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前編
夏が去って、ようやく涼しい風が感じられるようになってきた頃。まるで真夏の太陽のように暑苦しくて騒がしい転校生がやってきた。
「転校生が入ってくるらしいよ」
クラスの女子がそんなことを言っているのを、加屋圭人はたまたま耳にした。
高校生にもなって、小学生じゃあるまいし、そんなに騒がなくてもと横目に彼女たちを見た。いつも大声で話しているグループだ。何故あんなに喋ることがあるんだろうかと、半分呆れながら席に着くと前の席の細谷が話しかけてきた。
黒縁メガネをかけた細谷は、いつも後ろ髪の寝癖がすごい。
「転校生、男なんだってよ。女なら良かったのになあ。でも可愛くないと意味ないか」
「お前も小学生かよ……」
なんでだよー、と膨れる細谷。
ちなみに細谷はこのクラス一番の女好きだ。そんなに悪い顔ではないのだが、女好きを公言しているものだから、逆に女子から引かれている。
「そりゃ圭人はいいよ。モテモテだからさあ」
口をとがらせて細谷は圭人の前髪をつつく。やめろ、とその手を払いのけた。
アイルランド人の父と日本人の母を持つ圭人の瞳の色は薄いエメラルドグリーンだ。スッと通った鼻筋と二重のまぶた、身長も百八十五センチと高いため、女子に人気があり、よく黄色い悲鳴が上がっている。だが、本人はあまり興味がなかった。女子に興味がないというよりは人に興味がない。
何事にも固執しない、ファジーな性格。つかみ所のない性格を分かってくれてつきあってくれる友人は数少ない。
カラリ、と教室の戸が開き、担当の山岸が入ってきた。席に着いていなかった生徒たちがのろのろと移動し、朝の挨拶とともに山岸が頭を掻きながら、今朝の連絡事項を伝える。そして教室の外を向き手招きするような仕草を見せた。
「青山くん入ってきなさい」
山岸に呼ばれて入ってきた彼は、学ラン姿だった。圭人たちの学校は紺のブレザーなのでかなり目立つ。最近見ない短髪に刈り上げ。身長は高い方だ。真っ黒な髪に太めの眉。意志の強そうな顔立ちだ。
「今日からこのクラスに入ってくることになった、青山健二くんだ。みんな、仲良くするようにな」
クラスメイトの視線を一気に受けた健二は、少しだけ緊張しているように見える。圭人はチラっと健二を見たがやがて視線を窓の外に向けた。
(あー、今日夕方雨だったな。レオの散歩できねえなあ)
レオは圭人が飼っている柴犬の名前だ。毎日帰宅してレオを散歩に連れて行くのが、圭人の日課となっている。
「じゃあ、青山くん自己紹介して」
「……はい。あの、青山健二って言います。広島から来ました。向こうじゃあ帰宅部じゃったけど、こっちにいい部活あったら何かしようと思っとる。ええのがあったら教えてや」
敬語だったのは初めの一言のみ。
その後の方言に、クラスメイトたちはあっけにとられた。
「制服がまだ間に合ってのうて。ブレザーなんか俺、よう着んかもしれん」
その言葉に、さっき大騒ぎしていた女子がクスクスと笑う。
「青山くん、席はあの窓側の三番目に用意しているから座りなさい」
山岸が咳払いをして指さした席は、圭人の後ろだった。圭人はしっかりと健二の自己紹介を聞いていたわけではないが、耳にした健二の言葉に嫌な予感がしていた。
(こいつ、めんどくさそうな奴だな……)
その予感は見事、的中した。
「なあ、お前さあハーフなん?」
授業が終わって休憩になった途端、背中をペンでつつかれて圭人が振り返ると健二が突然そう聞いてきた。突然そんなことを聞かれたので圭人が戸惑っていると、さらに健二が聞いてくる。
「すごい髪が色素薄いし、目の色が違うし、かっこええのお」
さっき会ったばっかりの転校生にべらべら話しかけられて、圭人はウンザリしてきた。
めんどくさそうと感じた自分の勘はやはり正しかったのだ。圭人は色々詮索するのも、されるのも苦手だ。無言で席を立ち、そのまま教室を出た。
次の授業が始まる頃に戻ると、健二は席にいたが気にせずに圭人は席に戻る。少しだけムッとした表情をしているように見えたが、圭人はお構いなしだ。友人でも何でもない奴に急に話しかけられて仲良く出来るか、と毒づく。無視すれば、こいつだって分かるだろう。そう思いながら、授業に入った。
圭人はそう思っていたのに健二は更に上を行く。その後の休憩でも放課後でも、圭人が話をしなくてもめげずに話しかけてきたのだ。
「なあ、なあって」
放課後はもう逃げようがなくて、かえって無視すること自体が面倒になり、とうとう圭人は返事を返す。
「……そうだよ、ハーフなの。これで満足?」
そっけなく返すと、健二は嬉しそうに目を輝かせた。圭人は一瞬驚く。
何でそこまで目を輝かす?一言返しただけなのに。
「やっと話してくれた!どこの国のハーフ?」
健二が更にたたみかけてくるものだから、圭人はため息をついた。
「アイルランドと日本。なあ、俺帰りたいんだけど」
「あ、ごめん!また明日な!」
圭人に手を振ると健二は鞄を手に取って教室を先に出ていく。
まるで嵐のように過ぎ去っていった健二の背中を、圭人はぽかんとあっけにとられながら見送った。
その日から健二は何かと圭人に話しかけてきた。
『なあ、この学校ってラグビー部あるん?』
『美術室まで一緒に連れてって』
『圭人は部活なにしよん』
とにかく色々聞いてくる。圭人が無視してもめげずに話しかけてくるのだ。
圭人は完全にロックオンされた状態だと、弁当を食べている間、細谷にそう言われた。
「何で圭人ばかり話しかけてくるんだろうね、あの転校生」
「知るか」
「他の奴にはほとんど話しかけないのにさあ。よりにもよって人嫌いなコイツに」
卵焼きを箸に突き刺して笑う細谷。ここ三日間で圭人があまり話が弾む方ではないことに健二は気づいているはずだ。
細谷や他のクラスメイトに話しかければ、もっと話も弾むだろうに。
「あいつホント、面白い奴だな」
細谷がそう言い卵焼きを口の中に入れた。どうせならこういう奴に懐いてくれたらいいのに。圭人はウインナーを箸でつかんだ。
それから一週間ほど経ったある日。
「圭人、帰ろうぜ」
授業が終わり、鞄に荷物を入れていると、後から健二が話しかけてくる。
健二の家と圭人の家が途中まで同じ方角であることがバレてしまい、有無を言わさず一緒に帰るようになった。さすがにめんどくさい、と圭人は嫌がったのだが『転校生が道に迷ってもいいんか?』と訳のわからないことを言われて渋々一緒に帰るようになった。
健二が部活でも始めてくれたら、別れて帰れるのだが、残念なことに気に入った部活がなかったようだ。
そして気がついたら圭人を名前で呼んでいた。ホントにどこまでも図々しい奴だと圭人はため息をつく。
「圭人はあまり喋らんの」
校舎を出て歩いているとき、ふと健二がそう言った。その言葉に思わず圭人が驚く。
「え、何?今頃になって気づいた?」
「うん。そう言えば俺ばっかり喋っとるわーって」
一週間も経って初めて気がつくようなことかよ、と言って圭人は思わず吹き出してしまった。
対する健二は何がおかしいん?と少し不服そうな顔を見せる。少しだけ圭人が健二に対して心を許した瞬間だった。
だんだんと空が高くなっていき、衣替えもすんだある日。
その日は、健二と一緒に帰らずに圭人は帰宅した後、レオと一緒に散歩へ出た。
いつもであれば近くの公園へ連れて行くのだが、途中で本を買わないといけないことに気づいた。
圭人はスマホを取り出して、電話をかける。レオはその間も元気よく前にすすんでいて圭人はリードを強く持つ。レオは力が強いので、よく持っておかないと逃げてしまいそうだ。
「ああ、修也悪いけどレオ連れて帰ってくれないか。寄るとこがあって」
電話先の修也は圭人の弟だ。
散歩に出るときに家に帰っていたのを思い出して、レオの散歩を代わって欲しいとお願いした。書店に連れて入るわけにもいかないし、本は今日、購入しなければならない。
『分かった。駅前の書店ね、待ってて』
頼まれた修也はそう言い、電話を切った。
家からこの書店までは十五分もあれば到着する。修也は走るのが好きだから、ジョギングしながら来るかもしれないなとそんなことを考えながら、書店の前にたたずんでいると見覚えのある姿を道路向かいに見つけた。
短髪の学ラン姿。それは健二だった。
家に帰って結構な時間が経っているというのに、まだ学ランを着たまま。そして隣にいるのは派手なアロハシャツにジャケットを着ているチンピラのような男。
知り合いなのだろうか。だが最近引っ越ししてあんな知り合いがいるとは思えない。
そのまま目で二人を追っていると、やがて二人が何か言い合っているような声がしてきた。
「生意気なガキが、首突っ込んでくるんじゃねぇ!」
「ああ?やるっていうのか?たいがいにせえよ!」
突然始まった喧嘩に、周りの通行人が目を向ける。それから数分、二人は言い合ってどんどんエスカレートしていく。どうやら二人は知り合いではないらしい。圭人は思わず走り出す。
「お前良い度胸してんな、この田舎もんが!」
チンピラもどきが健二の学ランをつかみ、殴りかかろうとしている。負けじと健二も臨戦態勢にかかった。
「やってみいやあ!」
(何やってんだ、馬鹿)
圭人には考えられない出来事だった。こんな人がいる前で喧嘩を始めるだなんて。チンピラのあげた拳が健二に向かおうとしたとき。
「何をしている!」
警察官が二人に近寄ってくる。その姿を見てとっさに逃げ出したのはチンピラの方だ。逃げたチンピラを警察官が追いかけて行く。
「健二!」
それと同時に圭人が近寄ると、健二は驚いた顔を見せた。
「あ、圭人だ」
「何してんだよ、お前。あんな奴ほっとけよ」
「……ほっとけねえ」
「は?」
圭人は思わず変な声を出す。
「あいつ、中坊くらいの奴に絡んどった。じゃけ、俺が声かけたんよ。それ、悪いことか?」
「……」
「だからといって、喧嘩はよくないからな。ちょっと詳しく話、聞かせてもらうよ」
さっきの警察官と別の警察官が、健二に声をかける。俺よりさっきの奴、ちゃんと捕まえろよと健二はむくれながらも警察官におとなしくついていく。
「兄ちゃん、あの人知り合い?」」
後から声がして、振り向くとジャージを着た修也が立っていた。圭人からリードを受け取ると不思議そうな顔をした。
「どうかした?」
「……修也、レオの散歩よろしくな」
そういうと圭人はそのまま、健二を追いかけていった。
一時間後。ようやく事情聴取が終わって健二と圭人は警察署を後にした。
「あー、たいぎかった」
背伸びをして笑う健二は、一緒に派出所を出た圭人に話しかける。
「悪かったな、圭人。付き合わせて……ってか何でわざわざついてきたん?」
「目撃者だからな、一応」
圭人が素っ気なく言うと健二は笑う。
いつもの圭人ならこんなことに関わる様なことはしない。自分でも驚いたけれど健二が一人で行こうとしたとき、自然に体が動いたのだ。
「ちょっと言い方悪いかも知れんけど、圭人ってあまりこういうめんどくさそうなこと関わろうとせんじゃん。じゃけ、一緒に来てくれて嬉しかった」
少しだけ照れくさそうに健二がそう言うと、圭人はそうか、と少し笑った。
書店の前まで戻ると後から肩を叩かれた。振り向くとレオを連れた修也がいた。
「もめごと終わったの?」
修也がそう聞いてきて圭人は頷きながら、隣にいた健二に修也を紹介する。
「健二、うちの弟」
「修也っていいます!健二さんってあの方言の人?」
「いらないこというな」
慌てて修也にそう言うと健二が少し笑っていた。
「……俺、おまえん家で話題になっとん」
「う、うるさい」
そう圭人が言ったとき、レオが健二にすり寄っていき足を舐めた。
すると健二が慌てて逃げようとした。その驚きようが半端ない。
「あ、ごめんなさい。レオ人懐っこくて」
修也がリードを引っ張ってレオがそれ以上に近寄らないようにすると、健二は頭を掻きながら苦笑いする。
「すまん、俺、犬が苦手なんよ……」
小さな声で呟く健二。そんな小さな声を聞いたのも初めてだし、さっきまで威勢良くチンピラと言い合っていたというのに。こんなに可愛い犬が怖いだなんて。
圭人はこらえきれずに笑い出してしまう。
「お前、怖いって……」
「何笑っとんじゃ!」
真っ赤になって健二がむくれるとますます圭人が笑う。おなかを抱えて笑っている兄の姿に修也もつられて、くすっと笑う。
「うちのレオは可愛いですよ?触ってみませんか?」
修也がそう言ってレオを近づけようとすると、大きな声を出して圭人の後に健二は逃げ込んだ。
「わざとやっとるじゃろ!」
圭人の後に逃げ込んだ健二だったが、圭人は体をずらしてレオと対面させる。
「まあまあ」
「この性悪兄弟め!」
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