました。
旦那様?どこからか叫び声は聞こえてましたが、姿は見ておりませんよ?ウィリー様は赤い絵の具でお洋服を汚されたそうでルンルンとお着替えなされてましたが。
「セバスチャン、ずっとそこにいたの?」
キッチンから顔を出したアイリ様が私を見て驚いていらっしゃいました。
「私はアイリ様の執事ですから」
しかしアイリ様は私が一歩近づこうとすると三歩逃げられてしまいます。
「あ、あの!後で!すぐ行くから、セバスチャンの部屋で待ってて!
絶対よ!部屋で待っててね!」
「……畏まりました」
今日のアイリ様はやたら逃げます。しかし待ってろと言われればそうするしかありません。
アイリ様の髪にはちゃんとバレッタのナイトがつけられていたので危険なこともないでしょう。私は与えられている自室に行きました。
10分ほど過ぎた頃、私の部屋の扉がノックされました。
「セバスチャン、いる?」
「お待ちしておりました、アイリ様」
扉を開けると先ほどとは服装の違うアイリ様が少しもじもじしながら中に入ってきました。
そういえばさっきはなぜか服の所々が焦げていましたね。なにか爆発でもしたんでしょうか。
「あのね、渡したいものがあって……」
そういってリボンのかけられた小さな箱を私の前に出されました。
「これは?」
「あの、バレンタイ……じゃなくて、お母様に教えてもらったんだけど、好きな人にお菓子をあげる日があるって聞いて。
それで……セバスチャンにプレゼントしたかったの」
そういえば、異性にお菓子などの甘味を贈る風習がありましたね。愛に感謝する日、でしたか?
アイリ様に促されて箱のリボンをほどくと、ふわりと甘い香りがしました。
中には少しいびつな形をしたチョコレートが3粒入っております。
「……アイリ様がお作りになられたんですか?」
アイリ様はまたもじもじしながら上目使いで私を見てきました。
「それが1番きれいにできたのよ?
初めて作ったけどあんなに難しいとは思わなくて……。
でもどうしても作りたくて……味は大丈夫だと思うの」
私はチョコレートをひと粒つまみ、ぱくりと口に入れます。
所々焦げたのか硬くて苦いところと、なぜかしょっぱい味がし、砂糖と塩を間違えたのだろうと思いました。
チョコレートを焦がして爆発させながら作ったのだろう場面がまるで手に取るようにわかります。
いえ、チョコレートは本来爆発しませんけどね?
「ふっ、くくく……。アイリ様、味見はなさりましたか?」
思わず笑いが漏れてしまいました。
「え?どうしたの?あ、そういえば味見してなかった……!ま、不味かった?!」
焦ってオロオロしだすアイリ様の姿にますますおかしくなります。
「いえ、こんなに美味しいチョコレートを食べたのは初めてです」
「セバスチャ……」
私はチョコレートの箱を横にあったテーブルに置き、アイリ様を抱き締めました。
アイリ様からは甘い香りがします。それはチョコレートの香りと、アイリ様だけの特別な香り。
「アイリ様も、美味しそうですね?」
「ほぇ?!」
アイリ様の耳元でそう囁くと、アイリ様はリンゴよりも真っ赤になられプルプルし出しましす。
そしてその真っ赤な頬に軽く唇を落とすと、いつも通りの反応をされ倒れられてしまいました。
「あぁ、まったく……アイリ様は退屈しませんね」
気絶したアイリ様を抱き上げると、甘い香りがふわりと私を包みます。
そして、旦那様の言葉を思いだしました。3年待ってから、ちゃんと人間のルールに従おうと思っていたのに、その人間が煽ってくるのはいかがなものでしょうか?
それとも3年も待っていたら手遅れになるような事が起こるという前触れなのか……。
「……もちろん、渡す気はありませんけどね」
アイリ様をベッドに横たわらせ、唇をそっと指先でなぞるとアイリ様が「んん……」と身動ぎされ、ふわりと微笑まれました。
自分から夫になる気はないと言っておいて、でも離れるのも誰かに渡すのも嫌だなんて、私もワガママになってしまいましたね。
吸血鬼である自分が、この人間の娘が愛しくてしょうがないなんて……誰にも言えません。
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